12.若草色の公女
「………お使いになって」
ぼんやりと涙を流し続けるティンバーレイク公女にグローリアは静かに声を掛けた。差し出された絹のハンカチに目を向けると、ティンバーレイク公女は皮肉気に顔を歪め笑った。
「笑っても、良いのよ?」
「笑うところなどございましたか?」
グローリアがにこりともせずに返すと、ティンバーレイク公女はハンカチを受け取り「ありがとう」と静かに頬を拭った。
「では、怒っても良いのよ」
かたりと、先ほどまで王弟殿下の座っていた椅子をグローリアの方へ向けると、ティンバーレイク公女はデスクを挟んでグローリアの真正面に座り、じっとグローリアの目を見つめた。
やはりなと、グローリアは思った。誰もがただの噂で済ませずに信じた理由。それはあの日、あの場に居た当事者であるティンバーレイク公女の言葉だったからだ。ティンバーレイク公女の言葉だったからこそ周囲も公女であるグローリアを貶めることができた。虎の威を借る狐とはよく言ったものだと思う。
「そこは否定いたしません」
それでもグローリアがティンバーレイク公女に対して声を荒げないのは、ひとつの確信があったからだ。
「ですが、本意ではございませんでしたでしょう?」
グローリアを見つめる濡れた若草の瞳を、グローリアも真っ直ぐに見返した。
恐らくティンバーレイク公女がしたのはあの日の出来事をほんの少しだけ大げさに話した程度だろう。常ならば、そんなこともあったのかとしばらくすれば忘れられてしまう程度の、ほんの些細な、意地悪とすら言えぬほどの可愛らしい悪意。それがこれほどまでに大きくなったのは………。
「気づいて、いらしたのね…」
「はい、周囲を諫めるお姿を何度かお見掛けしましたから」
ティンバーレイク公女が目を見開き、「そうだったの」と若草の瞳を伏せて悲しそうに眉を下げた。
どんどんと大きくなっていく噂に、悪意のある囁きに、ティンバーレイク公女は何度も割って入り声を上げてくれていた。不確かなことを言うべきではないと、自分はそのようなことをされた覚えはないと。
けれども、ティンバーレイク公女が止めれば止めるほど周囲が勝手な解釈をした。お優しいティンバーレイク公女が容姿ばかり美しい棘と毒のある花を庇っているのだろうと。本当は悪意に心を痛めているのだ、自分たちが何とかしてさしあげねば、と。
その度にティンバーレイク公女の顔が苦痛に歪められるのを、グローリアは何度も目にしていたのだ。
「わたくしは、ティンバーレイク様を咎める言葉を持ちませんわ」
ゆえに、グローリアが怒りを向けているのはティンバーレイク公女ではない。大義名分を得たとばかりに悪意を増幅させ関係も無いのに騒ぎ立てた者たちと、悪意を持って実力行使をした者たち。そうして、その者たちを後ろで煽って嘲笑っていた者にこそ、グローリアは怒っていた。ティンバーレイク公女もまた、グローリアから見れば被害者なのだ。
「いいえ、わたくしにも怒るべきよ」
ティンバーレイク公女が悲しそうに微笑み首を横に振った。
「わたくしは、些少とはいえ間違いなく悪意を持って友人たちにあの日の話をいたしましたわ。ほんの少し大げさに話しただけとはいえ、それを引き金にあなたたちを貶め、怪我まで負わせてしまった。確かに故意では無かったわ。でもね、故意ではなくとも確かにそこに悪意はあった。あなたたちはわたくしに怒っていいのよ。………本当に、ごめんなさい」
そう言って静かに頭を下げると、ティンバーレイク公女はサリーの額のガーゼをじっと見て泣きそうな声で言った。
「傷痕は、残るのかしら?」
「いいえ、王宮侍医の方が時間はかかってもほとんど分からなくなるだろうと保証してくださいました。私もティンバーレイク様のせいだとは思っておりませんので、どうかそのようなお顔をなさらないでくださいませ」
にっこりと、サリーが春の木漏れ日のように温かくふんわりと笑った。ふっくらとしたサリーの両頬には笑うとえくぼができる。グローリアはそのえくぼが柔らかなサリーにぴったりで可愛らしくて大好きだ。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいわ。クロフトさん………もしも縁談に困ったら言ってちょうだい。よければ従兄を紹介するわ。伯爵家だから…決して悪くはないはずよ」
「とととと、とんでもございません!!伯爵家の御令息とのご縁談なんて、そんな!そんな!!!!」
ぷるぷると頭を横に振り、顔の前で両手までぶんぶんと振ってサリーが真っ赤になって遠慮をした。また傷に響いたのか「あぅ」と小さく眉を顰めて苦笑した。
子爵と伯爵。爵位ではひとつしか違わないがその差は大きい。子爵までは下位貴族と呼ばれそれなりの功績や実力があれば得ることのできる範囲なのだ。だが伯爵以上は違う。
伯爵以上になれば武力を持つことができる。それは、子爵までは領地持ちでも比較的要所ではない小さな地域を治める程度だが、伯爵ともなれば領主として主要な地域や広い地域を治める立場となるからだ。そして何より、伯爵家以上は王族やその血族との婚姻が難しくとも許される。
宮中伯と呼ばれる領地を持たない、高位の官吏として王宮に出仕することを主とする家門も少なくは無いが、彼らもまた王族との婚姻に関しては差は無い。
「ティンバーレイク様、残念ですがサリーはクロフト子爵家の唯一の跡継ぎですわ」
「あら…それでは従兄は駄目ね。弟……も、ああ、駄目だったわね………」
小さなため息を吐くとティンバーレイク公女の瞳がふっと陰った。そもそも公爵令息を子爵家に婿入りさせること自体が無茶だがそうではない、もっと別の何かを感じさせる暗さだった。




