6.グローリアの三人 三人目 3
ひゅっ、とグローリアは息を飲んだ。いかにグローリアが公女であれど相手は王弟。この国において数少ないグローリアよりも高位にある相手だ。その相手の手を叩き落とし、公の…しかも王族主催の茶会で大きな声で罵倒するなどあり得て良いことではない。
公女であるグローリアがこの場で手打ちにされることは無いが、不敬罪でどのような罰を受けても致し方がない。熱くなっていたグローリアの頭が一気に冷え、冷や汗が背を下っていった。
「っ…申し訳……」
「良い」
グローリアが立ち上がり謝罪をしようとするも言葉を遮られ、立ち上がることすら許されなかった。
「座っていろ、今日は王妃殿下の茶会だ」
頭上から、静かな声が落ちてきた。かろうじて「はい」と返事はできたが、グローリアは俯いたまま顔を上げることができなかった。もしも怒ってくれたのならばグローリアも顔を上げ平身低頭謝ることくらいはできたかもしれない。けれども王弟殿下の声があまりにも静かで凪いでいて、それが逆に恐ろしかった。
「殿下、どうぞここはわたしくに免じて」
顔を上げられないグローリアに代わり母が静かに頭を下げた。膝の上でぎゅっと握っていた両手にテーブルの下で母の手が温かく添えられ、ぽんぽんと、優しく叩いてくれた。
「もちろんだイーグルトン公爵夫人、顔を上げてくれ。私の戯れが過ぎただけだ。清く正しいうら若き令嬢には私のような振る舞いが許せないのは十分に理解できるさ」
「ご恩情に感謝いたしますわ」
顔を上げた母が再度小さく頭を下げた。「ああ」と頷くと王弟殿下はグローリアたちの元を後にした。王弟殿下がグローリアの後ろを通り過ぎるとき、背中をぽん、と軽く叩かれた感じがしたが、驚いて顔を上げると王弟殿下はすでに会場の中ほどまで歩いて行った後だった。
「騒がせて済まない。夫人のあまりの美しさに私の悪い癖が出たようだ。皆、どうか気にせず王妃殿下の茶会を楽しんでいただきたい」
王弟殿下が悪戯っこのように笑い軽く、けれど見惚れるほど優雅に美しく礼をすると、ざわついていた会場がぴたりと静かになった。そうして王弟殿下が顔を上げると同時にふわりと微笑みゆっくりと周囲を見渡すと、たったそれだけで参加者の表情が感嘆に変わり空気が一瞬で和らいだ。
圧倒的な存在感と、王族としての威厳。公女として自らを律し常に努力を重ねて生きてきたグローリアには、それが決して当たり前に出せるものでは無いことを知っている。
――――ああ、美しいわ。
艶やかな銀の髪、長いまつ毛に縁どられた切れ長の濃紫の目。けれどその容姿だけではない。王弟殿下は存在自体が力強く、誰に何を言われようとも自らであり続けるその確固たる自信と堂々たる姿こそが美しい。グローリアでは到底、王弟殿下ほどに自分を保つことはできないだろう。それがどのような方向であるとしても。
「珍しいわね、グローリア。あなたが我慢できないなんて」
何事も無かったように紅茶をすする母とは対照的に、グローリアはしょんぼりと肩を丸め視線を落とした。その通りだ。家ではある程度自由に過ごしているとはいえ、普段のグローリアならば公の場でこのような暴言を吐くことはおろか、感情を表すことなどほとんどない。せいぜい、冷ややかな視線を送り冷たい笑顔を浮かべて遠回しに嫌味を言う程度だ。
「申し訳ありません、お母様…」
自らの失態に眉を下げていたグローリアは自分の今いる場所を思い出し、更なる自己嫌悪に陥りながらゆっくりと顔を上げた。
「ティンバーレイク公爵閣下、ティンバーレイク公女、大変お見苦しいところをお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます」
グローリアと母の対面に座る若草色の瞳の親子に、グローリアは座ったまま謝罪をしてまた静かに頭を下げた。ここは公の場、この茶会の会場において王弟殿下のテーブルを除けば最も上座にあたる位置にある。このような場所で騒ぎを起こすなど、同席しているティンバーレイク公爵家にも無用な注目をさせてしまった。
「頭を上げなさい、イーグルトン公女。あれは王弟殿下が悪いよ」
「そうですわ、イーグルトン公女のお怒りもごもっともです」
ティンバーレイク公爵は苦笑しながらちらりと王弟殿下の後ろ姿を見やり、グローリアの緊張を解くためだろう、公女はあえて表情を崩し、共に怒ってくれるかのように愛らしい頬を膨らませ唇をつんと尖らせた。ふたりの含みの無い柔らかな声音とその表情に、グローリアも自然と笑みがこぼれた。
「感謝いたします。このお詫びはいずれ」
にこりと、社交用ではない心からの笑顔でグローリアは笑った。ティンバーレイク公爵が頷き笑みを深め、ティンバーレイク公女はぱちりと目を瞬くと、「あらまぁ」と花がほころぶようににっこりと笑った。
その後は他家の令息令嬢がグローリアたちのテーブルに挨拶に来ることはあったが王弟殿下がグローリアたちの座るテーブルに来ることは無く、茶会の終了までグローリアたちは穏やかな時間を過ごしたのだった。




