かわいい いけにえ ~少女は死地へと旅立った~
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ご都合主義のゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります。
「太陽の光のもと、そなたは選ばれた。一年後、そなたにはオフランドとしてソレイユ山へと向かってもらう」
突然、教会を訪れた国王がそう言った。
「え、なんのために?」
村長と女性神官に聖堂に呼ばれ、心の準備もなく国王の御前に連れてこられたペッシュは驚いて、思ったことをそのまま口に出してしまう。しまった、と思ったが、国王の後ろに控えている護衛騎士や側近たちはぴくりとも動かず、神官は片眉を少しだけ上げた。村長だけが「こら」と口だけを動かし、ペッシュに向けて険しい表情をしてみせた。
「この国の安寧、そして、この村の繁栄のために。オフランドとは、そういうものなのだ」
国王はペッシュの不躾に気を悪くした様子もなく、静かに言った。
「一年後に出発するとして、どのくらいでこの村に帰ってこれますか?」
とりあえず旅に出ることは飲み込んだペッシュの問いに、国王は黙り、護衛や側近たちはやはり動かず、神官はペッシュから目をそらした。村長はきょとんとした表情で首を横に振った。ペッシュは賢くはないが、馬鹿でもない。そんな大人たちの様子で、旅に出たらもう帰ってくることはできないのかもしれない、と、ぼんやりと理解した。
ほんの小さな王国の、もっと小さな村。ペッシュはそこで生まれた。
四歳になったころに、両親やまだ赤ん坊だった弟と引き離され、村の教会へと連れてこられた。そこで現在までの十年間、ペッシュは、同じように連れてこられた三人の少女たちと、女性神官やシスターたちのもとで共同生活を送ってきた。この国は、太陽を神として信仰しており、教会で暮らす少女たちは毎朝、東の空に感謝の祈りを捧げた。
ペッシュを含む四人の少女たちは皆、姿が良かった。四人の少女たちは、自分たちが「オフランド」を選ぶために集められたということを知っていた。オフランドに選ばれるということはとても名誉なことだということも。しかし、オフランドがどういうものなのか、少女たちは知らなかった。ただ、なにか「よいもの」だとは思っていた。
時折、王都から視察と称して国王一行が訪ねてくることがあり、オフランドを選ぶためだということ以外は知らされなかったが、そういうものなのだと、少女たちは教わり、この生活をあたりまえのこととして受け入れていた。
そして、ペッシュは選ばれ、オフランドとなった。オフランドに選ばれた少女は、一年後にはソレイユ山を目指して、旅立たなければならない決まりのようだ。そういうことを、ペッシュはオフランドとなってから初めて知らされた。ソレイユ山は、この国でいちばん高い山で、「神の山」とも呼ばれている。この国では、神とは太陽のことだ。ソレイユ山は太陽にいちばん近い山で、だからその山頂は聖域とされている。
「さっそく準備を始めなくては」
国王が帰路に就いたあと、はりきったように村長は言い、女性神官はシスターたちに指示を出し始め、ペッシュは他の少女たちから隔離された。
隔離されたペッシュが女性神官から受けた説明は、こうだ。
一年後、新しい国王が誕生する。現国王が退位し、その息子である王太子が新国王となるのだ。新国王即位に際して、ソレイユ山の頂上にある聖域、「太陽の庭」で、太陽神に王国の安寧を祈る少女を「オフランド」と呼ぶ。そんな大役をペッシュが仰せつかったのだという。
このオフランドについての詳細は、集められた少女たちには秘匿にされており、オフランドとなる少女が決まった時点で明かされることとなっている。どうして? とペッシュは尋ねたが、昔からそういうことになっているから、ということだった。
とにかく、この村からオフランドが選ばれたということは、村にとっても大変名誉なことらしい。
村長や神官、シスターたちは頬を上気させ興奮している様子だった。
以来、ペッシュの生活は一変した。四人部屋から一人部屋に移されただけでなく、いままでの芋中心の食事とはくらべものにならないくらいの豪勢な食事が出されるようになった。芋料理も引き続き出されるが、新鮮な野菜料理や穀物の粥、豆をやわらかく炊いたもの、そして肉料理が惜しげもなくペッシュに振舞われるようになったのだ。
さらには、運動の時間が増えた。特に足腰の筋肉を鍛える運動をいままで以上にやらなければならなくなった。ソレイユ山へは長旅になるため、体力をつけなくてはいけないらしい。
ある日、いつも食事を運んでくるシスターに、ペッシュは尋ねてみた。
「いまの王様が即位したときも、わたしみたいな誰かがオフランドとして太陽の庭へ旅立ったのよね?」
「ええ、そうよ。そう聞いているわ」
「わたしのすぐ前のオフランドって、その子?」
「そのはずよ。私もそのころにはまだ生まれてもいなかったけど。新しい王様が即位するときは必ず、王国でいちばん健康で美しい少女がオフランドに選ばれて、太陽の庭へ行くの。そして、太陽神様に王国の安寧を祈るのよ」
ペッシュよりも少しだけ年上でおしゃべりなシスターは、そう説明してくれた。
「それってつまり、わたしって、王国でいちばん美しいってこと?」
ペッシュはうれしくなって言った。
「ええ、そのとおりよ」
シスターは微笑ましそうにペッシュを見る。
「他の村にも、こんなふうに、わたしたちみたいに女の子が教会に集められて暮らしてるの?」
「そうよ。美しくて健康な女の子たちが、他の村でも集められているわ。そんな女の子たちの中からオフランドに選ばれたのだから、すごいことよ」
頭の良し悪しや性格の良し悪しなどは関係なく、美しく健康な少女がオフランドに選ばれるという。つまり、ペッシュが選ばれたのは、健康だったからであり、この村どころか、この国でいちばん美しい少女だったからのようだ。ペッシュは、少し誇らしく思う。
「前のオフランドの子は、ずうっと太陽の庭にいるの?」
「そうなんじゃない? 前のオフランドに限らず、オフランドが帰ってきたなんて話は聞かないもの。太陽の庭では、太陽神様のもと、なに不自由のない暮らしが約束されているって聞いたわ。きっと帰りたくないくらいいいところなのよ」
「でも、家族に会いたくないのかな」
「それは、会いたいだろうけど……どうなんでしょうね。私にはわからないわ」
会話はそこで終わってしまった。
四歳で家族と引き離されてしまったペッシュだったが、これまで一度も家族に会えなかったわけではない。月に一度、教会の敷地内でのみ、家族との面会が許されていた。ひと月ごとにどんどん大きくなる弟はかわいかったし、親元が恋しくなかったわけではないが、そういうものだと教えられていたということもあり、また、同じ境遇の少女たちとの生活は楽しく、寂しさはまぎれた。だが、家族に会いたいという気持ちは胸の内にずっとあった。他の少女たちだってそうだったと思う。そんな家族に会いたいという気持ちが消えてしまうくらい、太陽の庭は楽しい場所なのだろうか。
ペッシュはシスターが食事を運んでくるたびに質問を投げかけ、少しずつ情報を集めていった。
「わたし以外の、他の子たちはこれからどうするの?」
「それぞれ、よいお家にお嫁に行くのよ。他の村の子たちも同じ。王様が良い嫁ぎ先を選んでくれるんですって」
「わたしは、ひとりで旅に出なきゃいけないの? そんなの怖いよ」
「大丈夫、ひとりじゃないわ。太陽の庭での祈りの儀式を行う人がひとり、王国の騎士様がひとり同行するらしいわ」
「それってどういう人?」
「儀式を執り行うのは男であってはならない、という決まりがあるから、女の人じゃないかしら。騎士様は護衛とかそういう役目だと思うから、強くてたくましい男の人だと思うわ。私も、実際にオフランドの旅立ちに立ち会うなんて初めてだから、よく知らないけれど」
「神官様や、シスターたちはついてきてくれないの?」
「私たちは行けないの」
「そんなの、寂しいよ」
「そうね」
ひとりで旅をしなくてもいいということにはほっとしたが、知らない人と長い旅をしなくてはいけないというのは、少し不安だ。とはいえ、村から出たことのないペッシュは、旅立ちにわくわくしてもいた。
よく食べ、よく寝て、よく動き、ついに、ソレイユ山へと旅立つ日がやってきた。
「『国王の番犬』って呼ばれている、国王直属のすごい騎士団からいらしたすごい騎士様らしいわ。きっとお強いのね」
朝ごはんを運んできてくれたシスターが言った。
「そうなんだ。すごいね」
ペッシュは感動したように相槌を打ち、旅に同行する騎士がどうやらすごい人だということだけを理解した。
旅の支度などは村長や女性神官やシスターたちが一年をかけてすべてやってくれたので、ペッシュはなにもしなくてよかった。
東の空に感謝の祈りを捧げたのち、いつもよりも甘い芋と豆が多めの朝ごはんを食べ終わると、いつもの木綿のワンピースの上から羊毛で織った布で仕立てられた上等そうな白い服を着せられた。これがオフランドの正装らしい。袖や丈はペッシュにぴったりだったが、大きさはかなりゆったりとしており、その形は女性神官の正装と似ていた。違ったのは、ペッシュの服には襟元や袖や裾に芋の蔓のような美しい刺繍が金色の糸で施されているということだ。自分が特別な存在のように感じて、ペッシュは少しどきどきしていた。シスターが髪の毛を一つに編み込んでくれて、いつもはしない化粧もしてくれたのがうれしかった。
「こちらが旅に同行していただく、おふたりです。ペッシュ、ごあいさつなさい」
女性神官に言われ、
「おはようございます」
ペッシュはあいさつをした。
「わたしはペッシュといいます。十五歳になりました。旅の間、お世話になります」
聖堂に連れてこられたペッシュが女性神官に紹介されたのは、どこかで見たことのある髭の中年男性と、初めて見る小麦色に焼けた肌の青年だった。ふたりとも、ペッシュのあいさつに、礼の姿勢を取って応えた。
中年男性のほうは国王が教会に訪れる際の護衛騎士の中にいつもいた人物だ、と、ペッシュは思い出す。騎士も青年もゆったりとしたローブを着ていたが、騎士のほうは帯剣していることがペッシュにもわかった。さらに、その肩には鳥がいた。成猫くらいの大きさで、まるっこい顔、まんまるな目、茶色い翼のかわいい鳥だ。
「名前はなんていうの?」
ペッシュは肩の鳥と騎士の顔を交互に見ながら尋ねた。
「シアンだ」
騎士が答えた。
「シアン、おいで」
ペッシュは鳥に向かって両手を伸ばした。
「すまん。シアンは私の名で、この鳥の名は、フザンだ」
騎士、シアンが気まずそうに言う。
「あら。ごめんなさい、シアンさん」
シアンの様子がおかしくて、ペッシュは思わず、うふふ、と笑った。
「フザン、おいで」
改めて、鳥に声をかける。
「噛まれるといけないから、あまりかまわないほうがいい」
シアンに言われ、ペッシュはフザンに伸ばしていた両手を引っ込める。
「フザンは噛むの?」
「噛まないよう躾けてあるが、絶対ではない。オフランドに傷がついてはいけないからな。足の爪も危ない」
「そのくらい大丈夫よ」
「いや、オフランドは傷一つない状態で太陽の庭へ送り届けなくてはならないのだ」
「そうなんだ」
そんなの無理そう、とペッシュは思ったが言わないでおいた。
「あなたの名前は?」
焼けた肌の青年のほうに顔を向け、ペッシュは尋ねる。青年は不貞腐れたように口をつぐんだまま答えない。もしかしたら、言葉が通じないのだろうか、そう思っていたら、
「彼は、サンジュ。司式者だ」
シアンが代わりに答えた。
「シシキシャって?」
初めて聞く言葉だ。
「祈りの儀式を執り行う者のことだ」
「えっ、それって女の人じゃないの? 男の人ではだめだって聞いたわ」
ペッシュはシスターから聞いた話と、目の前の青年の存在に矛盾を感じて言う。
「そんなことまで知っているのか」
シアンは目を見開いた。知っていてはいけなかったのだろうか、と思い、ペッシュはもじもじと下を向く。
「サンジュは、儀式のために生殖器官を潰されている。もう男ではない」
シアンの言葉にぎょっとしたペッシュは顔を上げた。女でもないが、と、つけ加えられた言葉は、耳を素通りする。
「潰されて……?」
思わず漏れた言葉は震えていた。
「え……そんな無茶なことしていいの……?」
シアンもサンジュも、なにも言わない。
「男であってはならないって、そういう感じでいいの……?」
「女では、長旅は難しいからな」
シアンは、ペッシュの疑問を言外に肯定した。
「わたしも女だけど」
「オフランドは、美しく健康な少女でなくてはならない。オフランドの代わりはいない。それに、オフランドのことは我々が守るので問題はない。女がひとりのほうが守りやすい」
我々、というのはサンジュも入っているのだろうか、と、ペッシュは無表情のサンジュの顔を見る。なにを考えているのかわからない。
「そういうものなの?」
「そういうものだと思ってほしい」
シアンは言った。
どうやら、太陽の庭への旅はあまり楽しいものではなさそうだ。ペッシュのわくわくしていた気持ちは、少ししぼんでしまった。
聖堂を出ると、前の広場には馬二頭で引く幌馬車が準備されていた。
「馬だ! きれい! 大きい! かわいい!」
ペッシュは馬に駆け寄った。フザンを肩に乗せたシアンと、無表情のサンジュが後を追う。
「さわってはいけない」
シアンが言った。
「嚙まれるといけないから?」
「そうだ。それに馬が驚いて暴れるといけない」
ペッシュの問いにシアンはうなずく。
「名前はなんていうの?」
「馬の名前か?」
シアンが注意深く問い返し、サンジュは不貞腐れたような表情のまま眉間のしわを深くする。
「そう」
ペッシュがうなずくと、
「茶色いほうがルモン、白いほうがフルーヴだ」
シアンは馬たちの名前を教えてくれた。
「よろしくね、ルモン、フルーヴ」
鳥や馬と旅ができるなら楽しいかもしれない。ペッシュのわくわくした気持ちは再び復活する。
「ペッシュ、じっとしていなさい。もうすぐ国王陛下がお越しです」
「はい」
女性神官に言われ、ペッシュは居住まいを正した。
聖堂前の広場で国王に祝福の言葉をいただいたのち、ペッシュは旅立つ。そう説明を受けていた。
ペッシュの旅立ちを祝おうと、聖堂前の広場には村人たちが集まっており、皆、楽しそうにはしゃいでいる。ペッシュはその中に両親と弟の姿を見つけ、大きく手を振った。
「じっとしていなさいってば」
女性神官があきれたように言った。
国王が到着し、女性神官がペッシュを誘導し立ち位置を調整する。聖堂を背に、ペッシュの目の前に立つ国王が、ペッシュの額に手をあて口を開いた。
「太陽の光のもと、そなたは選ばれた。太陽神様のもとで祈りを捧げるのが、オフランドであるそなたの役目である。この国の安寧を、そして、そなたの故郷の繁栄を。太陽神様はそなたの祈りを、きっと聞き届けてくださるだろう」
国王は、朗々と言葉を紡ぎ終わると、ペッシュの額からてのひらを離した。
「ごこうじょうをたまわり、深く感謝いたします」
ペッシュは、女性神官から教えられていたとおりの言葉を意味もわからずそのまま返し、礼の姿勢を取った。
「家族と離れるのは不安であろう。そなたの家族やこの村のことは私が責任を持つ、安心するがいい」
「ありがとうございます。どうか、よろしくお願いします」
国王の言葉に、ペッシュは心からそう言った。
旅立ちを祝う式典のようなものが終わると、ペッシュは共同生活を送ってきた三人の少女たちに囲まれた。
「いっしょに暮らせて楽しかった。寂しくなるわ」
「手紙を書いてよ。でも、届けてくれるのかな?」
「わたしたちのこと、忘れないでね」
口々にそう言って、涙ぐむ少女たちにペッシュは笑顔で応え、ひとりひとりとしっかりと抱き合った。
神官は真面目な表情で祈っている。
「道中、気をつけるんだぞ。うまいものをいっぱい食べさせてもらえ」
村長は力強く言い、ペッシュの頭を撫でた。
最後に両親に抱きしめてもらい、照れて嫌がる弟をペッシュのほうから無理矢理に抱きしめると、
「いってきます」
ペッシュは言った。寂しいと思ったけれど、笑顔で言った。
「元気で暮らすのよ」
「寂しくなったら帰ってくるんだぞ」
両親が言う。
「元気でね、お姉ちゃん」
弟が小さな声で言った。泣きそうになったが、ペッシュは笑顔で手を振った。
シアンは御者の役割も兼ねているらしい。乗り込んだ幌の中には、ペッシュとサンジュだけという状態だった。積み込まれた荷物がスペースの三分の一を占めているが、羊毛でつくられたふかふかの敷物が敷いてあり居心地はよさそうだ。しばらくすると、フザンが歩いて幌の中に入ってきた。
「おいで、フザン」
ペッシュが手を伸ばそうとすると、サンジュがフザンを抱いて、自分のほうへ素早く引き寄せてしまった。フザンはおとなしく、サンジュの尻のあたりに身を寄せてそこに落ち着いた。旅の間に、一度くらいはフザンをさわれるだろうか。悔しくなったペッシュは、寄り添うひとりと一羽を見ながらそんなことを考える。
「サンジュは、どうしてこの旅に同行することになったの?」
「選ばれたからだ」
ペッシュの問いに、サンジュは短く答えた。
「わたしと同じね」
そう言いながら、初めてしゃべったわ、とペッシュはサンジュの顔を見た。言葉が通じないわけではなさそうだ。サンジュは、さっきまでの不貞腐れたような表情はしておらず、だが、少し怒ったような表情でペッシュを見返してくる。
「なによ」
「べつに」
幌の中の雰囲気はよくない。とりあえず、この正装を解いてしまおうと、ペッシュは白い服を脱ぎ、いつもの木綿のワンピース姿になる。白い服は、しわにならないように丁寧にたたんだ。動きやすくなったが少し寒い。そう思っていたら、
「風邪をひく」
そう言って、サンジュが荷物の中から羊毛のストールを出してきてペッシュに差し出した。
「ありがとう」
礼を言ってストールを肩に巻きつけながら、ペッシュはサンジュの左手の内側に絵が描かれているのに気づいた。
「それ、ミツバチ? かわいいね」
ペッシュはほめたつもりだった。しかし、サンジュは左手首のミツバチの絵を右手で隠すようにして両手を腹のあたりに引っこめた。
「どうして隠すの? 気に入ってないの? その絵、かわいいよ」
サンジュはじっとペッシュを見る。怒っているのか、困っているのか、どちらともとれるような表情をしている。なにを考えているのかよくわからない。
「あんた、これの意味を知らないのか?」
「意味があるの? ミツバチがかわいいから絵を描いたんじゃないの?」
ペッシュの言葉にサンジュはうつむき、逡巡する様子を見せたあと、
「これは奴隷の印だ。消えないように彫られたんだ」
ため息を吐くようにそう言った。
「どういうこと? サンジュは奴隷なの?」
「そうだ」
奴隷という存在がいることは知っていた。しかし、実際に見るのは初めてだ。
「俺は、ちょっと器用で体力があって、それで、生殖器官を潰されても問題のない奴隷だから、この旅に選ばれた」
「そうなんだ」
話を聞きながら、サンジュが奴隷だから生殖器官を潰してもいいと判断されたことに、ペッシュはなんだか嫌な気持ちになった。奴隷だろうがなんだろうか、生殖器官を潰されていいわけがない気がしたのだ。
「この旅が終わったら、自由になれる。そういう約束だ」
「そうなんだ。自由になれるのは、よかったね」
ペッシュは、サンジュが自由になることはいいことなのだろうと思い、そう言った。サンジュは複雑そうな表情をしている。自由になれるとはいえ生殖器官を潰されているのだから、複雑な気持ちなのかもしれない、とペッシュはサンジュの気持ちを想像する。
「そろそろ休憩するぞ」
幌の外からシアンの声が聞こえ、馬車が止まった。
川辺で馬たちを休ませ、馬車から降りたペッシュたち三人もそれぞれ身体を動かす。石の少ない平らな場所に敷物を敷いて、シアンは横になった。ペッシュとサンジュもそのそばに座った。フザンはつかず離れずで周辺を歩いている。サンジュはペッシュとシアンにビスケットと水を配り、自分も食べている。
「シアンさんたちの騎士団て、国王の犬って呼ばれてるんでしょう? シスターが言ってたわ。すごい騎士様なんだって」
誰もなにも話さないことにそわそわしてしまったペッシュが、なんとか話題を見つけて口を開くと、ふたりは、なんとも言えない表情でペッシュを見た。
「どうかした?」
様子のおかしいふたりに、ペッシュは尋ねる。
「その……自分で言うのもアレだが、犬ではなく番犬だ。国王の番犬」
シアンが、横になったまま気まずそうに言う。
「ああ、ごめんなさい。言われてみると、ただの犬と番犬では印象が全然違うわね」
むすっと不貞腐れていたサンジュが、突然、こらえきれないというふうに声を上げて笑い出した。犬だって、と、サンジュの口から途切れ途切れの言葉が出てくる。
「笑いすぎだ」
腹を立てるでもなく、シアンが言う。
サンジュが笑ったのがうれしくて、ペッシュも笑った。サンジュの不貞腐れているような表情は、笑うのを我慢していたせいなのかもしれない。
「夜には、最初の村に着くだろう」
横になったまま行儀悪くビスケットを食べ終わり、起き上がって水を飲みながらシアンが言った。
「村に着いたらなにをすればいいの?」
「なにも。オフランドの訪れ自体がありがたいものだからな。宴が開かれる。オフランドはありがたがられていればいいんだ」
「おいしいものを食べられる?」
「たぶんな」
フザンが歩いて戻ってくると、シアンはポケットから小さな紙束を取り出した。その一枚になにかを書きつけると、皮でできた小さなケースに押し込み、それをフザンの足に取りつけた。
「よし。行け、フザン」
フザンが飛び立つ。翼を広げると思ったよりも大きい。
「フザンはどこへ行くの?」
「村へ。夜にはオフランドが到着するという手紙を持たせた」
「フザンは賢いのね。ちゃんと仕事をしてえらいわ」
ペッシュは、フザンが賢いことがなぜかうれしい。
いつの間にかその場を離れていたサンジュが、馬たちを連れて戻ってきた。
「我々も、出発しよう」
シアンが言い、
「ルモン、フルーヴ、またよろしくね。あなたたちも仕事をしてえらいわね」
ペッシュは馬たちに話しかける。馬たちは目を半分閉じたようにして口をもぐもぐと動かした。かわいくて、馬たちにさわろうとしたペッシュの手首を、サンジュが掴んで阻止してくる。
「さわらせてよ」
「だめだ。オフランドは怪我をしてはいけない」
「しないわよ、馬を撫でたくらいで」
「万が一がある」
ペッシュは、旅の間に馬たちをさわれるのだろうか。
「暗くなる前に化粧を直しておいたほうがいいな」
何度目かの休憩で、シアンがペッシュの顔を見ながら言った。それはそうだろうと思いながら、
「でも、誰がしてくれるの? シアンさんが? わたしは自分ではできないよ」
ペッシュは心配になって言う。
「サンジュがやる」
なんでもないことのようにシアンは言った。
「本当?」
ペッシュは驚いてサンジュを見る。
「サンジュはお化粧ができるの?」
「できる。ちゃんと教わって練習した」
サンジュも、なんでもないことのようにうなずいた。
「そうなんだ」
サンジュが言っていた、自分はちょっと器用で体力がある、という、「器用」の部分はこういうことなのかもしれない。
「サンジュって、すごいのね」
ペッシュは感心してそう言った。
暗くなる前にサンジュに化粧を直してもらい、化粧だけではなく髪もきれいに整えてもらった。父親と弟と村長と国王以外の男の人にさわられるのは初めてなので、どきどきしてしまう。そして、木綿のワンピースの上から、またあの白い服を身に着ける。これがオフランドの正装なので、村を訪問するときは、この服を着ていなければならない。
最初の村で、シアンが言っていたように、ペッシュは盛大に歓迎された。ペッシュの村から運んできた芋や羊毛などの積み荷が馬車から降ろされ、村人たちが歓声を上げる。
一足先に到着し、食べ物をもらって休んでいたらしいフザンが、飛んできてシアンの肩に乗った。いいなあ、とペッシュは思う。
宴は、たくさんのかがり火が焚かれた村の広場で開かれた。広場の中心には、一際大きなかがり火が焚かれている。
ペッシュを真ん中に、左にシアン、右にサンジュという席順で、主役のような扱いを受け、なんだか居心地が悪い。
「オフランドのための宴だ。堂々としていろ」
シアンに言われ、そうか、自分が主役なのだ、とペッシュは居住まいを正した。
ちょうど収穫の時期で、おいしそうなものがたくさんテーブルに並んだ。特に、この村の名産だという小ぶりな葡萄は甘酸っぱくておいしかった。ペッシュの村の名産は芋で、果物はほとんどつくられていなかったので、珍しくもあった。
「オフランド様。この村の葡萄でつくったお酒です」
村長が言い、きれいな女の人が木製のゴブレットに注がれた赤い飲み物を差し出してきた。
「葡萄酒でございます」
ペッシュはシアンを見る。
「受け取っていい」
シアンは言った。
「飲んでいいの? わたし、まだ十八じゃないわ」
この国では、酒は十八歳にならないと飲んではいけないという決まりがある。
「いい。オフランドなのだから特別だ」
「新国王の即位に際し、王国の安寧を太陽神様にしっかり祈ってください」
村長が言う。
「せいいっぱい、つとめてまいります」
出発前に神官に教えてもらった礼の言葉を思い出して、ペッシュは神妙に唱える。
そして、受け取った葡萄酒の香りをかいで、口の中に唾液が広がるのを感じた。おいしそうに見える。だが、酒を飲むのは初めてだ。ペッシュはゴブレットに口をつけ、葡萄酒をちびりと飲んだ。
「なんだかしぶいわ。でも、おいしい」
言いながらもう一口飲むと、
「酒飲みの舌をしている」
シアンが言い、サンジュが笑った。
「肉を食べながら飲むとうまいぞ」
シアンの言葉に従って、ペッシュは肉を食べ、葡萄酒を飲む。
「本当だ、おいしい」
ペッシュは、ふわふわと気持ちよくなり始めていた。
「シアンさんは飲まないの?」
「私はオフランドの護衛なので、酒は飲まない。頭と動作が鈍くなってはいけない」
「そっか。サンジュは?」
「俺も飲まない」
「そういえば、サンジュって何歳なの?」
「知らない。たぶん、十七とか十八くらいだと思う」
「ふうん。十七なら飲めないし、十八なら飲めるね」
ペッシュが言い、サンジュは困ったようにペッシュを見た。
勧められるままに飲み食いし、満足したところで、村の少女たちがペッシュをダンスに誘いにやってきた。ペッシュはよろこんで、少女たちの手を取る。
広場の中心のかがり火を囲んででたらめに踊る。とても楽しい。
「サンジュも踊ろう!」
ペッシュはテーブルの席にじっとしているサンジュを誘う。
「俺はいい。踊りなんて知らないし」
「適当に動けばいいのよ、ほら!」
ペッシュが差し出した手をサンジュは見ているだけだ。
「踊ってやれ」
シアンがいい、サンジュはしぶしぶといった様子で、やっとペッシュの手を取った。
村の少女たちの手拍子に合わせて、ペッシュはでたらめに踊り、サンジュを振り回した。嫌そうにしていたサンジュだが、次第にペッシュをリードし始める。ペッシュはサンジュに振り回されながら、声を上げて笑った。サンジュも楽しそうに見えた。
宴が終わると、顔と身体を洗わせてもらい、ふかふかの寝床で眠った。疲れていたのか、それとも葡萄酒のせいか、いつ眠りに落ちたのかもわからない。ペッシュは夢も見ずに眠った。
翌朝、顔を洗い、東の空に感謝の祈りを捧げ終わると、サンジュが髪の毛を丁寧に梳かしてくれて、きれいに編み込んでくれた。さらに化粧をしてもらう。昨日は気にならなかったのに、サンジュの顔が近いことが今日は気になってしまう。目のやり場に困り、ペッシュは目を閉じていた。サンジュの小指が唇に紅を塗る感触に、胸がきゅうっとなった。
葡萄や織物など新たな荷を積み、ペッシュたちは盛大に見送られながら出発する。
「ねえ、村の子に聞いたんだけど」
ペッシュは幌から顔を出して、御者席のシアンに話しかけた。
「山のほうへ行くと立派な滝があるんだって。わたし、滝って見たことないの」
言外に、見たいなあ、と伝えると、
「寄り道をしていたら、夜までに村に着くことができない。夜はできるだけ村に泊めてもらうほうがいい」
シアンは言った。
「どうして? 幌があるから馬車でも眠れるわ。ちょっと寒いけど」
「夜は獣が活発になる。オフランドの馬車を襲う人間など滅多にいないが、獣は違う。獣は普通に襲ってくる」
「そっか。じゃあ、早く次の村に到着しなきゃ」
獣が怖くなったペッシュは滝を諦めた。
「ねえ、めったにいないってことは、少しはいるの? オフランドの馬車を襲う人」
「この国で、オフランドを害そうとする者はいない。だが、万が一がある。オフランドの馬車には、村々で積んでもらった食料や布や装飾品があるからな。それらを狙って襲ってくる人間がいないとは言い切れない」
オフランドの馬車には、村の名産物や村人たちが織ったり染めたりした美しい布、加工した貴金属など、その村で「よいもの」とされているものが積まれる。それらの荷を、必要な分以外は次の村で降ろして、またその次の村で荷を積んでもらってさらに次の村へ向かうのだ。
「寒いから、中に入っていろ」
シアンに言われ、ペッシュは幌の中に引っ込んだ。サンジュににじり寄ると警戒したサンジュがそばにいたフザンをペッシュから遠ざける。失礼な、とペッシュは思う。
「ねえ、もし荷を狙った人間が襲ってきたらどうするんだろう?」
ペッシュの言葉に、
「あんたのことは、シアンさんと俺でちゃんと守る。荷が欲しいと乞うてきたなら、次の村の分を残して、少しなら渡してやるといい」
「渡しちゃうの?」
「楽して利を得たい人間ばかりじゃなく、食うに困って荷を襲う人間もいるんだ」
「そっか。そういう人たちのために、オフランドが太陽神様に王国の安寧を祈るんだね」
「……そうだと思う」
サンジュは言って、腰に下げた小さな革袋に手を添えた。大事なものでも入っているのかな、とペッシュは思った。
そんなふうにぽつぽつと話をし、馬たちを休ませながらゆっくりと進み、また次の村で熱烈な歓迎を受ける。
宴が開かれ、ごちそうを振る舞われ、皆でダンスをする。ペッシュはいつもサンジュをダンスに誘い、二度目からはサンジュも嫌がらずに、すんなりとペッシュの手を取った。サンジュに手を握られると、ペッシュの心はぽっと熱くなる。うれしいようなくすぐったいような、不思議な気持ちだった。
踊っている間、サンジュは笑っていた。ペッシュは、サンジュのその顔を見たくて、いつもサンジュをダンスに誘う。
「あんた、よく飲むな」
サンジュがあきれたように言った。宴の席で、ペッシュは何番目かに訪れたその村の特産だという麦酒を飲んでいた。
「だって、おいしいのよ」
ペッシュは答える。
「それに、頭の中のもやもやした感じが、お酒を飲むとふわふわぁっと薄くなっていく気がするの」
「なにか、もやもやするようなことがあるのか?」
サンジュが怒ったような表情をする。だんだんとわかってきたが、サンジュがそういう表情をするときは、なにかを案じているときだ。そして、不貞腐れたようにむすっとしているときは、笑いをこらえているとき。笑っているときはそのまま笑っているときで、困ったような表情のときは、どうしたらいいのかわからないときだ。
「うーん、でもなにが気になってるのかよくわからない……」
サンジュの表情が怒ったままなので、
「サンジュが腰に下げてる革袋には、なにが入ってるの? 大事なもの?」
ごまかすように話題をそらしたつもりだったのに、
「儀式で食べる団子が入っている」
サンジュは怒ったような表情のまま苦しそうに言った。
「祈りの儀式でお団子を食べるの? おいしいのかな?」
「わからない。俺は食べたことがないから」
サンジュは言って、もうペッシュのほうを見なかった。
「お団子、食べるの楽しみ」
そう言ったペッシュに、
「そんなこと言うな」
サンジュは怒ったように言った。
「どうしたの?」
ペッシュはサンジュがなにかを案じているのだろうなとは想像するものの、それがなぜなのか、わからない。
訪れた村々でペッシュは、名前ではなく「オフランド」と呼ばれた。もう、そう呼ばれることに慣れてしまった。ペッシュは、旅立ってから一度も名前で呼ばれていない。シアンもペッシュを「オフランド」と呼ぶし、サンジュにいたっては、ペッシュのことを「あんた」と呼ぶ。
「いいなあ、オフランド様は」
ある村の少女がうっとりと言った。
「太陽の庭に行けるんでしょう? 太陽の庭は、天国みたいにいいところだって聞いたよ」
ペッシュは否定も肯定もせず、ただ微笑んだ。
天国みたいにいいところ。その言葉で、なにかがわかりそうな予感がしたが、酒でふわふわした頭では、その予感の端っこもつかめなかった。
次が最後の村だという。
ソレイユ山の麓にあるその村は、とうもろこしが名産で、おいしいスープをごちそうになり、目の前で羊の肉を焼いてもらった。炎が上がってペッシュは驚いた。隣に座るサンジュも同じように驚いていたのがおかしかった。
この村に馬車と馬たちを預け、ペッシュたちは明日の早朝、ソレイユ山へ登るのだ。
この村には子どもが少なく、シアンと同じくらいか、それ以上に年嵩の村人たちが静かに暮らしている様子だった。だから、宴では誰もペッシュをダンスに誘ってくれない。
ペッシュはサンジュをダンスに誘い、村人たちに手拍子をお願いしてふたりででたらめに踊った。村人たちは、オフランドのダンスをよろこんでくれたようだった。だが、サンジュの表情は硬い。いつもみたいに笑ってくれない。
就寝前、ペッシュは自分にあてがわれた部屋をこっそり抜け出して、サンジュとシアンの部屋をノックした。
「寝ろよ」
サンジュが扉から顔をのぞかせて言う。
「眠れないの」
サンジュは部屋の奥にいるらしいシアンに目をやると、許可が下りたらしく、うなずいて外に出てきてくれた。
「ねえ、サンジュ。あのミツバチの絵を見せて」
サンジュは今度は隠すこともなく、ペッシュに左手首を見せてくれる。
「やっぱり、かわいい」
ペッシュはサンジュの左手首のミツバチを指で撫でた。
「ミツバチは働き者でしょう? 奴隷も働き者だからミツバチの絵を描くのかな」
「知らない」
「でも、サンジュは働き者よ」
ペッシュは、サンジュと離れたくないと思う。明日の早朝にはこの村を出発し、ソレイユ山を登る。太陽の庭に到着すると、この旅は終わってしまう。サンジュのことをもっと知りたいと思うのだが、奴隷だというサンジュに、なにをどう聞けばいいのかペッシュにはわからない。
「ねえ、サンジュ」
「なんだ」
「名前を呼んでよ。わたしの名前は、ペッシュっていうの」
「……いやだ」
「どうして? 簡単なことじゃない」
サンジュは怒っているような表情になる。
「最後に一度くらい、名前を呼んでくれたっていいじゃない」
サンジュの怒ったような表情は、なにかを案じているときだ。ペッシュはそれを知っていた。
「最後なんて、いやだ」
サンジュが言った。
「わたしだって、いやだよ」
ペッシュは、サンジュの言葉に驚きながらそう返事をする。サンジュも、ペッシュと離れたくないと思ってくれているのだろうか。
「もう寝ろ。明日は早い」
サンジュが言い、ペッシュはおとなしく部屋に戻る。
早朝、東の空に感謝の祈りを捧げたペッシュに、サンジュが化粧をする。サンジュに化粧をしてもらうことに、結局ずっと慣れなかった。ペッシュはずっと、どきどきしていた。
出発前、麓の村に馬車と馬たちを預け、シアンは代わりにラマを一頭借りていた。山道を荷物を運ぶためだという。
「ラマって初めて見たわ。馬とは違うのね」
ペッシュがラマに近づこうとすると、村人に止められた。
「気をつけてください、オフランド様。唾を吐かれますよ」
「え、そんなことするの?」
ペッシュは驚きとともに楽しくなって笑った。ペッシュには、まだまだ知らないことがたくさんある。それを知らないままに、太陽の庭へ行く。きっともう、どこへも帰れないのだ。
ルモンとフルーヴに、お別れの挨拶をしていると、
「少しならさわってもいいぞ」
シアンがペッシュに言った。
「本当に?」
ペッシュはよろこんで、ルモンとフルーヴを順番に撫でた。首のあたりを撫でてやると、二頭はにゅっと鼻を伸ばした。ペッシュは、とうとう二頭の馬を撫でることができ、ささやかな達成感を覚えていた。
準備を終えた三人は、村人たちに見送られながら出発した。先頭にサンジュ、真ん中にペッシュ、最後尾がラマを連れたシアンとシアンの懐に入れられたフザンだ。
昨夜、ペッシュは酒を飲むことを禁じられていた。ソレイユ山に登るため、体調を整えなければならなかったからだ。だから、ペッシュの頭の中はすっきりとしていた。頭の中のもやもやが、思考によって形をつくっていく。
帰ってこないオフランド、天国みたいにいいところ、なに不自由のない生活、それにサンジュの態度。
わたし、もしかして死ぬのかな。ペッシュはあっさりとその考えに行き着いた。オフランドって太陽の庭で死ぬのかな。
急に怖くなり、ペッシュは先頭を行くサンジュのほうへ手を伸ばし、その手を握った。サンジュはなにも言わず手を握り返してくれて、つないだままでいてくれた。だから、ペッシュは確信した。
わたし、やっぱり死ぬんだ。だから、サンジュがやさしいんだ。
「太陽の庭には、どのくらいで着くの?」
ペッシュの問いに、シアンが答える。
「中腹の小屋で一晩休んで、明日の朝くらいか」
「そんなにかかるの?」
今日のうちに到着するのだと思っていたペッシュは、それを聞いて余計に疲労を感じてしまう。
「もう歩けない」
別にそんなことはなかったのだが、わがままを言ってみた。
「サンジュ」
シアンがサンジュの名前を呼ぶと、サンジュはつないでいたペッシュの手を離し、ペッシュの前に背中を向けるようにしゃがんだ。
「いいの?」
「大丈夫だ」
短いやりとりをして、ペッシュはサンジュの背中におぶさった。サンジュの背中で、ペッシュは自分の生まれた村のことを考えていた。
月に一度しか会えなかった両親と弟、共に暮らした少女たち、村長や神官、お姉さんみたいなシスターたち。家族と暮らせないのは寂しかったけれど、教会での生活も楽しかった。いっしょに生活していた少女たちとは、喧嘩もしたが、いつもちゃんと仲直りした。人間なんていつ会えなくなるかわからないんだから、顔を合わせていられるうちに仲直りしておきなさい。女性神官はペッシュたちが喧嘩をするたびにそんなことを言っていた。皆に会いたいと強く思った。でも、もう会えない。
暗くなる前に中腹の小屋に到着した。腹ごしらえをし、皆でくっついて眠った。寒いからだ。シアンもサンジュも、フザンもラマも、皆で重たい羊毛の毛布にくるまって眠った。ペッシュはあまり眠れなかった。
翌日、日が昇る前に起き出して、一行はさらに山頂を目指す。ペッシュは、またサンジュに手をつないでもらっていた。
山頂に近づくにつれ寒さが増し、岩場が増え、足下が滑りやすくなってくる。
「太陽の庭って呼ばれてるくらいだから、もっとあたたかい場所だと思ってたわ」
ペッシュは歯の根が噛み合わない口を震わせながら憎まれ口を叩いた。
東の空から朝日が昇るころ、
「ここが、太陽の庭だ」
シアンの言葉で、山頂の太陽の庭に到着したことを知った。だが、ペッシュには、ここが太陽の庭だなんて、とてもそうは思えない。地面をわざと平らにしたような開けた場所の中心に、石でつくられた祭壇のようなものが置かれており、その周りには、赤ん坊の頭ほどの大きさの石が、ごろごろと転がっている。その場所は、あまりに寂しくて寒さを余計に増幅させた。太陽の庭が、こんな寂しい場所だなんて。だから、ペッシュは思わず言ってしまった。
「わたしは、ここで死ぬのよね? ここでわたしを殺すのが、サンジュの、司式者の役目なんでしょう? よくわからないけど、儀式ってそういうことなんでしょう?」
サンジュの手をぎゅっと握る。
「いままでのオフランドが帰ってこないのは、みんな死んだからでしょう?」
シアンもサンジュも黙っている。それはペッシュの言葉を肯定したようなものだ。
「本当に、そうなの?」
ペッシュは呟くように言う。期待した答えは返ってこないと、わかっていた。
「本当に、わたし、死ななきゃいけないの?」
「オフランドは、太陽神様への捧げ物だ。オフランドのおかげで、王国の安寧が叶えられる。とても名誉なことだ」
シアンが言う。
「そういうの、もういいよ」
ペッシュは幼子がいやいやをするように首を振った。
「そういうのもういい。フザンをさわらせて。わたし、死ぬんだから、それくらいさせてくれてもいいでしょう?」
ペッシュは腹立ちまぎれに精一杯の無茶な要求をしてやろうと考え、そんなことを言った。シアンは懐からフザンをそっと出した。
「フザン、さわるわよ。じっとしててね」
サンジュとつないでいないほうの手で、ペッシュはフザンの背中を撫でた。シアンの懐にずっと入っていたためか、フザンの羽根はあたたかかった。フザンはまんまるい目をきゅっと閉じた。ペッシュはいくぶんか落ち着いて、ほっと息を吐いた。
「いやだ。あんたを死なせたくない」
サンジュが言った。
「もういいよ。だって、王国の安寧のためなんでしょう?」
フザンを撫でたことで、もう吹っ切ろうと決めたペッシュは言う。
「よくない」
「いいの。旅の間、みんなちゃんと仕事をしていたわ。わたしも、ちゃんと自分の仕事をする」
「いやだ。いっしょに逃げよう」
サンジュがそう言った瞬間、シアンが帯剣に手を添えたのを、ペッシュは見た。
「だめよ。サンジュまで殺されちゃう」
ペッシュは慌てて言い、
「わたしは、太陽神様のもとへ行きます。ちゃんと、オフランドの役目を果たすわ」
きっぱりとそう続けた。サンジュまで殺されることはない。死ぬのは自分だけでいい。大丈夫だ。
「いやだ。太陽神なんていない。そんなこと、きっとなんの意味もない」
「そんなこと言っちゃだめ。太陽神様はいつでもわたしたちを見ているのよ。それに、この国の安寧と村の繁栄のためなの。王様も言ってたわ」
サンジュの言葉を、ペッシュは懸命に否定する。
「わたしが逃げたら、きっと村に悪いことが起こる」
それが、太陽神のせいなのか人間のせいなのかはわからない。だが、悪いことは、確実に起こる。
「村には、父さんと母さんと、弟がいるの。いっしょに暮らしたみんながいるの。だから、わたしは……」
逃げることなんて、できない。ペッシュはひりひりするのどで唾を飲み込んだ。
「わたしは、王国一、美しくて健康な女の子よ。だから、太陽神様のもとへ行くのは、わたしでなくちゃいけないの。きっと、わたしのお願いなら、太陽神様はなんだって叶えてくれるわ」
冗談めかして言うと、サンジュは少し笑った。
「あんたが、王国一なもんか」
「ひどい」
ペッシュも泣きそうになりながら笑う。
「王国一なんかじゃない。ペッシュ、あんたは、世界一かわいい」
サンジュの言葉で、ペッシュの目から涙がこぼれた。
「うれしい。そうよ、わたしは世界一かわいいの。うれしい。サンジュ、初めてわたしの名前を呼んでくれた。うれしい。もう、じゅうぶんよ」
ペッシュは洟をすすり、
「わたしは大丈夫。お願い、サンジュ」
死への覚悟を決めた。
「俺も、いっしょに行く」
同時に覚悟を決めたように、サンジュはきっぱりと言い放った。
「わたしを殺せば、自由になれるんでしょう? せっかく自由になれるのに、そんなこと考えちゃだめ」
「いやだ。自由なんて、もういらない」
「だめよ。あなたは生きて。わたしの分まで、最後まで生きて」
本当に? 本当にそう思ってる? ペッシュは自問自答する。ただどこかで聞きかじったような言葉を、その場の雰囲気でそのまま放ってしまったようにペッシュは自分でも感じていた。
「あんたが……ペッシュがいないなら、生きていても意味がない」
サンジュが言う。
「この革袋の中の団子は、毒だ。俺は、これをオフランドに食べさせる役目を与えられた。そうしたら、自由になれるって。だけど、もうそんな自由はいらない」
サンジュの言葉に、ペッシュは思い出していた。団子を食べるのを楽しみだと言った自分に、サンジュが「そんなこと言うな」と怒ったように言ったことを。
「半分ずつ食べよう」
「だめよ、サンジュ」
「いいんだ、ペッシュ。俺もいっしょに行く」
「本当に?」
「ああ。本当だ」
「本当に、いっしょに行ってくれるの? そんなこと、許されるの?」
ペッシュは、シアンのほうをちらりと見た。
「逃げることは許されない。だが、逃げないのなら好きにすればいい」
シアンは帯剣に手を添えたまま言った。
「本当は、ひとりで死ぬのは怖い。でも、サンジュの手で死ねるなら、大丈夫だって思ってた。思おうとした」
ペッシュはゆるゆると首を横に振る。
「そんなことなかった。全然、大丈夫じゃないの。怖い。すごく怖い。本当は逃げ出したい。村に帰りたい。サンジュといっしょに生きたい。でも、村にはわたしの家族がいるわ。仲良くしてくれたみんながいるわ。わたしが逃げたら、なにをされるかわからない」
そなたの家族やこの村のことは私が責任を持つ、安心するがいい。ペッシュが旅立つ際に国王が言った言葉だ。いま思えば、あれは「逃げるな」という意味だった。
「でも、ひとりは怖い」
「わかってる。大丈夫だ。俺がいっしょに行く」
サンジュがうなずいた。サンジュがそう言ってくれて、ペッシュは本当に大丈夫な気がしてくる。
「儀式を行うのなら、正装で祭壇に座れ」
シアンにそう言われたふたりは、慌ててラマに運んでもらった荷物の中からオフランドの正装を取り出した。ペッシュがそれを身に着けると、サンジュが、髪を整えてくれて、化粧の準備を始める。
「ちゃんとかわいくしてね」
ペッシュの言葉に、
「大丈夫だ。ペッシュはいつでもかわいい」
サンジュが笑って言った。ペッシュの胸がぽっと熱くなる。
準備が整うと、ふたりは石の祭壇に並んで座った。
サンジュは、腰に下げた革袋から鶏卵よりも一回りほど小さな、泥団子のようなものを取り出した。乾燥させた毒草をすり潰して小麦粉を混ぜて練ってつくったものだという。
サンジュはそれをてのひらの上でナイフを使って半分に切り、一方をペッシュに差し出した。
「せーので食べよう」
サンジュの言葉にペッシュはうなずいた。
「せーのっ」
ふたりは半分になった団子を同時に口に入れた。
ねっちりとした噛みごたえで、苦味と青臭さと、少しの甘さが口の中に広がる。
ペッシュは無心で団子を咀嚼し、飲み込んだ。「おいしくないね」と呟きながら。
「オフランド、太陽神様に祈りを」
シアンが言う。祭壇は東の方角に向けて作られていたので、ペッシュはそのまま太陽に祈りを捧げる。
王国の安寧を、故郷の村の繁栄を、家族や友人たちの幸せを、旅の道中、よくしてくれた人たちの幸せを、動物たちに安心を。ペッシュは心から祈った。となりで、サンジュも祈っている。なにを祈っているのかな、と気になったが、だんだん頭が働かなくなっていく。
しばらくすると、とろとろと夢見心地のように気分がよくなってきた。互いの存在を確かめるように手を握り合ったペッシュとサンジュは、うつろな目で微笑みあって、そのままくにゃりと祭壇に倒れ込む。
* * *
シアンはペッシュとサンジュをひとりずつ祭壇から下ろし、地面に並んで寝かせる。そして、太陽の庭の外から子どもの頭ほどの大きさの石を一つ見繕い、ふたりの頭の近くに置いた。太陽の庭に石が一つ増える。
シアンは横たわるふたりを見つめながら少しだけ考え、土をかぶせる代わりに、羊毛で仕立てた重たい毛布をかぶせた。そして、オフランドを無事に聖域に送り届けたことだけを紙に書きつける。その紙を小さく折りたたんでくるくると巻くと、フザンの足に取りつたケースに入れた。フザンが飛び立った方角を確認し、まだ息絶えてはいないふたりを残したまま、シアンはラマと共に山道を下る。
あの毒は夢見心地になる代わりに最終的には飲んだ者を死に至らしめるが、遅効性である。指示に従うならば、毒で夢見心地にさせたオフランドを、司式者と共に穴を掘り、その穴に生きたまま埋めることになっていた。そして、埋めた場所に石を置くのだ。それが新国王即位に際しての太陽神へ捧げる儀式だった。つまり、オフランドとは王国の安寧を願う際に太陽神へと捧げる生贄のことだった。
だが、シアンは生贄を埋めずに、石だけを置いた。自分でも、なぜそうしたのかわからない。生贄なので生きていてもいいだろうという気もしたし、司式者まで毒を食べてしまったので、ひとりで穴を掘るのが面倒だったのかもしれない。だがそれよりも、ふたりの姿にシアンはなにかを期待してしまったのかもしれなかった。
オフランドを埋めたあと、本当ならば、司式者であるサンジュのことも殺す予定であった。自由になれるなど真っ赤な嘘で、シアンの役目には、サンジュを殺すことも含まれていた。大事な生贄であるオフランドとは違い、奴隷であるサンジュの命は、そのへんの石で殴打して雑に奪われる予定だったのだ。
司式者は男であってはならないという決まりがある。いままでの司式者は事情を知る教会関係者の女性であったらしい。しかし、女には長旅が難しいし、オフランドの他に女がいることでオフランドのための護衛の負担も、トラブルも増える。幸い、司式者が女でなくてはならないとは伝えられていないため、近年になって、生殖器官を潰して男ではない存在をつくることになった。無理矢理なこじつけである。生殖器官を失っていい者など、奴隷の男しかいない。だが、祈りの儀式や太陽の庭の真実は、誰彼かまわず知られていいものではなかった。儀式に関わった奴隷を世に放つわけにはいかないのだ。口封じに殺すしかない。
それに、オフランドが逃げるようならば、そちらも殺さなくてはいけなかったのだ。どちらもしなくてよかったことに、少しほっとしてもいた。
シアンの所属する国王直属の少数精鋭の騎士団は、そのような、公にはできないような仕事を秘密裏に請け負っている。
オフランドが、王国の安寧のために太陽神に捧げる生贄だと知っているのは、旅に同行する者たちを除くと、国王を含む国の上層部、太陽神を信仰する教会の上層部のみとなる。王国内や教会内での立場が上のほうにならなければ知ることはない、王国の極秘事項である。各村の村長にさえ知らされていない。オフランドの家族や村人や教会のシスターたちも、もちろん知らない。彼らは、オフランドに選ばれるのは名誉なことで、オフランドは祈りの儀式を終えたあとは太陽の庭で幸せに暮らすものだと、純粋に信じている。そういうものだと、幼いころから教え込まれるのだ。
ふたりが口にした毒の団子は、半分ずつ。それは、本当に人間ひとりの命を奪うに足る量か。慎重に山道を下りながら、シアンはそんなことを考える。
ふたりは、このまま息絶えるのか、それとも。
生きていてほしい、と、少しだけ頭の隅をかすめるように思う。それと同時に、毒では死ななくとも、寒さで死ぬかもしれないな、とも、どこか冷静な部分でシアンは思うのだ。
どちらであろうと、かまわない。また次の生贄が必要になるまで、どうせ、太陽の庭には誰も訪れない。
了
ありがとうございました。




