ボーイ・ミーツ・ガール! -1-
7/12 分割編集を行いました。タイトルも変更しました。
冷蔵庫とは食物の保存に利用する文明の利器であり、どう間違っても人が入っていてはいけない代物である。
いや、普通そうだ。ガキの頃にかくれんぼか何かで隠れようとしたら、母親にこっぴどく怒られるもんだ。
俺、花房隼人は混乱していた。
本来ならば食物しか入っていない冷蔵庫から、気絶した美少女が出てきたからだ。
謎の少女は肩で息をしており、死んでいる訳ではないことは一応わかる。
ただ、黒いマントは泥だらけで、フリル付きの白いブラウスも煤だらけだ。そういうコスプレ、というには少し汚れすぎている気がする。
エンジ色のタータンチェックスカートも所々破れており、ただでさえ短い丈で直視出来ないのに、きめの細かい白い脚がちらちら見えてしまう。
はっきり言って、思春期の男子には目の毒だ。
「おい、おい! 大丈夫か!?」
俺は少女の体を揺らす。あれ、意外と冷たくない。
冷蔵庫の中に入ってそんなに時間が経ってないのだろうか。俺の視線は開かれたままの冷蔵庫と美少女を往復する。
冷蔵庫の中は食材で埋まっており、小柄とはいえ、少女を詰め込む程の余裕はない。
いや、誰かが入っていた跡も何もない。
「おいおいおいおい、何なんだよ一体!」
水でも飲もうとしてキッチンに来たら、冷蔵庫から気絶したコスプレ美少女が出てきた。
うん、そんなドッキリ番組聞いた事ないぞ。そもそもそんな番組のターゲットにされる心当たりもない。いや、ドッキリだとしても趣旨が理解出来ない。
一人で騒いでいたからだろうか、廊下をばたばたと駆けてくる足音に気付くのが少し遅れた。
「はーちゃん、どうしたの? 一人で漫才なん……か……」
長い黒髪の華奢な少女が顔を覗かせたまま固まる。
「恵、それは、その、なんだ」
俺の幼馴染みである高梨恵は俺と気絶した少女を交互に見る。
その目は困惑の色を見せている。ドッキリの仕掛け人という訳ではないようだ。
「落ち着いて聞いてくれ。物が詰まった冷蔵庫から女の子が出てきた」
「……え?」
恵は更に困惑した様子で俺を見る。そりゃそうだ、俺だって困惑してる。
まるでマンガかラノベみたいな出来事が起きたんだから。
「もしかしてドッキリ?」
「こんな趣味の悪いドッキリ、こちらから願い下げだ」
だよねえ、と恵が考え込んだところで、気絶した少女が呻き出す。
小声で何か言っているようだが、あまりよく聞こえない。
俺と恵は目を合わせると同時に頷く。
「とにかく、リビングのソファに寝かせておくか」
「そうしよっか」
恵はまじまじと少女の顔をのぞき込む。
「はーちゃんの恋人、って訳じゃないよね?」
「わけあるか、初対面だよ」
冷蔵庫から出てくる恋人ってなんなんだ。
少女が上体を思い切り起こしたのは、俺と恵がリビングに運びこんで十分と経たないうちだった。
少女は周りを見た後に、俺たちの方を向く。茶というよりかむしろ赤に近い髪は肩の高さで二つに束ねられ、不安げな瞳は黒とも緑とも言えないような色に輝く。
現実離れしていた。有り体に言うならば、人形のようだ。
恵も俺と同じく、息を呑んでいるようで、少女を見て動きを止める。
「あの、ここは――」
「可愛いー!」
少女が俺たちに声をかけるのと恵が動き出したのは同時だった。
恵は、まるで少女を押さえ込むように抱きつく。女子がよくやるスキンシップみたいなものだろうか。
「こら、恵、いきなり抱きつくのはどうかと思うぞ」
俺が少女から恵を引き剥がしてたしなめる。こういうのは良識を持った俺がやっておかないとな、うん。
恵は不満そうに唇を尖らせながら、俺の方を睨む。
「もしかして嫉妬?」
「馬鹿言うな。困ってるじゃないか」
顔を赤くして俺と恵を見ていた少女は、消え入りそうな声で「あ、あの」と困惑した表情を浮かべている。
「悪いな。俺は花房隼人。で、さっき抱きついてきたこいつが」
「高梨恵、だよ」
「は、はあ。お二人とも珍しい名前ですね」
少女は再び周りを見渡す。なんてことない普通のアパートの一室のはずだが、その目はまるで未知との遭遇、といった感じだ。
「ボクはエリゼ・フォン・クラベリーナ・グランデールです」
「エリゼ、え?」
外国人かよ!? しかもなんか長ったらしい。
まるでどこぞのファンタジー世界みたいな響きだ。
「あの、ここは何処ですか?」
「いや、俺んちだけど」
「エリゼちゃん、だっけ? はーちゃんちの冷蔵庫から出てきたの覚えてない?」
恵の言葉に、エリゼと名乗った少女はしばし考え込む。そこまで考え込むような事でもないだろ。
実際、冷蔵庫から出てきたんだし。
「あの、レイゾウコ、とはなんですか」
「え?」
冷蔵庫ぐらい分かるんじゃないか? この子、日本語が堪能なのに、微妙に単語が通じないのか?
いや、なんなんだこの状況。恵が英単語やらジェスチャーやらを交えて説明しているが、一向に通じる気配がない。
しかし、ご大層な名前で日本語のコミュニケーションが出来るのに、「冷蔵庫」という単語が通じないのもいまいち納得がいかない。
少なくとも、何処かの途上国出身という訳でもなさそうだし、名前も何だかまるで王族か何かみたいに長ったらしくて物々しいし。
いや、マジで王族かもしれない。嫌な予感がしてきた。俺はわざとらしく咳払いをして、少女の方を向く。
「失礼な事を訊くが、お前は何者だ?」
少女は俺の質問を受け、表情を引き締める。真っ直ぐ俺を見据え、意を決したようにゆっくりと口を開く。
「――ボクは、故ロブレ帝の後任となる魔王です」
……は? いや、王族かなとは思ってたけど、魔王ってなんですか。ちょっと待って、予想の斜め上だったんですけど。
いや、魔王ってなんですか。しかし、エキセントリックな回答をした少女は嘘をついているようには見えない。
依然として俺をじっと見据え、真顔のままゆっくりと呼吸している。
「えーと、そういう設定?」
恵が恐る恐る少女に訊く。まあ普通はそう思うよな。俺も返答を飲み込めていない。
「設定……? それはどういう事ですか」
想定していた返答と違うのか、少女はきょとんとした表情を見せる。
マジか。重症か本物か。
「つまり、でまかせじゃないかってこった」
「そんな! 嘘じゃないです! どうやって証明したものか……」
俺の言葉にあたふたした少女は、何かを思いついたように手を叩き、右手を前に差し出す。
白く、細い指。つるりとした肌は作り物と見間違うほどに綺麗だ。
「本当は魔力の調整があまり出来ないんですけど」
なんか不穏な事言ったな今。マンガとかラノベとかだったら、天井が炙られちゃうパターンだよなこれ。
ちょっと待て、賃貸住宅でボヤ騒ぎとか本当にシャレにならんぞ。
「いきます」
「ちょっ!!」
俺の心配をよそに、少女は指をぱちんと鳴らす。待て待て待て、大家さんになんて説明するかまだ決めてない――。
「……あれ?」
少女は焦った様子で再び指を鳴らす。ぱちん、と指がなり、それだけ。
三度、四度。少女は慌てた様子で指を鳴らし続けるが、ぱちん、ぱちん、と指が鳴る音がする以外は何も起きない。
「えー、と?」
えっ、何これ? 俺がビビり過ぎてただけなのこれ? 恵もまた戸惑った様子で俺の方を見る。
「な、何か起きるはずだったの?」
恵が少女に恐る恐る訊く。そりゃそうだ。
何も起きないマジックショーを見せられたら、誰だって訊きたくなるに決まっている。
「え、あの、こう、火が出てくるはずなんですけど」
あー、やっぱりね。下手すりゃ大火事パターンだった訳ね。
少女は何回も指を鳴らし続ける。白い指は鳴らし過ぎたからか、赤くなっている。
「それが、出てこない、って事か?」
やっぱり何も起きない以外はお決まりのパターンだったのか。はい、と少女は消え入りそうな声を出しながら肩を落とす。
流石に諦めたらしく、少女は顔を俯かせる。
「今までこんな事なかったのに……。おかしいです」
思わず俺も腕を組んで考える。心当たりはまああると言えばあるが――。それは同時に、有り得ない事実を一つ、認めざるを得ないという事になる。
だが、抵抗はない。寧ろ、そう考えた方が、今まで話していて感じた違和感に説明がついた。
それだけじゃなく、心の奥底で、「信じたい」と思ってみたくもあったのだ。
「多分だが、エリゼだっけか、ここがお前のいた世界とは違うからだろ」
「……え?」
少女は目を大きく見開き、俺と恵を見る。
「はーちゃんどうしたの、いきなり中二病な事言い出して――」
恵は憐れむような目で俺を見る。止めてくれ、俺も俺で少なからず言い出すのに勇気が必要だったんだ。
「物が詰まった冷蔵庫から出てきて、魔法か何かを使おうとしたんだ。俺だって信じたくないが」
思わず頭を押さえる。
「エリゼ、何かから逃げてきたんだろ」
俺の質問に、エリゼは再び俯く。服がぼろぼろで、煤だらけだったからまさかとは思ったが。
「その、天界の衛兵が攻めてきて、……いちかばちかで転移魔法使ったら。でも、てっきり魔界に繋がっていると思っていたので……」
それが何故か、俺の家の冷蔵庫とつながっていたって事か。途方もなさ過ぎて本当に頭が痛くなってきた。
「で、名前が、えーと」
「エリゼ・フォン・クラベリーナ・グランデールです」
エリゼは一字一句間違えることなく、淀みなく言う。ついさっき名乗った名前と何一つ間違えることなく。
恵がうーん、と唸る。
「はーちゃんはーちゃん、もしかして」
「だから、俺には適当を言っているように見えない」
そっか、と恵は視線を俺からエリゼに移す。見るからに顔を青ざめたエリゼは、俺と恵をせわしなく交互に見る。
「ところでエリゼちゃん」
突如明るい口調に戻った恵が、恐慌に陥っているエリゼに声をかける。
「は、はい」
背筋をぴんと伸ばしたエリゼは、不安げな目で恵の質問を待つ。
「どうして女の子の格好をしてるの?」
エリゼはきょとんとした顔を見せたかと思うと、一気に赤面する。もちろん俺も呆気にとられている。
「あっ、えっと、あの、これは」
図星だったのか。俺はため息をつく。なんだかなあ。
「エリゼ、慌てなくてもいいから。女装している奴は目の前にもいるから」
赤面したエリゼは、俺の言葉を飲み込むのに少し時間をかけたようだ。恵をじっと見ると、驚いたように叫び出す。
「えっ、ええっ! そ、それって、ええっ!? ケイさんも、ええっ!?」
そうだ。高梨恵は所謂「女装」した「男の娘」だ。しかし「恵さんも」って事は――。
「……男だったんだな、お前」
恵も男と判別するのはとても難しい。一見すると本当に「美少女」といった立ち振る舞いだからだ。
幼馴染み贔屓なしでも、このレベルの男の娘はいないだろうと思っていたのだが。
「どう、どう? 両手に花のはーちゃん」
恵が肘で俺を小突く。
「その花は両方とも男なんだけどな」
傍目に見れば確かに両手に花の光景だが、実際は男三人(うち二人は女装)という極めて特殊な構図だ。とにかく落ち着かなければ。
改めてエリゼをまじまじと見る。まつ毛が長く、ぱっちりとした不思議な瞳の目。艶やかな赤茶の髪。珠のような白い肌。可憐な容姿。細い身体。
男の娘というものを恵で見慣れていたつもりだったが、それでも男とは俄に信じ難いルックスだ。男というよりも美少女そのものだ。
現実離れしている。
「あ、あの」
「ん? あ、ああ悪い」
エリゼが視線を外してもじもじし始めた事に気付き、俺も視線を外す。若干気まずい。
「でも、どうするのはーちゃん。この子、魔法が使えないって事は」
恵が俺の肩を叩く。
「あ? ……そうか」
確かに、火も起こせないというならば、転移魔法などは使える訳もないだろう。
どうするべきか。何処かに匿っておくべきなのだろう。
しかし、本当に別の世界から迷い込んだのなら、身寄りもなにもあったもんじゃない。異世界に知り合いがいる訳ないだろうし。
俺の中で浮かび上がる選択肢は一つだし、これから考え抜いたとしても一つだろう。
「ここまで来て追い出す訳にもいかないだろ。向こうに戻れるようになるまで、俺たちで世話を焼くのが道理ってものじゃないか。母さんには俺が説明しておくさ」
ため息交じりに俺は答えた。ただ単純に、個人的に放っておけない。それだけだ。
俺の回答に、恵は優しく、安堵したように微笑む。
「……はーちゃんははーちゃんだね」
「は? どういう事だ」
恵の発言の意図が分からずに、俺は恵に訊く。しかし恵は「知らなーい」と冗談めかしに笑い返す。
「あたしもはーちゃんを手伝うよ。男の娘の気持ちは男の娘にしか分からないからね」
「……手伝ってくれるならまあ確かに心強いな」
俺は恵に苦笑いしながら、エリゼに向き直る。男の娘の気持ちって部分には突っ込んでおかない事にしておこう。
「エリゼ、向こうに戻るまでの生活を俺達がサポートする。どのみちここと向こうじゃ、流儀も全然違うだろうしな」
「で、ですけど」
「決まりだな」
エリゼの返事を聞かずに俺はぽんと手を叩き、立ち上がる。
「はーちゃんって時々こんな感じで強引な所があるけど、気にしないでね」
恵がエリゼにわざとらしく耳打ちするのが聞こえたが、聞こえないふりをする。
「もちろん、高校には行かせるんだよね?」
「え? ああ……」
そういえばその辺りも考えなければならないか。すっかり失念していた。
ボヤを免れた我が家の天井をふと見上げる。何だか嫌な予感がしてきた。
「留守番中に何かの拍子で天井を燃やされても困るからな」
家を燃やされても困るのは確かに本音だが、それ以前にサポートすると言ったのは俺だし、右も左も分からない状態で一人取り残されるのは不安だろう。
それに、電化製品を壊されたり、それが元で怪我されても困るし。
「もー、素直じゃないなあ」
恵はくすくすと笑う。やはり旧来の幼馴染みにはお見通しというわけか。
「恵、お前の父親に取り次ぎしてもらえるか?」
「『はーちゃんのお願い』って言えば大丈夫。すぐに準備してくれると思うよ。はーちゃんは恩人だからね」
恵は優しい顔で微笑む。たまに恵が見せる、心から感謝したような表情は俺を何だか照れくさい気持ちにさせる。
恵から視線を外し、俺は意味なく頭をかく。
「あ、あの、コウコウって何ですか」
おずおずといった調子で、エリゼが俺と恵に訊く。
「学校だよ学校。エリゼの世界にもあるだろ?」
はい、とエリゼは頷く。よかったよかった、それなら話は早い。
「じゃあ何とかなるかもな。数学とか英語とかどのくらいかわからんが」
俺の言葉に、エリゼは首をかしげる。
「……? 初耳です」
俺と恵は顔を見合わせ、互いに血の気が引いているのを確かめる。
うーん、気が遠くなりそうだ。