11.王弟殿下の来襲 2
あの状況下であの言葉を聞いてそう解釈する人間がどれだけいるのだろう。グローリアは表情には出さず内心で眉をひそめたが、グローリアの内心に気づいたのか王弟殿下が笑った。
「そもそも、だ。お前みたいな年下の令嬢に本当のことを言われて怒るほど俺は子供じゃないぞ。多少心配はしたがな」
「心配?」
「おう、俺のせいでお前の評判が落ちるのは本意ではないからな。つってもまぁ…俺の言い方が悪かったせいでお前らにはすでにかなりの迷惑をかけちまったみたいだけどな」
ごめんな、そう言って王弟殿下はちらりとサリーを見た。「悪かったな、痛むか?」と声を掛けられ、真っ赤になったサリーがぶんぶんと首を激しく横に振り、そうして傷が痛んだのかぴたりと止まってきゅっと眉を顰めた。
王弟殿下は「無理するな」とサリーに苦笑すると、ドロシアにも「ごめんな」と謝りドロシアを凍り付かせていた。王族の謝罪など心臓に悪すぎてとてもでは無いが受けたくは無いだろう。グローリアは内心でふたりに深く謝罪した。
「お前は俺の大切な従姪だ。もちろん悪さをするなら容赦はしねえが、お前は国の良心イーグルトンの名に恥じること無いイーグルトン公爵家の公女だ。堂々としていろよ」
グローリアに向き直ると王弟殿下は淡く微笑み、グローリアの頬を撫でた。またもあっさりと触れられてしまったが、優しさ以外を何も感じない王弟殿下の手は意外と嫌では無いものだとグローリアは思った。
「王弟殿下…」
「うん?」
「お怒りではないと?」
「だから。俺が怒る理由が無いだろうが」
「そう、ですか…」
グローリアは、実はほんの少しだけ疑っていたのだ。もしかしたらやはり手を叩き暴言を吐いたことに本当は怒っていたのではないかと。
だが、何を言っているんだこいつはとばかりに呆れた表情でグローリアを見る王弟殿下に、その思いも綺麗さっぱりと消え去った。
「よし。でだ、グローリア。お前に無礼を働いたやつはどこのどいつだ?」
にこりと、とても良い笑顔で再度聞く王弟殿下にグローリアは首を横に振った。
「いいえ、おりません。ただの行き違いです」
「そうか?お前がそう言うならそれでも良いが………本当に良いんだな?恐らくこれが、最後になるぞ」
最後になる。その言葉にまた若草色が脳裏をよぎった。けれども、何も事情を聞かされていないグローリアに言えることは何もない。小さな嫌がらせや噂話に興じていたものたちまで名を上げて行けばきりも無い。その辺りは父も兄たちも王宮でさえも動いている今、追々明らかになっていくこともあるのだろう。
「まぁ、そうだな。ある意味ちょうど良かったのかもな。お前にも本物が見えただろう?」
にやりと笑う王弟殿下に、グローリアはゆっくりと瞬きをすると頷いた。
「ええ、そのようですわ」
そうして左右のドロシアとサリーを見ると、ドロシアは少しだけ目を細めて微かに口角を上げて頷き、サリーは「グローリア様」とそれはそれは嬉しそうに笑った。
「殿下」
ふたりの笑みを受けてグローリアは正面を向き直ると、姿勢を正した。ふたりの優しい視線を左右に感じ、正面では濃紫の瞳が同じように優しくグローリアを見つめている。あの茶会の日以来、グローリアは久方ぶりに心から微笑んだ。
「ありがとう、ございました」
王弟殿下はその日、グローリアを助けに来たのだろう。王位継承権もある公女グローリアを軽んじたものに制裁を…という体裁で、王弟殿下とグローリアの間にわだかまりはなくグローリアに関する噂は事実無根であるということを周りに示すためだけに。サリーを思えば少々遅いとは思ったが、それでもグローリアは嬉しかった。
あの茶会の帰り道、馬車の中でグローリアは母に聞いたのだ。あの時、母に色目を使う前に王弟殿下は何を呟いたのか、と。母は少し目を瞠り、そうして笑って答えてくれた。
「あらジジ、気が付いていたのね?あの時殿下は『すまない、巻き込む』と囁かれたのよ」
わざとだったのだと、グローリアは知った。そして王弟殿下があの場であんなことをした理由を、グローリアにはひとつしか思いつけなかった。あの時もまたグローリアは王弟殿下に守られていたのだ、やり方は決して良かったとは言えないが。
「うん?何がだ?………まあいいや、グローリア―――」
王弟殿下が何かを言おうと口を開いたところ、ばたばたと廊下を走る音がして少し乱暴にばたんっと教室の扉が開いた。
「お兄様!!!」
入って来たのは若草色の瞳の小柄な少女。二学年棟から走って来たのか艶やかな栗色の髪は乱れ随分と息が上がっている。普段のティンバーレイク公女からは考えられないほどの様子に教室がざわめいた。
「お兄様っ、わたくし…っ」
「そこまでだ、モニカ」
王弟殿下に駆け寄り何かを言おうとしたティンバーレイク公女を王弟殿下が静かに遮った。ティンバーレイク公女を見る王弟殿下の顔からは先ほどまでの穏やかな笑みは消え、静かに凪いだ濃紫の目からは感情が全く読めなかった。
「モニカ。俺から言えることは何もない」
「ですが、わたくしは…!」
なおも言い募るティンバーレイク公女に、王弟殿下はすっと大きな手のひらを向けて遮った。
「可愛い義姪で居てくれ………頼むから、俺を失望させてくれるな」
静かに言い放った王弟殿下に、ティンバーレイク公女ははくはくと溺れたように口を動かし、そうしてひと言「おにいさま…」と小さく呟いて若草の瞳からひと粒、涙をこぼした。
「ではな、俺は行く」
その涙をぬぐってやることも無く、王弟殿下は椅子から立ち上がると扉へと向かった。扉をくぐる前に足を止め振り向くと、どこか悲しそうに、それでいて見惚れるほど鮮やかに、王弟殿下は笑った。
「ふたりとも、良い女になれよ」
そうして王弟殿下が教室を去った後も、まるで魅了されたように誰もがしばらく動けなかった。




