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ある王宮の日常とささやかな非日常について(シリーズまとめ版)  作者: あいの あお
王弟従者の思い出とバタースコッチについて

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2.

 深い青の大きな瞳をきらきらと輝かせいつもの八割増の愛嬌を振りまくアンソニーが魂の抜けたポーリーンを嬉々として見送りという名目の王宮内デートに連れ出したのを見送った後。

 それまでは大人しく息を潜めていたベンジャミンの主人、王弟ライオネルが詰めていた息を吐き出してごん!とかなり良い音と共に執務机に突っ伏した。


「で、お前はいったい誰の味方なんだよ」

「今回は圧倒的にポール卿ですね」


 ポーリーンが執務机に手を叩きつけた時に飛び散った書類を拾い上げ、ある程度順番にまとめ直し机の右側にひょいと置くとベンジャミンは肩を竦めた。

 当然だ、比べるべくもない。ポーリーンはベンジャミンにとって永遠の女神であり憧れであり尊敬してやまない本物の騎士なのだ。「ポール卿頑張れ!!」と後ろから声援を送っていたのもベンジャミンだったりする。


「お前、俺の従者だろうが」


 お前くらい俺の味方しろよ、と執務机に横向きにべちゃりと顔をつけて嘆く主人にベンジャミンはにべもなく言った。


「今回は完全に自業自得でしょう。王妃様から茶会のお誘いの先ぶれが届いておりますよ。時間を調整しておりますので逃げずにしっかりと伺ってくださいね」


 茶会という名の説教だ。多少気の毒な部分が無くは無いがライオネルには甘んじて受けていただこう。


 普段はある程度ベンジャミンが庇いもするが、今回ライオネルはずいぶんと下手を打った。危うく国はポーリーンという稀有な騎士を失うところだったし、第二騎士団と先駆けの第三隊の士気が下がり切っている今、何か起これば国の大事に至る可能性すらあった。

 残念だが、気が付けば「ちょっと意趣返しのつもりだったんだよ」などと言って許される範囲のものでは無くなってしまった。王妃殿下に大いに叱られて絞られれば良い。

 個人的な感情がほんのりと入っていないわけではないが、常々『ポール卿ファン』を公言して憚らないベンジャミンとしては今回は当たり前だと思っている。


 ちなみにだが、ベンジャミンはポーリーンに対する嫌がらせには一切関わっていない。むしろライオネルが何かしようとするたびにあの手この手で邪魔をしてきたし、有象無象も手を出せる範囲で潰してきた。


 結果として、実際にライオネルがライオネルなりの嫌がらせに成功したのはふたりの婚約期間一年の間に片手の指で足りる程度な上に大したものは無いのだが、他の有象無象があちこちでやらかした陰険で悪質な嫌がらせも色々とライオネルのせいになっており罪状が増えている現状だ。


 意図せずとも騒動のきっかけになってしまったライオネルに同情の余地は無いが、これはベンジャミンの失敗でもあるので少々心は痛む。主にポーリーンに対して。


「ぅ…もう義姉上から来てるのか…」


 王弟ライオネルの義姉上、つまり王妃殿下は傍若無人なライオネルが唯一かつ最も苦手とする人物であり、同時にライオネルの数少ない弱点でもある。


 王妃殿下は御年十歳の頃に現王陛下の婚約者になった。

 当時八歳だったライオネルは大変にやんちゃであり、庭園の東屋で行われていた顔合わせの席に乱入し、ついでに蛙も一緒に乱入させようとした。そして、あと少しというところでうっかりと転び、手に蛙を閉じ込めていたために受け身を取れず顔からべしゃりと地面に突っ込んだ。


 蛙はすぽんとライオネルの小さな手の中から飛び出て綺麗にセットされていたマカロンの山に見事に落ち、それを見た当時十二歳の王太子だった現王陛下が「きゃあああ!」と少女のように可憐な悲鳴を上げて手元にあった紅茶をばしゃりとかけた。


 幸か不幸か紅茶は的外れな方向へ飛び蛙にかかることは無かったが、あまりのことに周囲に控えていたメイドたちも皆完全に固まってしまったそうだ。


 王妃殿下はというと、誰もが固まって動くことも声を上げることもできない中でひとり立ち上がり、ちらりとライオネルを見るとテーブルに視線を戻し、両手でそっと蛙を掬い上げ「ごめんね」と呟き東屋の向こうの生垣へ逃がしてやった。

 そうして軽くハンカチで手を拭くと倒れ伏したままのライオネルの元へ行き、首を傾げた。


「蛙、嫌いなの?」

「嫌いじゃない!」

「嫌いだよ!」


 ふたりの少年の声が重なった。前者がライオネル、後者が現王陛下だった。王妃殿下はふたりを交互に振り返り微笑んだ。


「そう?私は好きよ」


 突っ伏したままだったライオネルを立たせ、半ズボンの膝が擦り剝けているのを見ると自分のハンカチで押さえようとして何に使ったのかを思い出してぴたりと止まり、ちらりと近くに控えていたメイドに目配せをした。

 慌てたメイドがハンカチを渡すと、「ありがとう、汚してごめんなさいね」と微笑んでそっとライオネルの血のにじんだ膝に当てた。


「嫌いじゃないなら、酷いことをしてはいけないわ」


 王妃殿下は「嫌いでも駄目だけどね」と笑うと、恥ずかしさと痛みで顔を歪め涙を堪えるライオネルの頭を「泣かずにえらいね」と撫でた。幸い、額と鼻の頭が赤くなっただけで当時から非常に整っていたライオネルの顔には傷はできなかったらしい。


「あなたはね、あなたが思うよりもずっと力があるの。あなたの言葉や行動のひとつひとつが誰かの未来を狂わせるかもしれないことを、どうか覚えていてね」


 それは国王陛下に言われた言葉だったのか、ライオネルに言われた言葉だったのか。

 セシリアの微笑みにふたりとも思うところがあったのだろう。似ていない顔に良く似た表情を浮かべて唇を噛み、俯いて何かを考えこんでいるように見えたそうだ。


 一事が万事こんな感じで、いつでも王妃殿下は国王陛下とライオネルの前を行き、時に後ろからそっと背を押してやった。時に褒め、時に叱り、時に諭し。そうやって、当時あまりにも過敏過ぎた国王陛下とやんちゃ過ぎたライオネルをゆっくりと王族と呼ぶにふさわしい人物へと矯正…導いたのだそうだ。

 つまるところ、どの教育係よりも恐ろしく、家族よりも近しく、誰よりも慕わしい相手…絶対に頭の上がらない人。それがライオネルにとっての王妃殿下だった。


 余談だが、なぜベンジャミンがこれほど詳しく知っているかというと何を隠そうセシリアにハンカチを渡した王宮のメイドというのがベンジャミンの叔母に当たる人だった。ベンジャミンがライオネルの従者になると決まった時、「うまく使いなさい」とこっそりライオネルの昔話を色々と教えてくれたのだった。


「覚えていてと言われたことを忘れたのですから、それは呼ばれるでしょうね」


 用意しておいた湯で紅茶を入れ、そっと執務机に置く。あえてぬるめに入れて蜂蜜をひと匙入れたそれを、ライオネルはちらりと見ると、むくりと起き上がりそのままぐいっとひと息に飲んだ。


「分かってる。忘れたこともねぇよ」


 ライオネルが音もなくカップをソーサーに戻すともう一杯寄こせとばかりにソーサーごとずいっと差し出したので、ベンジャミンはすでに別のカップで用意していた蜂蜜入りの紅茶のカップをソーサーごと交換した。


 実はライオネルはポーリーンとの約束通り、正しく婚約解消届に署名をしていた。ただし、それはライオネルがアンソニーとポーリーンとの婚約解消を望んでいたわけではなくひとつのけじめと贖罪としてだ。


 少しばかりやり過ぎはしたし色々と甘く見積もり読み間違えはしたが、ライオネルは決してふたりを引き離そうとしたわけではない。ただ、アンソニーが一方的にポーリーンに思いを寄せていることが気に食わなくて始めたことだった。


 ライオネルはポーリーンがアンソニーを頼れば良いと思ったそうだ。少し困らせて、アンソニーを頼らせて、アンソニーが助けて。そうして関わりを持たせることでポーリーンが少しでも、徐々にでもアンソニーを好きになれば良いと思っていた。

 色々あったので多少の憂さ晴らしはもしかしたらあったかもしれないが、それでも不幸になれと思ってやったことでは無い。むしろ、上手くいけば良いと思ってやったことだ。


 要するに、やり方が悪かった。ひと言で言えばそういうことだ。大変に残念だが。


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