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ボーイ・ミーツ・ガール! -2-

 実際、気が遠くなりそうだ。

 汚れているから、と恵が風呂を用意してくれたのだが、それでさえ一人で入る事が出来ないようだった。

 向こうでは魔法で風呂の用意をしているようなので、ある意味では当たり前と言えるかもしれないが。

 しかし、だからといって蛇だのなんだのと叫ぶのはやめて欲しい。ぎょっとして駆けつけてしまうわけで。

「蛇!? 何処だ!?」

 蛇がいるとなれば、エリゼだけの問題に留まらず、その風呂場を利用する俺にも関わってくる問題になってくる。

 勿論、住宅街のアパートの風呂場に蛇がいる訳でもなく、シャワーのホースを凝視して動かないエリゼを視界に入れるだけだったが。

「は、ハヤトさん……!」

 エリゼは震える右手でシャワーを指さす。

「……ああ、それはシャワーだよ。向こうにないのか」

 そもそも、魔王が蛇を怖がってどうするんだよ。

 蛇より怖いものたくさんいそうなんだけど。

「いや、あります、けど」

 そうか、ゴム製のホースはないのか。納得した。

「……」

 思わずエリゼに目がいってしまう。エリゼの肌は曇りがないほどに真っ白で、風呂場に立ち込める湯気と相まってまるで絵画のようだ。

 ふと、エリゼと目が合う。向こうも向こうで、今自分自身が裸である事に気付いたらしい。

 なんで顔赤くしてんの!? あっ待って! 俺が悪かった、悪かったから!

「あ、いや、えっと、ごめ、あっ、ちょっ!?」

 エリゼは無言で顔をしかめて、プラスチック製の洗面器で俺を叩いてくる。

 やっぱり恥ずかしいものなの? 俺、男の娘じゃないからよくわかんないんだけど。

 やめ、痛い、マジで痛い。

「はーちゃんのえっちー」

 一足遅れた恵がにたにたと笑いながら俺を見る。

「本当にそんなつもりはないんだっての! てか止めて! エリゼ、マジで痛いって!」

 転がり出るような形で俺は洗面所から弾かれる。俺が出ていくと同時に、扉がぴしゃりと閉められる。

「はーちゃん、しばらくはあたしも一緒に入ることにするよ」

 扉の奥から、恵が言う。

「……お願いします」

 男の娘の幼馴染みがいるのって、こんなにも心強いものなのか。

 一人だったらぶっちゃけて命がいくつあっても足りなさそうだ。

「はーちゃんじゃまたラッキースケベしそうだし」

「……え? さっきのってラッキースケベなの?」

 何処が? どういう風に?

 男が男の娘の裸を見るのがラッキースケベなの?いや、どうなんだろ?

 考えない事にしよう。本当に考えるべきは明日からどうしていくか、なんだから。


 私立銀城高等学校。新しいこの学校は校風も生徒の個性を尊重し、またあらゆる個性に観葉になる人材を育成する、といったことを理念にしているとか何とかと聞いた事がある。

 もっとも、理事長の孫可愛さでそのようになったのではないか、と俺は考えている。

 普通、孫が普段から女装していて、幼稚園児時代の将来の夢に「およめさん」と書いているとなれば、発狂するようなモンなんだが。

 何を隠そう、理事長の孫が恵だ。幸か不幸か、恵は傍目に見れば美少女だからなあ。

 ただ、だからといって孫が「およめさん」と書いていたら、普通は家族会議が始まるものじゃないのか。

 確か俺は「仮面ライダー」って書いてた気がする。典型的な幼稚園児の回答だ。

 エリゼが来た翌日の週明け。教室はざわついていた。

 転校生がくる、美少女だの男だと聞いただのと噂が色々と飛び交う。

「おい花房! 転校生が来るって聞いたけどどうなんだ!」

 俺が教室に入ってくるなり、悪友の細川が俺に訊いてくる。

「なぜ俺に訊く」

 いやまあ誰が来るかは知っているけど。それを俺が言うのはおかしくないか。

「だって高梨さんと仲いいじゃん。何か知ってるんじゃね? ほら、いつも一緒の高梨さんいないし」

 今日はエリゼを案内するという事で、恵は先にエリゼと学校に向かったのだ。

「ほら、何か知ってんだろ! 花房!」

「さあ、どうだろうな」

 俺はあえて笑いながらはぐらかす。ぎゃいぎゃい言う細川を尻目に自分の席に座った所で、恵が教室に駆け込んで来た。

「はーちゃん! 今来たところ?」

「おう、用事は終わったのか」

 恵は頷きながら俺の近くに歩み寄ってきた。満足気に笑っている。

 大体こういう顔する時はろくな事にならない。今までの経験によるものだ。

 恵に気付いた細川は恵に詰め寄る。

「高梨さん! 高梨さんは何か知らないの、転入生の事!」

「ほ、細川くん、近い近い……」

 確かに、細川の鼻息が恵にかかりそうな程、細川は恵に詰め寄っていた。

 俺はため息をついて立ち上がり、細川の後ろ襟を軽く引っ掴む。

「ほら、恵が困ってんだろ。落ち着け」

 細川は不満そうに俺を睨む。

「お前は高梨さんが絡むといっつもそうだよなー」

「何か言ったか?」

 いーや別に、と細川は俺の問いに肩をすくめる。

「ごめんね高梨さん、ただ情報が錯綜していてさ。男と聞いたって噂もあれば美少女だったって噂もあって、実際のところどうなのか分からないんだよ」

 ふーん、と恵は相槌を打ちながら細川の話を聞く。その噂が両方とも真実なのがまた奇妙だ。

「それで、あたしに聞いたら何か分かるかもって?」

「何か知らないかな、転入生の事!」

 恵は一瞬俺を見たかと思うと、悪戯っぽい目をする。これ絶対何か変な事考えてるなあいつ。

「凄く可愛い子だよ」

 確かにそうだけども。そうなんだけども。大切な事言い忘れてないか恵よ。

 細川はたちまち瞳を輝かせて、近くにいた男子のグループに飛び込む。「朗報だぞ! 転入生は可愛い女の子だぞ!」だの何だのと叫びながら。

 こりゃどうなる事やら。思わず恵の方を向く。

「嘘は言ってないよ?」

 表情で察してくれたのか、恵は俺が訊く前にあっけらかんとした顔で答えた。

「だからこそタチが悪いって事だよ」

 まあいいか。校内でもお調子者キャラで名が知れているし、今更あいつが失うものなど何も無いだろう。

 恵もそれを分かってて言ったのだろうし。

「うふふっ、制服の在庫があってよかった! しかもぴったり!」

「つかぬ事を訊くが、その制服は」

「セーラー」

「だよなあ」

 思わず頭を抱える。あんな笑顔で入ってきたのだ。詰め襟の訳がない。

 正直な所を言うと、俺も詰め襟の学ランを着たエリゼが想像出来ない。

「無理やりにでも着せるつもりだったんだけど、『ずっと女子服で過ごしてきた』って言って即決してくれたんだー。話が早くて助かっちゃう」

 一体どういう育ち方してんだ。魔界には女子服しかないのか。

「クラスについては相談してなかったけど、ここでよかったんだよね?」

「ああ。別のクラスにしたらサポートのしようがないからな」

 恵はうふふ、と再び嬉しそうに笑う。

「お節介さん」

「誰がそうしたのやら」

 俺が微笑みながら肩をすくめると、恵も目を細める。

 朝のホームルームの時間、担任の明石先生がエリゼを後ろに引き連れて、教壇に立つ。クラスはエリゼを見てますます色めき立つ。

 真新しい純白のセーラー服に身を包んだエリゼは、確かに美少女にしか見えない。

 変な話、このクラスでは女子よりも、恵やエリゼといった男の娘二人の方がレベルが高いような気がする。決して贔屓目ではない。

「静かにしろ、噂を聞いたやつはいると思うが、今日からこのクラスに転入生が来ることになった」

 明石先生は頭を撫で回す。スキンヘッドの明石先生は、困惑した時によくそうする癖がある。

「つっても、先生も今朝聞いたばかりなんだがな。さ、自己紹介してくれ」

「は、はひっ」

 エリゼは声を上ずらせながら、恐る恐る明石先生の方を向く。

「先生に自己紹介するんじゃなくて、クラスの皆に自己紹介しろよー?」

 明石先生はけらけらと苦笑しながら言う。明石先生はこう言ってはなんだが、強面だ。

 深夜、コンビニに入っただけで、防犯用のカラーボールを投げつけられそうになったと自ら言う程である。

 生徒たちの間でも「ヤクザ先生」と呼ばれたりする事もあるぐらいだ。実際の先生は、もうすぐ四歳ほどになる娘にデレデレなただのおっさんなのだが。

 多分、そういう所で生徒たちから親愛の意を込めて「ヤクザ先生」と呼ばれているのだろう。

「え、エリゼ・フォン・クラベリーナ・グランデールです!」

 エリゼが名乗った途端に、教室が静まり返る。そりゃそうだ、奇天烈な長ったらしい名前を名乗られたら、普通面食らってしまう。

「おい」

 俺は小声で、後ろの席の恵を小突く。

「もう少し何とかならなかったのか」

「何が?」

「名前だよ名前。皆ドン引きしてんじゃねえか」

 留学生というには少し物々しい名前じゃねえのアレ。特にグランデールのくだりとか。

 明石先生は何食わぬ顔で黒板に名前を書いているが、やはり少し長いしもの凄いファンタジーだ。

「えっと、よ、よろしくお願い、します……」

 当のエリゼ本人は、グランデール等という何だか尊大な名前とは裏腹に、照れか何かで顔を赤く染めながら、声を小さくしていく。

 今思うと、魔王とか何だとかいうイメージとは乖離している。男子の鼻息が若干荒くなっているのを感じ取った。

 明石先生もそれは感じ取っていたらしく、スキンヘッドを撫で回しながらため息をつく。

「あー、悪いニュースともっと悪いニュースがあるぞ男子。どっちから聞きたい?」

「じゃ、じゃあ悪いニュースの方から!」

 細川が慌てたような様子で立ち上がりながら声を張り上げる。他の男子も青ざめた様子で、明石先生の方を凝視している。

 何だってお前らそんなにがっついているんだよ。

「こいつはな、男だ」

 どよめきは少なかった。ああ、そのパターンね、みたいな反応。もう既に「高梨恵」という前例がいたおかげだろう。

 入学当初は、恵の存在で動揺していた奴も、一年たって慣れてしまったという事か。いや、その状況が特殊だって事は俺も承知しているが。

 それどころか、よく見回していると喜んでいる奴もちらほらいるし。

 いくらなんでも訓練され過ぎじゃないか。お前ら、一年の間にどうしてしまったんだ。

「いいニュースだったじゃないですか!」

 細川もその一人だったらしい。全く、この悪友は。いや待て、いいニュースって何?

 いくら何でもそれはおかしくないか!?

「じゃあ、もっと悪いニュースってのは何ですか!」

 野次のような形で、男子から質問が飛んでくる。

「ホームステイ先だが」

 明石先生は依然としてスキンヘッドを撫で回し続ける。

「あー、花房の所、でいいんだよな?」

「ちょっ!?」

 オイオイオイ、さっそく言っちゃうのかよ! てか言う必要ある!?

 俺は思わず立ち上がり、恵の方を見る。

「ど、どういう事だ恵!」

「えっ? ダメだった?」

「いや、いやいやいや! ものすっごい誤解受けてるっぽいんですけど!」

 何かクラス中の視線が痛い! 特に男子からの視線! お前らそんなにがっついてたのか!?

「ホントの事じゃん?」

「だからタチが悪いんだっての!」

 ちょっと男子! 宿敵を見るような顔するのやめて! 女子は女子でヒソヒソ話するのをやめて!

「否定しないんだな」

 細川の言葉に、俺は窮する。その目はやはり笑っていない。

「あの、ボク、迷惑でした?」

 エリゼはエリゼで目が潤んでいる。

「あっ、いや、迷惑じゃないぞ! 全然迷惑じゃない! 問題ない!」

 くそう、こういう時にそういう顔するな! ぎゃいぎゃい騒ぐ教室に明石先生が一言、

「今日も賑やかだな……」

 とため息をつきながら呟くのが聞こえた。いや本当に、勘弁してくれ。

――――――

 予想通り、あるいはそれを上回るレベルで、授業のサポートが大変だった。

 高校二年になったばかりとはいえ、ゴールデンウィークが過ぎたら大体の生徒は授業の内容にある程度は理解をする。そこにいくらかの差があるとはいえ。

 だがエリゼに関しては、例えば数学だとごく普通の四則演算はともかく、少しでも突っ込んだ――例えば小数とか分数とかのようなレベルでさえ――既に未知の領域のようなものなのだ。

 先生の板書を点にした目で眺めて身動き一つしないエリゼは正直言って、見ていられないものだった。

 それに、俺と恵は一つ、致命的なミスを犯してしまっていた。エリゼに日本語の読み書きを教えていなかった。

 漢字の読み方どころか、平仮名や片仮名も。恵も授業が始まるや否やその事に気付いたらしく、後ろの席から俺を小突いて「どうしよう……」と心配そうな顔をしていた。

「とにかく、エリゼが当たらないように祈るしかないだろ」

 としか言えなかった俺も、実際かなり気を揉んだ。ノートに書いた文字とかどうなっているんだろうか。

 やっぱりよくわからない別の世界の言葉の文字でも使っているのだろうか。運良く俺の隣に座っているエリゼのノートを覗く。

 真っ白なまま。あ、あまりに分からなさ過ぎてついていけてないパターンだなこれ。シャーペンも握ってないし。

「あ、あの」

 エリゼが俺の視線に気付いたらしく、小声で声をかける。

「おう」

 俺が応じると、エリゼはシャーペンを目の前に出す。

「これ、どう使うんですか」

 思わず頭を抱えそうになってしまった。異世界転生もののキャラクターはこんな気持ちで主人公をサポートしているのだろうか。

 その後もただただ、理解出来ないような顔で授業を受けるエリゼを見る授業が過ぎていった。

 もしかしたら英語なら何とかなるかもしれないと思っていたが、現実は残酷だ。 案の定、エリゼが元々いた世界とは文字やら文法やらが違っており、他の授業と同じようにぽかんとしているだけだった。

 かなり、まずい。まずは最低限、授業を受けられるだけの学力は叩き込まないと。

 本当に、恵の協力がないとやってられない。俺の成績は言うほどいい訳でもないし。

 俺一人じゃなくて良かった。一人だったらサポート出来ていたかどうか。

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