26.七日目 ~ 最後の恋文
隣室に入りドアを閉めると、ハリエットはポケットから小さな袋に包まれた猫のチャームを取り出した。
二センチほどの黒猫は、横向きに座りこちらを振り向く意匠で長い尻尾がくるんと丸まっていて大変愛らしい。エイプリルも言っていたが、ハリエットの手紙が届いてからダレルが手紙を出すまでに恐らく一日も無かったはずだ。このように愛らしいものをあの忙しい人が一体どうやって手配したのだろう。
「ん-…お礼を…何かお礼を同封したいのだけど…」
あいにく外は嵐だ。朝よりは治まってきたとはいえ、セシリアの会談を考えれば手紙を出すまでに外出できることはないだろう。
一体全体、どこに野で摘んだクローバーに宝石の付いたチャームを礼に贈ってくる人がいるのだろう。改めてハリエットはダレルが国王陛下の側近であることを実感した。相手がセシリアであれば国王陛下なら間違いなく、やる。
考えても仕方がないので、ハリエットは今回は手紙だけを送ることにした。
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親愛なるダレル
今日のウェリングバローは思っていた通り大変な嵐となりました。残念ながら午前の視察は中止となりましたが午後の会談は行われました。良い結果をお土産にしなければと、セシリア様も張り切っておられました。
陛下を思い出しておられたようで、早く帰りたいと笑っておられました。
この雨の中を、友人の騎士が今朝から王都に向かったそうです。今日の午前に届いたあなたからの手紙もインクは滲んでいませんでしたがしっとりと湿っていました。この酷い嵐の中を手紙を守って走ってくださる騎士様たちに頭の下がる思いがしました。
そうです、朗報がありました。きっとこの手紙を読まれる頃にはお聞き及びかと思いますが、セシリア様が陛下にお手紙を書かれました。この手紙と一緒にお送りします。私のお役目も終わりですね。
ご心配ありがとうございます。明日からはちょうど帰還のための移動となります。あと三日でこの視察の旅も終わりますから、陛下もきっと安心なさいますね。きっとセシリア様を無事にお連れいたします。
次はきっと王宮でお会いすることになりますね。
愛をこめて ハリエット
P.S.
可愛らしい黒猫をありがとうございます。いつの間にご用意なさったのでしょう?懐中時計に付けて愛でようと思います。
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「よし………あ」
ハリエットは誤字脱字が無いか読み直し、うっかりと『お役目』と書いてしまっていることに気が付いた。一応、報告書では無く恋文の体だったのだが…いや、きっと随行が終わるという意味にも取れるだろう。ハリエットは書き直さずこのまま送ることにした。
これがハリエットが送る最後の手紙になる。何かお礼をと思うが、余計なことを書くわけにもいかない。けれど、これで最後と思うとあまりにもあっけないような気がした。
「駄目ね…」
ハリエットは自嘲気味に笑った。
楽しかったのだ、とても。この恋文に偽装した報告書のやり取りは、ハリエットの日常をとても鮮やかに塗り替えてしまったのだ。寂しいと、終わりたくないと、思ってしまうほどに。
「良いのよ、これで」
ハリエットは呟いた。「良いのよ」もう一度呟くと真っ赤な蝋を溶かしぎゅっと封蝋を押す。これでもう、手紙を書き替えることはできない。そうして、これまでダレルから届いた四通の手紙を出してデスクに並べてみた。
「……ありがとう…」
呟くと、ハリエットは一度ぎゅっと手紙を抱きしめセシリアの部屋へと戻った。
会談は順調に終わったらしく、その後はそのまま晩餐へと流れることになった。合間に着替えのために部屋へ戻って来たセシリアが、少し長めの手紙をしたため金の封蝋を押しハリエットへ手渡した。
「これもお願いね」
そう言ってにっこりと笑ったセシリアに、ハリエットも「承りました」とにこりと笑って受け取った。
「…ハリエット?」
セシリアがいぶかしげに眉を細めた。
「何かあったの?」
心配そうにハリエットの頬に触れ、セシリアがじっとハリエットの目を見つめた。その温かさに、ハリエットは自然と微笑んでいた。
「いいえ、ただ…長いようで短い十日間だったと思いまして…」
「そうね…本当に。長いようで短い時間だったわ」
恐らくセシリアはこの視察のことをさしているのだろう。けれどもハリエットは、あのダレルに呼び止められた日からの十日間を思っていた。今日でちょうど十日目。帰城まではあと三日残っているけれど。
「あと少しで帰れるわ、ハリエット。きっと、大丈夫よ。だからそんな顔をしないでちょうだい」
セシリアはもう一度ハリエットの頬を撫で後ろ髪を引かれるように晩餐へ向かった。同行するルイザもハリエットを見て頷くと「大丈夫ですよ」と優しく微笑んだ。
セシリアの部屋に残った三人に声を掛けると、ハリエットは騎士棟へ向かって歩き出した。嵐もだいぶ治まり今は少し雨が降っている程度だ。回廊を歩いていても昨日のように濡れてしまうことは無かった。
「大丈夫だったかしら?」
ふと、ハリエットはふたりの騎士を思い出した。あのふたりには『メイウェザーの祝福』の効果はあったのだろうか。不思議な力など信じていないハリエットだが、今だけはあの迷信が本当であればいいと心から思った。
「ああ、そうね。以前にもそう思ったことがあったわ…」
十一年前。セシリアと共にレオミンスター寺院へ行くと決めた日、ハリエットは確かにセシリアとルイザの手を握った。迷信でもなんでもいいからふたりを守ってと、心から祈ったことがあった。
「ふふ…懐かしい…」
もしもあの時もふたりに『メイウェザーの祝福』があったのなら。もしもダレルの苺飴がハリエットの祝福ならば。
なんてハリエットは幸せ者なのだろう。ハリエットの大切な人たちを守ることができたのだから。
騎士棟へと続く城壁をくぐるとすぐに第一騎士団の騎士を見つけることができた。手紙を託そうと声を掛けると「ああ、王妃殿下の」と微笑んでくれた。ジャックとケネスとも仲が良く話を聞いていたという騎士は、手紙を受け取ると「お任せください」とにっこりと笑った。
ああ、第一騎士団は変わったのね、とハリエットは思った。あのセシリアを心底怒らせた王命結婚事件は、決して悪いことばかりでは無かったのだ。




