4.(終)
そもそも、ライオネルはこの件に関して大きな問題が起きないように色々な形で手を打っていた。嫌がらせと称される行為も問題が起こりそうなものはベンジャミンが排除していたが、それ以外は多少困りはしても嫌がらせとは到底言えないようなものだった。ライオネルがしたことに関してのみだが。
敗因は、間違いなくアンソニーと国王陛下の行動を読み切れなかったことだろう。それと有象無象の暴走と、怪しげな頃合いに同時発生したちょっとした問題と。
「まぁ、それで逆にこじらせましたけどね」
「傷口に塩を塗らなくてもいいだろお前」
がばりと顔を上げると泣きそうな顔でライオネルが言った。
あの王妃殿下に窘められた幼い日以来、ライオネルは自分の言葉や行動について考えるようになったらしい。王と王妃である両親に構ってもらえない寂しさや、兄王子と比べられることへの嫌悪でひねくれてはいたが、そもそもの心根が真っ直ぐで優しいのだ。
実はライオネルは王妃殿下が蛙が好きなことを知っていた。あの日うっかりと傷つけそうになった小さな蛙は、ライオネルが朝から探した蛙の中で一番きれいな蛙だった。嫌がらせがしたかったわけでは無い。見せて、喜ばせたかったのだ。
叔母が言っていた。不器用で、少しずれているせいで勘違いされがちだけど、とても優しくて賢い王子様なの。今もきっとよ、と。
だからきっと、今回もそうだろうとは思ったのだ。ライオネルが本当にただ気に入らないだけで何かをする人間ではないと側でライオネルを支える者なら誰でも知っている。思考が斜め上なのと『面白い』が優先なせいでトラブルになりがちなのは否めないが、だからこそ側にベンジャミンがいる。
そしてそれは当然、アンソニーも分かっていることだ。だからこそ、アンソニーは他の誰でもない、ライオネルの秘書官になることを選んだのだから。
今日の視線は氷点下だったが、きっと数日もすればまた何事もなかったようにこの部屋でライオネルに駄目出しをするのだろう。アンソニーの駄目出しはちょっとした愛情表現だとベンジャミンは思っている。
アンソニーにはかなりの説教が必要だがそこは今回もベンジャミンが引き受けよう。やり過ぎなのもお粗末だったのも実はアンソニーの方なのだ、ライオネルが何も言わないだけで。どうもアンソニーはポーリーンが絡むと予想を通り越して暴走する。
ポーリーンに関わることでアンソニーが暴走するのは今回が初めてでは無いが、どうせライオネルは今回もアンソニーを怒ることも切り捨てることもしないだろう。そういう人だ。
「まぁ、結果的には良かったんじゃないです?今日でポール卿もアニーのことが少し分かったでしょう。…結婚しちゃった後ですが」
「そうだな…気の毒だが結婚した後になったな」
ライオネルが小さくため息を吐きしょんぼりと眉を下げた。
「………なぁ、普通、ただの文官が国王に直談判して御璽押させるか?」
「まぁ、アニーですからね。やるかやらないかなら、やるでしょうね」
「アニーもアニーだが兄上も兄上だろ。こんな簡単に大切な御璽を押してくれるなよ……。あー…でも絶対兄上も義姉上に絞られてるな………」
盛大なため息を吐いてライオネルが両手で顔を覆って天を仰いだ。
今もこの兄弟にとって王妃殿下は完全に頭が上がらない、絶対的な存在だ。王妃殿下は普段穏やかな上に決して理不尽を言わないと分かっているからこそ、叱られるときは大いに響く。
ベンジャミンのようなライオネルの一側近にも気軽に声をかける王妃殿下は、実に国母に相応しい知性と品性とバランス感覚を持った人だとベンジャミンは思う。それに、だ。
「そろそろ見合いの話も混ぜてくるでしょうね」
陛下と王妃殿下の間には九歳の王子殿下と六歳の王女殿下がいる。ちなみに、陛下とライオネルにはひとり少し年の離れた妹姫もいる。現在の王族は先王夫妻ともうおひとりも含めこの九名だ。
そして、今年の秋には王子殿下が十歳を迎えるのと合わせてめでたく立太子することが決まっている。王女殿下もいるため、これにて『王の予備』だったライオネルの役目も終わる。
これまでは、継承権争いが起きないようにとライオネルは王子の立太子までは結婚しないと宣言してきた。これでその前提が覆される。今年で三十一歳になる王弟殿下には降るような縁談が国内外から届いているのだ。今に始まったことでは無いのだが。
「あー…見合いなぁ…」
ライオネルが遠い目をしている。そろそろ逃げ切れないことは本人が一番分かっているのだろう。ベンジャミンもできる限り庇いたいとは思っているが、そろそろ潮時だとも思っている。
「陛下も王妃殿下も立太子前に結婚して構わないとずっと仰っていましたからね。そろそろ…潮時ですよ」
「そうだな。潮時、だな」
ライオネルが淡く微笑む。そうして執務机にこっそりと置かれた小さなぬいぐるみを見た。そのぬいぐるみは幼いころ、国王陛下とライオネルに王妃殿下から贈られたお揃いのテディ・フロッグ…蛙のぬいぐるみだった。贈られた時、国王陛下の顔が引きつっていたとは、叔母の談だ。
こんこんこん、とノックが響く。声を掛ければ王妃殿下の侍女だった。「入れ」と王弟殿下が促すと、外から護衛の騎士がドアを開け、侍女を部屋へ通す。
「王妃殿下より、お茶会の招待状をお持ちいたしました」
お手本のようなカーテシーをして侍女が差し出した招待状をベンジャミンが受け取る。
「必ず伺うとお伝えしてくれ」
ライオネルが頷くと、「畏まりました」と侍女はまた美しいカーテシーをして帰っていった。
「あー…来たなー…」
「とりあえず、手土産はバタースコッチで良いですかね?」
「ついでに俺と兄上にも一袋ずつ頼む」
ちょっとくらい慰めになると良いんだが…呟きながらライオネルがバタースコッチの小瓶をつつく。容姿も性格も全く違う兄弟だが、好きな食べ物は割と同じなのだ。大変残念なことに、女性の好みも。
再度ため息をつき「お前はここに残れ」と言うライオネルにベンジャミンは「おや」と口角を上げた。
まずは後片付けだ。どうせいつも通りになるのだろうが、それでもできることはやっておく。やられっぱなしはどうにもベンジャミンの性には合わないし許さない。敵に回したらどうなるか、有象無象には身をもって知ってもらうこととしよう。
国王陛下とアンソニーが手を回したようだが手ぬるい。陛下はそういうことに向いていないしアンソニーはまだ甘い。ついでに、本当の元凶であるこのふたりにもしっかり分かってもらう必要がある。
そうしてそれが終わったら、ベンジャミンにはもうひとつ大切な仕事が残っている。
「行きますよ、私も。怒られるときぐらいは一緒にいますよ、レオ」
「はっ、そーかよ」
にっこりと笑ったベンジャミンに「お前も相変わらず馬鹿だよなぁ」とライオネルは呆れたように言い「やっぱりお前は面白いよ」と照れくさそうにはにかんだ。
王弟従者の思い出とバタースコッチについて(終)




