鷹と龍と狼と少女
澄み切った青空に、白と紅が舞う。
一つは羽毛、もう一つは鱗。
それは非現実的だが、それ故に美しい光景だった。
だが、周囲に集まっている人々はそれを見に来たのではない。
彼らの視線の先、其処には一羽の巨大な鷹とそれに巻き付く巨大な蛇、では無く、龍が一匹。
燃える炎のように紅い龍は、鷹に突かれ、低い唸り声を上げるが、決して負けてはいない。
いつ空に逃げてしまうか分からない鷹の体を、その長い胴で締め上げ、しっかりと動きを封じていた。
鷹は高い声で鳴きながら、もがき、鋭い爪で大地を抉る。
巨大な二匹の攻防は、最早人間が立ち入ることの出来ない領域へと達しており、人々は目の前に広がる光景を、息を殺して見守るしか無い。
「あまり前に出るな。巻き込まれるぞ」
鷹と龍の争いから民を護らんと、武装した兵士達が興奮した子供や若者を後ろへと戻す。
だが、そんな彼らの隙間を縫い、二つの影が二匹の争う場所へと近づいていた。
「「姫様! いづこに?!」」
野太い二つの声が、人々の声を切り裂く。
見れば、二人の大男がオロオロとした様子で誰かを探していた。
「迅雷様、いかがなさったのですか?」
「万雷様、何か御座いましたか?」
兵士や女中らしき人々が、大男達の傍で膝をつく。
迅雷、万雷と呼ばれた二人の大男は、「ああ」と同じように息を吐き出すと、「客人を見なかったか?」と同時に尋ねた。
「客人? 昨日来られた……」
「おお、そうだ。美しい黒の御髪と、紅色の瞳をされた小柄な姫君なのだが……」
「お前達、誰か見ていないか?」
迅雷と万雷の問いに、人々は知っているかと顔を見合わせた。
だが、一向に「見た」という言葉も、それに似た反応も無い。
目撃者はいないようだと万雷が顔を上げたその時、一人の少年が彼の服を掴んだ。
「ん? おお、どうした坊?」
「あ、こら! お前……」
少年の母親らしき女性が、慌てて万雷の服から子供の手を離させる。
「申し訳ありません! 王よ」
「なに、構いわせん。坊よ、なにか知っているのか?」
少年よりも何倍にも大きい、否、そこらの大人の男よりも頭一つは大きいその体躯を出来るだけ小さくし、万雷は子供と目線を合わせようとする。
が、それでも少年からしてみれば万雷は大きく、見上げても目線はなかなか合わない。
「我らが抱き上げたほうが早そうだな」
「そうだな。迅雷」
どれ。と慌てる母親に笑い、少年を抱き上げる万雷。
急に高くなった目線に驚くこともなく、少年は「おうさまがさがしてるひとは、あっちにいったひと?」と子供らしい指を必死に伸ばした。
その先は、鷹と龍が未だ争っている場所。
まさか、と顔を見合わせた万雷と迅雷だが、ほぼ同時に二匹がいる場所へ目を凝らし――
「「姫様ぁっ!」」
叫びというよりも、悲鳴に近い二人の声に、兵士だけでなく集まっていた人々も、少年が指差している場所に目を凝らす。
すると、其処には鷹と龍だけでなく、犬と人の影のようなモノが見えた。
「魔道士達、あの場所を映せるか?!」
真っ青な顔で問う迅雷に、観戦者と化していた魔道士達は只事ではないと急ぎ、巨大な水鏡を作り上げた。
「ほう! 流石は姫様!」
「感心している場合ではないぞ、万雷。お止めしなければ……怪我をなされてからでは遅い」
「なに、姫様ならば問題なかろう。新たな仲間も居るようだしな」
水鏡が映した光景を見て、豪快に笑う万雷とどうしたものかと腕を組む迅雷。
彼らの後ろでは、大丈夫なのかと兵士達に尋ねる人や「逃げて!」や「助けないと!」と声を上げる人の姿がある。
「……なんか、大事になっているね。清華」
遠く聞こえる人々の緊迫した声とも、近くで聞こえる鷹と龍の威嚇しあう声とも似ない、何とものんびりとした声が少女の口から零れる。
話し掛けられた狼――清華――は、当たり前だろう。と言わんばかりの顔で、少女を見上げた。
此処を何処だと思っているのだ。と、表情を険しくさせる狼に、少女は「そんな顔しないの」と余裕に満ちた笑みを浮かべ、その白藍色の毛に手を埋める。
「……馬鹿らしい」
ボソリと呟いたのは、少女の隣にいた狼だ。
少女は数回瞬きをすると、余程嬉しかったのか、締まりのない笑みを浮かべた。
「良かった。お守りの効果、発揮されたみたいだね。全然話してくれないから、駄目なのかと思ったよ」
「……会話の必要性が見えなかったので」
「そっか。じゃ、これから沢山お話しようね。疾風や迅雷達とも仲良くして欲しいし」
「は?」
困惑する狼の頭や首を撫で、少女は迷うこと無く、龍に向かって叫んだ。
「疾風! 離してあげていいよ!」
少女の声を合図に、疾風と呼ばれた龍が鷹――王鷹――の拘束を解いた。
疾風と入れ替わるように、少女は王鷹と対峙する。
龍から受けた傷などもろともせず、怒りのまま滑空する王鷹。
鋭い光を纏った爪が、少女へと振り下ろされる。
たった一人、王鷹と対峙している少女の向かえる結末を予想し、人々は水鏡から目を逸し、その時を待つ。
だが、一向にその時は訪れず、疑問に思った人々が次に見たのは、雷槌を纏い、真っ直ぐに王鷹へと向かって飛ぶナイフと逃げ場を奪うように燃え盛る業火の渦。
そして、悠然と笑む少女の姿だった。