3.
もしもポーリーンとアンソニーの婚約が解消になるのならそれはライオネルが責を負うべきだともライオネルは考えていた。
ライオネルがポーリーンにアンソニーとの婚約を提案した。強制ではなく提案だ。だからこそ、どれほどアンソニーに恨まれても周囲から白い目で見られても、ポーリーンが嫌がるならアンソニーを無理やり黙らせてでも終わらせるつもりだった。今回も、ライオネル自身のやり過ぎと甘さから問題が起こった以上は当然ライオネルが責を負い終わらせるべきだと考えていた。
面倒ごとになるから流れに任せておけとベンジャミンは言ったのだが、ライオネルが言われて素直に止まる人間だったらこうはなっていない。実はそれ以前の根本的な問題があるのだが、そこはひとまず置いておく。
幸いと言うか不幸にもと言うか…アンソニーがライオネルの動きに気づいて手を打った後だったため退団届けも婚姻解消届も受理されることは無く。それどころか存在しなかったはずの婚姻届が王命で受理されたのだがそこはやはり、アンソニーだからと言うべきか。
非常に悪手なのが痛いがこれもまたこちらが後手に回った故なので、やってくれたなとは思うがやってしまったことは致し方ない。
そもそも、王弟ライオネルは根っからの悪人ではない。どころか、表沙汰にはできないが知る人ぞ知るとんでもないお人好しだ。
問題は時に自分の興味や『面白い』を優先しすぎて悪乗りをし、加減を間違えて失敗を…稀に大失敗をしてしまうことだろう。今回もこれだ。あくまできっかけを作っただけではあるが。
そんなライオネルをベンジャミンはそれなりに気に入り、失礼ながら困った弟のように大切に思っていたりする。ライオネルの方が年上なのだがそれはそれだ。
ベンジャミンがライオネルの側にいる理由は本当はそれだけでは無いのだが、そこは別に知っていてくれなくて良いとベンジャミンは思っている。聡いライオネルはとうに気付いているかもしれないが、お互い、特に直接言葉にしたことは無い。
「ああ、そういえば」
またもライオネルがひと息で飲み干した蜂蜜入り紅茶のカップを「これ以上は駄目です」と言って回収し片づけた後、ベンジャミンはライオネルに直接聞いてみた。
「ポール卿がアニーを好きじゃないから、という馬鹿らしい、失礼、残念な嫌がらせの理由は聞きましたが、実はそれだけじゃないですよね?」
「お前、言い直しても全然ましになってないからな?」
ベンジャミンは紅茶の代わりにポケットから出した飴を渡し、ついでに早急に確認をして欲しい書類を十二件ほど執務机に置いた。
面倒くさそうに唇を尖らせると「相変わらず失礼な奴だな」とぶつぶつ言いながらもざっと書類に目を通し、ライオネルはさらさらと署名をしていく。
途中、「おい、通しても良いがここの予算だけ軽く確認させとけ。詰めが甘い」などと言いながら三件はじいた。
ライオネルはその無茶苦茶な言動のせいで誤解されがちだが決して無能ではない。粗暴で無能に見えるようあえて振舞っているのだから誤解と言っても良いものかは微妙だが。
眉目秀麗、頭脳明晰、礼儀作法も実は完璧。本来であれば、ライオネルは多少の難はあるが申し分のない王族…のはずだが、そこは色々事情というものが存在する。
王弟ライオネルは残念な王族。それで良いし本当の所は知るべき人間が知っていればそれで良い。無能はふりでも粗暴はふりとは限らないので何にしろ問題があるのは事実なのだが。
「んで、なんだっけ?ポール卿への嫌がらせに別の理由があるのか、だったか?」
つけペンの先を拭きひょいとペン立てに投げ入れると、ライオネルが伸びをしながら言った。ペン先が痛むのでできれば止めていただきたいが、以前はインクが付いたまま執務机に転がしてべちゃべちゃにしていたので拭いて片づけるようになっただけましだとベンジャミンは思うようにしている。
「そうです。というかそもそも、何でそんなにポール卿が気に食わないんです?」
ポーリーンは家柄以外どれをとっても非常に優秀だとベンジャミンは思っている。家柄だって子爵家とはいえファーバー子爵家は広くは無いが非常に安定した領地運営を続けており、決して悪はくない。
ポーリーン自身も剣の腕は言うまでもないし人徳もある。容姿も目立つわけではないが整っており、爽やかで知的な印象を受ける。
何より、口数と表情筋の動きは少ないがその性格は実直で情に厚く、忠誠心も強い。ギャンブルもしないし酒で失敗した話も聞かない。ついでに浮いた話も全く聞かなかった。
一体全体、ポーリーンの何が駄目なのか。まさか本気でアンソニーを自分のものだと思ってポーリーンに取られるのが嫌で…などという世間一般の噂話の通りだとはベンジャミンは思っていない。思いたくない。まあ、無いと知っているのでそんな噂はどうでも良いが。
「面白くないだろうが」
「はい?」
ライオネルが心底面白くなさそうに言って包みを乱暴にはがし、「言っとくが別にポール卿が気に食わない分けじゃないぞ」と言って飴を口に放り込んだ。今日の飴はつい最近流行り出したバタースコッチという、バターと生クリームと砂糖を煮詰めて固めた甘く濃厚なものだ。
口の中で飴をころころと転がしていると、徐々に表情が明るくなる。気に入ったようだ。
「ポール卿は馬鹿が付くほど真面目なだけで面白くない。アニーはねじ曲がり過ぎて三周回って真っ直ぐに見えてるだけで、俺からすれば見ていて面白いが癖が強い。結婚なんてしたらどう考えたってポール卿が苦労するだろうが」
言いながらライオネルがベンジャミンに向かって右手を突き出した。もうひとつ寄こせということだろう。ベンジャミンはポケットからもうひと粒出して手に乗せてやった。
「アニーの本性に気づかず結婚するくらいなら、アニーともっと話して、アニーに頼って、アニーがどんなやつなのか少しは知ってから結婚する方がましだと思ったんだよ」
ライオネルが嬉しそうに包みを開けようとしてぴたりと止まり、いそいそと執務机の上の装飾の美しい小さな瓶に入れた。そうしてまた嬉しそうに瓶をとん、と指ではじいた。そんなに好きならまた買っておこう、とベンジャミンは今日の予定に菓子屋訪問を追加した。
「つまり、ポール卿を心配したんですね」
「違う。夫婦になった後にこじれることを心配したんだよ」
アニーがまたねじ曲がるだろう…とライオネルは執務机の上に腕を組み顔を乗せてため息を吐いた。
「アニーはポール卿と婚約してから明るくなった。五周くらいねじ曲がってたのが、少しほぐれてちゃんと笑うようになった。あの笑えるくらいの作り笑いも面白いが、あのアニーが楽しそうに思い出し笑いをして頬を染めるなんてそれまでなら絶対ありえなくて、貴重過ぎて、もっと面白い。だから、さ」
ライオネルが痛ましいものを見るように扉を見た。じっと見つめ、そうしてまたため息を吐くとべしゃりと執務机に突っ伏した。
「アニーが我慢して自分を隠してポール卿を繋ぎとめようとするのも、ポール卿が結婚してから本当のアニーに気づいてこじれるのも、嫌だったんだよ」
「結婚することは決定事項だったと」
「あのアニーが逃すと思うか?」
「いいえ、思いませんね」
「だろ?表面取り繕ったっていつかはばれる。アニーなら意地でも隠し通すだろうが仮面被り続けるのは疲れるし、いつばれるか不安抱えたままじゃ余計病むだろうが。本気で惚れてんならなおさらだ。ポール卿も後から気付いちまったらくそ真面目な分だけ嫌でも逃げ場がねえんだよ」
そんなの誰も幸せじゃなくて面白くねえじゃねーか。
腕の中に隠れた突っ伏した顔からもごもごと声が聞こえた。基準が面白いなのがどうかとは思うが、そんなところだろうとベンジャミンも思っていた。根は全くもって悪い人間ではないのだ。繰り返すようだが。




