9.乾杯!
扉をくぐったとたんに外とは違う喧騒がジャックとリビーを包み込んだ。笑い声、怒鳴り声、楽器の音にかちゃん!とグラスのぶつかる音。その全てがリビーには物珍しいらしく、大きな目を更に大きく見開いて呆然と店内を見渡している。
「リビー嬢」
ジャックがそっと手を掴んで引くときょろきょろしながらもしっかり着いてくる。ジャックは慣れたようにカウンターに手を上げ、そのままリビーを中二階へ連れて行った。
「ここがいつも俺とケネスが座る席ですよ」
椅子を引き、リビーを座らせる。中二階の手すりに近い席で、ちょうど店内を一望できるようになっている。リビーは目をまん丸にしたまま身を乗り出して下を眺めている。
「すごいすごいすごい!!お店が全部見えますよ!!」
それ以上乗り出したら落ちそうなほど身を乗り出すリビーにジャックは「危ないですよ」と苦笑した。あれは何です!?と危なっかしく指をさすリビーに丁寧に答えていると、カウンターでジャックに応えてくれた店員が注文を取りに来た。
「リビー嬢、酒は?」
「嗜む程度です!ハリエット様には一日一杯までと言われてます!!」
「好き嫌いは?」
「お酒も食事も特にないです!!…あ、辛いものはあんまり…」
「了解」と言って笑うと、ジャックは自分にはエールを、リビーには酒精の弱い甘めのシードルを注文した。今日のお勧めを聞き、リビーでも口にできそうなものを選び一気に注文するとリビーの方へ向き直った。
「俺のお勧めで注文してしまいましたが、良かったですか?」
ジャックが首をかしげてにっと笑うと、リビーがまた楽しそうに破顔した。
「はい!私はさっぱり分からないので!!普段のジャック様はご自分のことを俺って言うんですね?」
「おっと、失礼しました。この店では気が抜けるんでつい」
「いえ!それが良いです!普通に話してくれたら嬉しいです!!」
にこにこと笑いながらいまだきょろきょろと店内を見回しているリビーに、ジャックは頬杖をついて前のめりになり、にやりと笑った。
「ふーん、じゃぁ普通に話すけど」
表情も口調も、態度まで一気に崩れたジャックに目を瞠りぱちくりと瞬きをすると、リビーは「はい、ぜひ!」と大きく頷いて笑った。
「リビー嬢は下町に出るのは初めて?」
がやがやガチャガチャと騒がしい一階を眺めつつジャックが聞いた。リビーも同じように一階を眺めている。
「いいえ、一度だけお休みの日のお昼間に先輩と一緒に流行りの食堂へ行ってみたことがあります。大きなサンドイッチがとても美味しくて、でも全然食べきれなくて…。先輩と二人で困っていたらとっても可愛らしい看板娘さんが出てきて持ち帰るといいですよって包んでくれました」
「へぇ、どこだろ?」
「えっと、確か『銀の女神亭』?」
「ああ、西区の山盛りポテト」
「そうです、そうです!!山盛りポテトです!!」
そんな話をしていると、がちゃん!と音を立ててエールとシードル、つまみ用の揚げポテトが運ばれてきた。ここのポテトは太く切られたボリュームのある銀の女神亭とは違い細めに切ってからっと揚げている。
「うわ、ここもポテトが山盛り!」
リビーが目を丸くしている。
「下町はこんなもんだよ。ぱっと出せて失敗がないからたいてい山みたいになって出てくる」
うわぁ…と前のめりになって揚げポテトを眺めているリビーにシードルのグラスを渡すと、ジャックもエールのジョッキを持った。
「リビー嬢、乾杯したことある?」
「えっと、夜会のあれなら…」
「あー、あれは乾杯とは言わないな、俺たちは」
ジャックはぐっとエールのジョッキを持ち上げると、リビーにも「持ち上げて、しっかり持って」と言った。
「こういう店での乾杯はこうやるんだよ」
にやりと笑うとジャックは言った。
「リビー嬢の初めての下町飲みに!乾杯!」
がちゃん!っと大きな音を立ててリビーのグラスにジャックのジョッキがぶつかる。自分のグラスをケネスにするよりかなり控えめにごんっとぶつけたのだ。衝撃と大きな音に「ひゃぁ!!」とリビーが声を上げて目をまん丸にしている。
「ほら、リビー嬢も返して」
「え?え?返す??」
「何でもいいから、理由を付けて乾杯を返すんだよ」
「ええええ、えっと、えっと!あ!ルイザ様にばれて叱られませんように!えと、乾杯!?」
こちん!と大変可愛らしくジャックのジョッキにリビーのグラスがぶつかった。恐る恐るという様子にジャックが破顔した。
「はは!ほらリビー嬢、飲んだ飲んだ!」
喉を反らし、ジャックはぐっと一気にエールを飲み干した。そのままどんっとテーブルにジョッキを置くと、リビーを見ながらにやりと笑った。そうして階下のカウンターに向けてジョッキを振ると、カウンターの店員がジャックに手を振った。
ちらりとリビーを見るとじっと自分のグラスとジャックを難しい顔で交互に見ている。どうするのだろうとまた頬杖をついて見ていると、リビーはえいや!とばかりに思い切りグラスを傾けた。
「ぉお?」
ジャックが目を丸くする間に、リビーがごくごくとシードルを飲んでいく。いかん、止めるか?と思ったところでリビーがぎゅっと目を瞑ってグラスを静かに置いた。「ぅー…」と言ったまま俯き黙ってしまったリビーに、少しやりすぎたなとジャックが謝罪しようとすると、両手でグラスを握ったままがばり!とリビーが起き上がった。
「悔しい!!半分も飲めませんでした!!!!」
頬を膨らませてグラスとにらめっこをするリビーに「は……」とジャックの目が更に大きく見開かれた。「グラスが大きすぎるんです!」とむくれるリビーに、ジャックは腹の底から湧き上がる笑いを押さえられなくなった。
「…………………ははっ!あっはははははは!!リビー嬢!やるなぁ!!」
初めてでそれだけ飲んだら上出来だとジャックが褒めるもリビーは悔しいです!と更にむくれている。ジャックはあまりに面白くて、うっかりリビーの頭に手を伸ばしてわしわしと撫でた。
「いいんだよ、一気飲みなんてしなくて。うまいだろ?それ」
「髪が崩れます!」と悲鳴を上げたリビーにジャックはまたからからと笑った。
「あとは味わって飲めよ。ハリエット様から一杯だけって言われてるんだろ?」
まだむくれているリビーに眉を下げて苦笑すると、リビーが「そうでした…」とじっとシードルを見て、そして小さくひとくちだけ口を付けた。




