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ある王宮の日常とささやかな非日常について(シリーズまとめ版)  作者: あいの あお
第六章 アマリリス令嬢の恋と友情、ぬいぐるみについて

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17.グローリアの怒り


 あることが頭をよぎり感じた不快感にグローリアも紅茶に口を付けた。空になったカップをソーサーに置くと、長兄が横からおかわりを注いでくれた。「ありがとう」と兄へ小さく頷くと、グローリアは難しい顔をする父へと視線を戻した。


「理由を、お伺いしても?」


 父の眉間に更にしわが寄る。そうして苦いものを呑み込んだように口元をゆがめ、言った。


「………今のこの国で、お前が最も王弟妃に近いからだ」


 ぐっと、グローリアもまた眉間と鼻にしわを寄せた。また王弟妃か、とお腹の中に黒い靄ができたように心も体も重たくなった。


「それも、モニカ様でもよろしいのでは?」

「そうだな。モニカ嬢でも良い。だが、最善ではない」


 静かに首を振る父に、グローリアは小さく唇を噛んだ。最善ではなくともモニカには強い思いがある。何もないグローリアよりもずっとずっと良いはずだ。

 けれども、今論ずるべきはそこではない。ため息をひとつで気を取り直し、もっとも知りたいことをグローリアは口にした。


「………いいですわ。そちらはいったん置いておくといたしましょう。それで、わたくしのお友達を傷つけた愚か者とこのお話の繋がりは何ですの?」


 ほんの少しの沈黙の後、父もまたふぅ、とため息を吐くと「そうだな…」と呟き、目を伏せ俯いた。


「私もそうだが、遠く、しかも絶対に安全だと言い切れない隣国になど娘を嫁にやりたい家などない。一度嫁いでしまえば中々戻っては来られないし、情勢によっては危険な目に合うかもしれん」


 決して豊かとは言えない隣国ではあるが、小国としてでも存続できるには理由わけがある。そしてその理由ゆえに周辺諸国から虎視眈々と狙われているのも事実。これまでは各国がお互いに牽制しあい危うい均衡が保たれてきた歴史がある。


「お前を行かせないとなれば、当然、モニカ嬢が行くしかない」


 父が静かに言い、そうしてふぅ、と大きく息を吐いた。


「………つまり、モニカ様を行かせないためにティンバーレイク公爵閣下が何かをなさったと?」

「いや、マシューは何もしていない。むしろマシューは初めから覚悟を決めていた。ティンバーレイクには幸い弟と妹がいるから跡継ぎには困らないしな」


 そこで言葉を切ると、ずっと背筋を伸ばしグローリアに穏やかな視線を向けていた父が大きな体を丸め、はぁ、と疲れたようにため息を吐いた。


「王妃殿下がティンバーレイクの出である以上王弟妃をティンバーレイクから出すわけにはいかないと、そう頑なに言っているのはマシューなんだよ………」


 右手で短い前髪をかきあげるようにすると、父はそのまま頭を揉むように数度指に力を入れた。


「私はな、お前を隣国へやるのも構わないと言ったんだ。娘も覚悟はしているはずだ、とな。だが、な」


 困ったように、切なそうに笑う父に、グローリアも「あ」と軽く目を見開き、きゅっと眉根を寄せた。


「王国の天秤………」


 グローリアのイーグルトンが『王国の良心』と二つ名を持つように、ティンバーレイクにも二つ名がある。それが『王国の天秤』だ。


「ああ。ティンバーレイクは規律と公平を重んじる。同じ代にふたりの妃をティンバーレイクから出すことをマシューは許すことができなかったんだ。たとえ、愛娘の心を踏みにじることになったとしてもな」


 先日見たモニカの諦めたような微笑みを思い出し、グローリアの胸がぎゅっと苦しくなった。


 モニカもまたティンバーレイクだ。きっとあの日にはすでに覚悟を決めていたのだろう。それでも下級生の教室にまで王弟殿下に会いに来ずにはいられなかったほどの思いを押し殺すのは、どれほどの苦痛を伴うのだろうか。やはりグローリアにはまだ分からないが、それでもモニカの心を思えばどうしようもなく胸が痛む。

 もどかしい気持ちを何とか抑え、グローリアは今にも丸くなりそうな背を無理やりに伸ばして父を見た。


「では、いったい何が?」

「……マシューに心酔する馬鹿どもが、勝手な忖度で暴走した」


 忌々し気に顔を歪めギリ、と歯噛みをした父を見て「ここからは僕が」と長兄が手を上げ遮った。


「ティンバーレイク公爵閣下は早々にお立場を表明されていたんだけどね。閣下に心酔する連中が閣下のお心を自分たちの良いように忖度したんだよ。ティンバーレイク公爵閣下も王弟殿下と思い合うティンバーレイク公女を引き裂くことなど本当はしたくないはずだ。ならば自分たちが解決して差し上げなければ…ってね」

「解決、でございますか?」

「そう。折よく君が茶会で王弟殿下とちょっとした騒動を起こしてくれたからね。それに乗じて君を悪者に仕立てて、イーグルトン公女は王弟妃には相応しくない、やはりティンバーレイク公女こそが相応しい…って世論を持って行こうとしたんだよ。世論が動けば天秤の重さも変わるからね」


 揺れ動く天秤を表すように、長兄が人差し指を立ててゆっくりと左右に振った。


「それがあの、騒動でございますか?」

「そう。君の悪評を立て、君と王弟殿下の間を険悪にして、あわよくば傷ついた君が自ら隣国へ行くと言い出せば良い、ってね」


 長兄が皮肉気に笑い、そうして肩を竦めた。


「どれだけ………馬鹿になさいますの………!」


 ばんっ、と、グローリアはテーブルを叩いた。ティーカップががちゃりと音を立て残っていた紅茶がこぼれたが、グローリアは気にすることもできない。ライラックの瞳を怒りで煌めかせ、頬を朱に染めてグローリアは叫んだ。


「そんな、そんな思い込みの身勝手のためにその不届き者たちはわたくしの大切なお友達を傷つけましたの?ドロシアを傷つけ、サリーに怪我を負わせ、モニカを余計に苦しませましたの!?」


 なぜ、分からないのだろう。公平を重んじるティンバーレイク公爵が無理やりに傾けられた天秤を見てどれほど深く思い悩むのか。自らの思いを大義名分に他者を傷つけられたモニカがどれほど深く苦しむのか。あの優しいふたりの若草色の瞳がどれほどの痛みに歪むのか、なぜ、どうして気づけない。


 そうでなければいいと、グローリアは何度も祈った。あの、茶会でグローリアを思いやり微笑んでくれたふたりの瞳が悲しみに沈まねばいいと、どうか傷つかないで欲しいと、どれほど深く祈ったか………。


 悔しさに、グローリアの瞳と喉元に熱いものがせり上がった。


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