2.夏秋クルミ
夏秋クルミはごく普通の女子高生だった。
人生で一番大きな決断をしたのは中学三年時、《冒険科》への入学を志した時だろう。数年前からセレニア女学院に設立された特別科だ。真新しい、面白そうだなという理由だけでそこに決めた。
入学して早々後悔した。考えが甘かった事を思い知ったからだ。
冒険者というのは、伊達や道楽で選んで良い職業ではなかった。やめておいた方がいいんじゃない? と、沢山の人が忠告してくれていたのに。思春期特有の万能感で突っぱねるべきではなかった。
まず普通に人が死ぬ。入学して早々、遺書と契約書を書かされた。死んでも学校に対して責を問いません、という契約書だ。
一年時は薬──《ACE》の定期服用をしながらエーテル操作を学ぶ。研修期間だ。この段階でも、適性がない者は廃人になる。カシュは運良くエーテルに適応し魔人となれた。
二年時からは進級に《爵位持ち》の討伐が必要になる。最も死亡率の高いカリキュラムだ。相手はただでさえ強い魔人の強化版だ。エーテルを扱い始めて一年やそこらの人間が抗える存在ではない。
四月に入ってすぐ、勇敢な同級生が三人死んだ。
彼女たちの犠牲で、仲間たちはみんな萎縮してしまった。教室は完全に二分化された。
つまり、もう既に《爵位持ち》を討伐して余裕そうな面々と、退学にビクビクしながら過ごす者たちだ。
カシュはもちろん後者。季節は冬。ここ半年の記憶は一切ない。惰性でカリキュラムを続けながら毎日を怯えながら過ごしていた。
もう更に一月経って、ようやく決心が付いた。
カシュは戦々恐々としながら、担任に《討伐計画》を提出した。
担任の《デメテル》ことアンドレアナ先生は朗らかな顔でそれを受け取ってくれた。
「うん、良くできてると思いますよ! 《荊棘》子爵とは、良いところに目を付けましたね。幻知覚も最近割れた狙い目です」
賞賛の言葉は耳に入って来なかった。
良くできてる? 当然だ。自分の生死がかかっているのだから。下調べは入念に行った。怪しい情報サイトを回ったり民間の情報屋に足を運んだりして、なるべく安全な《爵位持ち》を探した。
《荊棘》子爵は東京の東側、江戸川区を拠点に人身売買を生業とする魔人だ。とんでもない悪党だが、爵位は子爵。まだ手術を行って一年も経っていない小物だからだ。それに加えてカシュの幻知覚と相性が良い。これ以上の好条件はないだろうと思われた。
江戸川区には、《顔役》と呼ばれる大物もいない。渋谷だとか新宿とかだとそれぞれ別の公爵が治めているため、子爵だろうと舎弟に手を出せば報復される可能性がある。この点も好都合だった。
「ただ──横取りには気をつけて。子爵はあと何日生きていられますかね」
討伐計画書にざっと目を通して、アンドレアナ先生はそうアドバイスしてくれた。
それはそうだ。幻知覚が割れた魔人の寿命は短い。
どうか、どうか同業者と鉢合わせませんように。
そんなカシュの願いは、予想外の形で裏切られる事になる。
○
その日の夜。江戸川区某所。人気のない道を行き、薄暗い路地裏にひっそりと隠れ潜むようなオフィスの前に、カシュは辿り着いた。
入り口には見張りらしき黒スーツの男が二人。物騒なことに銃を構えている。やはり《荊棘》子爵は在宅らしい。情報通りだ。
懐から取り出した錠剤を一息に飲み込む。《ACE》──アレイスター・クロウリー・イフェクトだ。途端に軽い酩酊感に襲われて、次になんとも言えない万能感に全身を包まれる。
全身にエーテルが廻る。知覚が研ぎ澄まされる。
カシュの幻知覚は視覚系と触覚系のハイブリッド。髪の毛を一本抜いてふっと息を吹きかけると、それはキラキラ煌めく『妖精さん』になった。同じようにもう一体『妖精さん』を作り出す。
『妖精さん』は陽気に空中でハイタッチしながら黒スーツの男二人に近付いていく。男たちは『妖精さん』に気付かない。『妖精さん』はカシュの目にしか見えないのだ。
『妖精さん』はそのまま男たちの口の中に吸い込まれていった。これが能力の発動条件。
これで、カシュと男たちの『感覚が共有』された。カシュが傷付けば男たちも傷付く。一方、相手の傷がカシュに共有されることはない。そうしたければ、相手の髪の毛から作った『妖精さん』をカシュが飲み込む必要がある。
カシュは物陰に隠れながら、ゴンッ! と思いっきり自分の頭を殴った。
「ぐあっ!」
少しふらつきながら入り口を確認すると、男たちは頭から血を流して倒れている。
「……よし。第一関門は突破した、よね……?」
多分、男たちは魔人でないか、薬を飲んでいなかったのだ。既に服用済みのカシュとは肉体の強度が異なる。
殺してないと良いけど──いや、違う。駄目だカシュ! 気をしっかり持て。
今から私は人を──犯罪者を、魔人を、子爵を殺しに行くのだ。指名手配犯。悪人だ。悪人だから、殺しても良い。
こんなところで躓いてはいられない。だから、私の身体。そんなに震えないで。
──今から私は、人を殺すんだ。
○
随分と奥まで進んだ。
思ったより人が少ない。たまに見かける見張りは、入り口の二人と同じ方法で気絶させた。
目の前には一際大きな扉がある。《爵位持ち》というのはどうしてこう見栄っ張りなのか。もっと隠れ潜めば良いのに、廊下や室内は華美な装飾に彩られていた。ヤクザとかの系譜だから? 舐められたら終わり的な。
目の前の扉も、例に違わず豪華なものだった。今までで一番派手だ。間違いなくこの先に子爵《荊棘》卿がいる──
「……っ! 〜〜〜──」
「ーーーーーっ!」
──ふと、扉の奥から物音が聞こえた。
物音どころじゃない。争っている?
まさか──同業者! まずい、先を越されたっ!
カシュは急いで扉を蹴り開けて室内に飛び入った。だが──そう、予想に違わず事は既に終わった後だった。
「……んぁ? ああ、新手か? おたくらのボスはほら、この通り。もうやっちまったぜ」
室内はすっかり荒れ果てていた。
執務室、そう執務室だ。途轍もなく広くて派手ということを除けば、そこは普通の執務室だった。
本棚は倒され机はひっくり返り、絨毯も捲れてそこかしこに血がこびりついていたが。
そして──荒れ果てた執務室の真っ只中、一人の少女が立っていた。
少女は男の生首を、まるで勲章のように掲げて見せびらかした。
「あっ……」
どくん、と心臓が高鳴る。
とんでもなく綺麗な少女だった。
赤紫色の髪はぼさぼさで服装も見窄らしいものだったが、それが逆に少女の野生味ある美貌を引き立てていた。ニヤリと笑った口元には犬歯が見える。返り血を浴びてなお美しいその姿に──カシュは、見惚れてしまった。
「なんだ、やるのか? あんまり賢い選択とは言えねぇなぁ」
「ちがっ、違います! 私は、冒険者で、《荊棘》子爵を討伐に……!」
「なんだ、同業者かよ」
赤紫髪の少女はつまらなそうにそっぽを向いた。
それからカシュと手元の生首を見比べて、何を思ったか、生首をカシュの方に放り投げてきた。
「えっ、わっ!?」
「やるよ。あたしは別に懸賞金欲しさにそいつを狩ったんじゃない。そいつ昨日、あたしの行きつけの店襲いやがってさぁ。これはその店主からの報復だ。報復に恩賞があっちゃならねぇ」
「え、えぇ……」
行きつけの店? 店主の恨み?
しかも昨日今日の話で!?
そんな、そんな気軽い感じで子爵を殺したの……?
私はもう何日も前から準備して、情報を集めて、やっとここまで来たのに──
「……」
放り投げられた生首を抱えたまま、何とも言えない顔でカシュは立ち尽くす。
るんるんと上機嫌そうに赤紫髪の少女は扉へ向かった。つまり、カシュの方へ。一仕事終えて帰るつもりなのだ。
「誰かの願いを叶えてやるのはあたしの趣味なんだ。そうだ、今は気分が良いから、ちょっくらお前も『見て』やろう──おっ?」
ちょうどすれ違いざま、ふと赤紫髪の少女は足を止めた。
「……?」
「お前──」
「えっ?」
気付いた時には、カシュは少女に馬乗りになられていた。
全く抵抗できなかった。腰の剣を抜く暇もなかった。速すぎる。力強く、それでいて優しくカシュは拘束されていた。
「えっ、えっ?」
「あー、くそ。今日はちとエーテルの巡りが良すぎるな。こんな美味しそうな『願望』を見たらつい反射的に──違う、違う。あたしはサドじゃな……」
「な、にを……やめてください! わ、私は敵じゃない、ですよね……?」
何か危険な気配を感じて、カシュは必死で拘束を振り解こうとした。というか襲われる理由がないだろう。悪の魔人に殺されるならまだしも、同業者に殺されるなんて意味がわからない。
まさか、こんなところで終わるの?
私の人生が。
目の前の少女の気分次第で。
「──あ」
目の前の少女の、気分次第。
ドクン、と心臓が跳ねた気がした。生殺与奪の権利を他人に握られている。
恐怖か、あるいは得体の知れない高揚に襲われて──かつてないほど呼吸が早くなる。
「……へぇ」
そんなカシュの様子を見て、少女は不機嫌そうに目を眇めた。
「……抵抗するんだ。この『色』で? ……生意気だな。敵じゃなかったら、何だ。じゃあ敵だったらお前はどうすんだよ。このまんまだと殺されちまうぞ」
こ、殺される。本当に殺される!
「はっ、っ、はっ、っ、っ、」
ゆっくりと、真綿で締めるみたいに少女はカシュの首を締めた。
どくんどくんと心臓は暴れ回り、呼吸は際限なく早くなる。過呼吸。感覚は鋭敏になり、全身に過剰に血が巡っているのが分かる。きっと今、カシュの顔は真っ赤っかだ。
酸素が、足りない。意識が朦朧となる。
天にも昇る、とはこんな心地だろうか。
そんなこと考えてる場合じゃない!
ま、まずい。ヤバい。この人、本当に私を──
「ハハッ! な〜んてな。いくらあたしでも堅気に手は出さねぇよ。お望み通りだったとしてもな」
──ぱっ、と。
ちょうどカシュの意識が彼方へ──遠い空の向こうへと旅立とうとした時、赤紫髪の少女は手を放した。
「ぁ、ぇ……?」
「おい、そんなに物欲しそうな顔をするな」
「……っ! し、してません、そんな顔!」
どんっ! と目の前の少女を突き飛ばす。途端に羞恥心が襲いかかってきた。私、何で本気で抵抗しなかったの!
少女は笑いながら飛び退ってマウントポジションを解除した。そのまま全身に力が入らず立ち上がれないカシュを嘲笑う。
「繕うな。分かるんだ、あたしには。もしかして無自覚か?」
「……なんの、ことだか……っ!」
少女の言葉は全くの意味不明だった。いきなり襲い掛かられたことも、そのあと殺されそうになったことも。挙げ句の果てに、それをカシュが望んでいる……?
全力で否定するカシュを見て、少女はどうしようもないケダモノを見たみたいに眦を下げた。
「はぁ……ああ、そうかよ。まあ何かの縁だ。一つだけ忠告しといてやるよ」
ふーっ、ふーっ、と呼吸を整えるカシュは少女の言葉を止められない。
「冒険者なんてさっさとやめろ。そんなんだとすぐに死ぬぞ」
余計なお世話だ、と思った。心の底から。
○
「同業者に襲われた?」
生首を片手に学院に戻って報告すると、アンドレアナ先生は怪訝そうにカシュを見た。
「は、はい……マゼンタ色の髪の、背の高い女の人でした」
「ふむ。少し調べてみましょうかね。待っててください」
アンドレアナ先生は手元のキーボードをカタカタと鳴らした。
そう待たずとも先生は手がかりを見つけたようだった。
「ああ、それは多分《堕落》の公爵ですね」
「こ、公爵!?」
公爵とは、《爵位持ち》の中でも最高位の魔人だ。途轍もなく強いとは思っていたけど──そんなまさか。
「つい最近までは無害な存在だったそうですが、先日とある魔人を殺して公爵の位を得たと。うわぁ、何十年生きているのかも分からない天然者ですって。どれだけのエーテルを蓄えているのか──見た目は当てになりませんからね。公爵認定も納得です」
モニターの中には確かに、先ほどの少女の写真が載っていた。
《堕落》の公爵。願いを叶える魔人。どこからともなく現れ何処へともなく消えていく放浪者。
日照りの土地に雨を呼び、東日本大震災では迫り来る津波を剣で割り、冒険者ギルドとエーテル管理局の仲を取りもち──日米の安全保障条約締結に貢献した!?
何、これ。書いてあること全部が出鱈目だ。安保条約締結って何年前の話だっけ。
《堕落》公は妖精か何かなのだろうか。ランプの魔人的な。幸運を運ぶ青い鳥みたいな。
こんな人間居るはずがない。誰かの悪戯か、当人が虚言癖かだ。そうでなければ正しく──神か、悪魔か。歩く災害だ。
「……『あらゆる願いを叶えてくれる願望機の側では、どんな人間もそれに依存し、退廃してしまう──故に、《堕落》の』。何ですか、この記事。誰が書いてるんですか?」
半信半疑で記事を読み進めると、それは途端に芝居がかった概要で纏めに入った。カシュは眉を顰めた。
アンドレアナ先生は苦笑いした。
「誰って、匿名の魔人マニアですよ。文章からも奇人らしさが伝わってくる変態ですが、情報自体は精度が高く、重宝します」
匿名の、とは言うが、アンドレアナ先生は記者のことを知っていそうな言い方だった。
むむ、とモニターに目を寄せて続きを読む。
『だが、当人は自身に依存した人間を好ましく思わないらしく、気が済むまで他者の人生を狂わせた後、去っていく。他人の性癖を破壊するだけ破壊して捨てるなんてどんな悪女だ。そんなだからお前はいつも一人なんだよ。ゴミクズめ。馬鹿女! さっさと野垂れ死ね!』
その後は延々と罵詈雑言が続くのみだった。
「……あの、これ……?」
「……記事に私情を挟むのは彼女の悪い癖です。いつもの事ですが、読解しづらくてたまりませんね──ああ、これは匿名の魔人マニアの記事ですけれども。私はあんな変態と知り合いじゃありません」
アンドレアナ先生はため息をついて、ノートパソコンをパタリと閉じた。話は終わりだ、という合図らしい。
「ともかく、クルミさん。《荊棘》子爵の討伐、おめでとうございます。最終課題は達成したものとして受理します」
「え、あ、はい。やった! 良いんですか?」
「経緯はどうあれ、貴方は《荊棘》子爵の首を持ち帰りました。このような幸運も冒険者に必要な資質ですから」
こういう訳で、夏秋クルミは《爵位持ち》の討伐に成功した。
「後は期末試験ですね。実技だけできても冒険者は務まりません。勉強を怠らないように」
「うげ、はぁい」
最後にそう釘を刺されて、カシュは職員室を退室した。




