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冷蔵庫(連作)

冷蔵庫 3.由真

作者: 文絵

「椎名さんが?」


「うん。会いたいって言ってたって。で、今日は授業もバイトもないはずだから、行けそうなら連絡したげてって」


 あたしはいそいそと伝えたのだけれど、シュウくんは特に乗り気にならずに妹のはるちゃんに目をやった。


「出歩くのはまだきついんじゃないかな?」


 こくりと頷いたはるちゃんは、昨日一日熱を出して寝込んでいる。顔色はまあよくなったけど、元気そうとは確かにまだ言えない。


 気が進まないというわけでもないだろう。単純に、純粋に、駄目だということだ。無理かあ、とあたしは呟いた。残念。会いたかった。


 あたしたちは絶賛家出中の小中学生四人組である。放浪中、と言ってもいい。家出にも幾つかパターンがあると思うけど、自分たちで家を借りるわけには勿論いかなかったし、知り合いの家に転がり込むには転がり込める知り合いがいなかった。


 と言いつつ実は、一昨日から知り合いのマンションに泊まり込んでいたりする。別に矛盾じゃない。河野さんと知り合ったのは家出した後なのだ。あたしたちが家出中なことも知っていて、行く当てがなくなったらいつでもおいでと言ってくれている。なんで、時々甘えるわけ。


 今日は朝一で授業があると出かけてしまったけれど、出がけに椎名さんのことを言い残していった。一緒の大学に通っている、河野さんの幼馴染み。共通の知人ってやつだ。


 ……会いたかったなあ。今日を逃したら、ひょっとしたら今回は会えないかもしれないのに。


 と、思い切り顔に出ていたんだろう。行ってくるといいよ、とシュウくんが言った。


「何も四人揃ってじゃなくてもいいんだから」


「あ」


 そか。


「概は行くかい?」


「えー! 月島君と二人?」


「行くか!」


 微妙すぎるんだけど、と続ける前に月島君が切り捨てた。


 シュウくんと月島君は友達だけど、あたしやはるちゃんと月島君もそうかというとかなり微妙だ。仲間って言っちゃえば嘘じゃないけど、四人ならともかく二人で出歩くかっていうと、ねえ。


 シュウくんはまじまじと月島君を見た。


「椎名さんに失礼だろう」


「そっちじゃねえよっ」


「岡野さん、椎名さんの番号は」


「あ、うん、わかる」


「無視すんな!」


 そっちはシュウくんに任せて、リビングの電話に手を伸ばす。大学生の河野さんは携帯電話を勿論持っているけれど、固定電話も普通に置いてあるのである。


「椎名さん? 由真ですー」


〔ああ、由真ちゃん。恵のところに来てるの?〕


「なんでわかるの?」


〔恵より先にわたしに連絡してきたことってないもの〕


 そういやそうか。


〔元気そうね〕


「はるちゃんが元気じゃないの。あたしだけで行ってもいい?」


〔今日明日しかいないわけじゃないんでしょ?〕


「うん。昨日一昨日もいたよ」


「行ってから喋りゃいいと思うのよ、俺は」


 うるさいな。


〔どうかした?〕


「ううん、ただの月島君」


「てめ」


 待ち合わせ場所を決めて、あたしは一人マンションを出た。


 何か変な感じだ。あたしと椎名さんと、二人だけで会うなんて。基本的には四人でいるっていっても、二十四時間一秒たりとも離れないってわけじゃないし、何時にどこに集合って決めて、一時解散自由行動、ってこともちょくちょくあるのに。


 あれかな、河野さんとか椎名さんとか、四人一緒にいるときに知り合った人と会うときが、いつも四人一緒なのかな。自分個人の知り合いじゃなくて、『四人』の知り合いみたいな感じなのかもしれない。


 まあ、そんなことはどうでもいいや。早く行こ。椎名さんのことだからきっと先に着いてる。あんまり待たせちゃ悪い。




 椎名さんの奢りで喫茶店に入った。


 ちなみに、河野さんの部屋にはよく泊まるけど、椎名さんの方には遊びに行くだけで泊まったことはない。まあ簡単に言うと、河野さんはお金持ちで椎名さんは普通なのだ。河野さんの部屋には四人でも泊まれるけど、椎名さんの部屋だと普通に狭い。


「でね、財布までなくしてきたんだよ月島君たら」


「困ったことね」


「ていうか、今気づいたけど、新しい財布も買わなきゃいけないんじゃん」


 あーあ、これだからあの人は。


 四人いればみんなで喋るけど、今日は一対一だから、口を動かす量が普段より多い。すごいお喋りになった気分だ。河野さんは自分でもいっぱい喋って、月島君とやり合ってやり込めてたりするけど、椎名さんは結構聞き役に回る。まあ今は月島君がいないから、何やってんのよと呆れてみせて遊ぶわけにもいかないんだけど。


 といって別に無口だったり、自分から話を始めることがなかったりするわけじゃない。一息吐いて冷めかけている紅茶に口をつけたとき、


「そういえば、由真ちゃんって何年生なんだっけ? 本当は」


 椎名さんがふと尋ねたことには、何だろうとも思わなかった。


「六年生。学年上がっちゃったよ」


 肩を竦めてあたしは笑った。飛び出したのは五年生になってすぐだから、一年経ってしまったことになる。早いなあ。


「じゃあ、秋樹君たちは中学二年生?」


「うん。本当は来年受験だね」


 気安く答えて──椎名さんの表情に、やっと気がついた。


 あたしの表情も変わったらしい。椎名さんは姿勢を正した。


「折角二人なんだから、秘密の話しましょうか。由真ちゃんは」


 どう訊こうか考えるように、そして考えるのをやめたように、一瞬だけ間が空いた。


「いつまで、そうしてるつもり?」


 ──いつか訊かれるんじゃないかと思ってた。


 家出なんてよくない、反省して帰りなさいとは、椎名さんも河野さんも言わない。やっぱり帰ることにしました、今までありがとうとあたしたちから言い出すのを、でも、もしかしたら待ってるのかもしれない。いつまでも言い出さないことを、予定と違うと思ってるかもしれない。


 いつまでって、意味としてはそれだけなんだけど。つもりっていうのも、あたしの意思ってだけなんだけど。……否定的な言葉じゃ、ないはずなんだけど。


「……シュウくんは焦ってないもん。あたしより先にヤバくなるけど焦ってないもん」


「そういう点では、秋樹君が当てになるとは限らないわよ。自分のことは諦めてるかもしれないわ」


 ぼそぼそと答えれば、椎名さんは指摘した。ありうる話で、あたしは黙る。シュウくんにはそういう、自分のことを無視するところがある。


 シュウくんが大事にしているのは妹のはるちゃんだ。はるちゃんが中学生になる頃か、高校受験を考えるはずの頃になったら、絶対に何とかしようとするだろう。でも、それだとあたしには一年遅い。


 あたしのために一年早く、何とかしようとしてくれるかというと――自信はない。あたしはシュウくんの妹じゃない。友達だとは言えなくもないけど、どっちかっていうと、シュウくんのというよりも。


「……どうすればいいって言うの」


 あたしは椎名さんを睨んだ。


「いい加減うちに帰ればって思ってる? 言っとくけど帰れるようなとこじゃないんだからね」


 家出家出と言っているけれど、出てきたのは本当は家じゃなくて施設だ。手や口を使った暴力をしょっちゅう振るわれた。いつまでもここにいるわけじゃない、出ていける年齢になるまでの我慢だと言い聞かせて──待てなくなって。


 飛び出すしかないから飛び出したのだ。その後はどうするつもりかなんて訊かれても困る。そんな先の計画が固まるまで待ってる余裕なんてなかった。


「責めてるんじゃないのよ。……訊き方が悪かったわ」


 椎名さんも困ったような、そしてちょっと寂しそうな、それから何故か悔しそうな顔をした。そうだ、あの訊き方は悪い、と思う一方で、三つ目の表情の理由がわからずにあたしは少しきょとんとした。


「どうしてあげれば一番あなたたちのためになるのか、わたしたちもわかってないのよ。だからせめて希望通りにしてあげたいんだけど、それはそれで、的確な判断を下しなさいって言ってるようなものね」


 自分じゃわからないくせに、と年上である大学生は苦笑した。


 ……そうか。誰も言ってないんだ、家出の事情。……シュウくんが言ってないなら、あたしが勝手に言うことないよね。


「でもね、一般的に考えて、学校に行ってないのは損なの。通ってるだけで後が全然違うの。特に、中学までは義務教育だし」


「……そういうの、シュウくんが決めることだから」


 紅茶のカップに視線を逃がす。兄妹じゃなくても、リーダー格はシュウくんだ。……シュウくんの役だ。


 少ししてから一言だけ、そう、と静かに呟いて、椎名さんはそれ以上続けなかった。




 河野さんのマンションに帰る足取りは軽くなかった。


 追及はされなかったけど、椎名さんはそもそもあたしがどうしたいのかを訊いたのだ。あたしはそれを四人のことにして逃げたわけだけど。


 ――四人。そうなったのは成り行きだ。


 脱走計画を立てたのはシュウくんだった。妹のはるちゃんだけを道連れに。そのはるちゃんの様子がおかしいのに気づいて、どうしたのと尋ねて計画を聞いて、あたしも入れてよと言ったから、今あたしはこうしている。入れてと言ったら快く入れてくれたけど、はるちゃんやシュウくんの方から誘ってはくれなかった。


 仲間って言っちゃえば嘘じゃない。でも、その枠を外すとあたしは何でもない。


 考え込んで歩いていて、うっかり赤信号を渡りそうになった。クラクションが鳴って慌てて飛び下がり、二つの信号を見直した拍子に、横断歩道の隣りにあった電話ボックスが目につく。……なんでこんな、最後のチャンスみたいなとこに。


 ここを渡ればマンションはすぐだ。河野さんの部屋にはみんながいる。部屋に戻れば、あたしは『四人』の一人になる。


 ――どうして四人じゃないときに話したんだろう。


 シュウくんとはるちゃんは兄妹だけど、あたしと月島君は知人や友人でしかない。あたしたちが『四人』なのは一緒に行動しているからだ。本当は三人のはずだったかもしれないし、五人になるべきだったかもしれない。一緒に行動するのをやめれば『四人』の根拠はなくなる。


 今は四人でいる。根拠がなくても四人でいる。抜けようとしなければ、崩そうとしなければ、このまま『四人』でいられる。その代わり、一旦抜けてしまったら、戻れるかどうかはわからない……ような。


 車の流れが止まった。車の信号が黄色から赤になり、人の信号が青になった。


 ――どん、と背中を押されたように、あたしは電話ボックスに飛び込んだ。財布を取り出し、十円玉を取り出す。逸る手が間違えないように、暗記している番号を気をつけながら押す。数回のもどかしい着信音の後で、電話を取る音がした。


「椎名さん」


〔由真ちゃん? どうしたの?〕


 応答を待たずに呼びかければ、戸惑った声の返事があった。もし、と言いかけて一瞬躊躇う。


「シュウくんたちとはぐれたりして一人になったら――あたし一人しかいなくても、助けてくれる?」


 間があった。


〔約束するわ。恵も、わたしも〕


「……うん」


 ありがと、それだけ、と告げて、あたしは受話器を置いた。悪いことをした後のように心臓がばくばくしていた。


 今のままでいたかったら、今のままでいなくちゃいけない。『あたしたち四人』を助けてくれる人がいるなら、『四人』にしがみついてなきゃいけない。そんな気がしてた。


 でも、本当はそんなことはなくて。根拠がないと思うあまりに、あたしが勝手に縛られてるだけのことで。


 あたし一人だけでもいい。あとの三人がいなくてもいい。四人一緒でなくてもいい。あの中に戻れなくなったとしても、今ある全てから見捨てられるわけじゃない。


 ――それは、ほっとしていいこと、なんだろうか。


 ガラス戸にもたれて息を吐いた。落ち着くまでもうちょっとここにいよう。このまま帰ったら、何かあったってシュウくんに見抜かれそうだ。……見抜かれて困るようなことはないはずだけど。


 信号が変わって、車がまた流れ出した。

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