28.八日目 ~ メイウェザー
小さな想定外はありつつも本日の宿泊先となる街へはしっかりと日が暮れる前にはたどり着くことができた。ルースは早くセシリアを風呂へ入れたいらしく、ホテルに着いたとたんに馬車を降りホテルのフロントへ駈け込んでいた。大至急湯を用意してくれるよう頼んだようだ。
当のセシリアは大変ご満悦な様子で部屋へ入り「今日も疲れたわね」と笑っていた。ドレスは朝着ていた若草色のシンプルなものから胸元をリボンで結ぶクリーム色の可愛らしいものに変わっていた。二児の母になってもなお妖精のように美しいセシリアには、どちらも良く似合っていた。
そうして、その全てをハリエットは心の中で手紙にしたためていた。この十日足らずですっかりと癖になってしまっている。何を書こう、どう書こう。ああ、これも手紙に書こうかしら。
ハリエットは今日、何度もそう思ってはきゅっと唇を噛んだ。もう役目は終わったと書いたのは自分だったのに。
「…駄目ね」
ぽつりと呟きばれないように小さくため息を吐くと、ハリエットはセシリアのためのお茶を準備し始めたが、かちゃりと音を立てる茶器に、またも小さくため息を吐いた。
セシリアの前に湯気の立つカップをそっと置きハリエットも荷物の整理を手伝おうときょろきょろとしていると、護衛隊長と明日の日程についての確認へ行っていたルイザが帰ってて来た。その手には何通かの手紙があったが、なんでも連絡係の騎士は昼頃にはこちらへ着いており、行き違いにならないようセシリアたちの到着を待っていたらしい。
ハリエットは手紙と聞いてどきりとしたが、定期連絡では無く臨時便だったようでダレルからの手紙は届いていなかった。ハリエットはほっとすると同時に寂しさを覚えた自分に呆れてまた小さくため息を吐いた。
「ねぇ、ハリエットは書かないの?」
就寝時間も近くなり、届いた手紙を読みつつ返事を綴るセシリアにナイトティーを淹れていると後ろから声を掛けられた。リビーとエイプリルは既に下がっており、ルースも先ほどフットマッサージを終えて片づけに下がっていった。部屋に残るのはハリエットとセシリア、そしてルイザの三人だった。
「え、何か仰いましたか?」
これ以上粗相のないようにといつも以上に集中していたハリエットは慌ててセシリアを振り向くと「あつっ」と手を引いた。熱湯の入ったポットの胴の部分に直接触れてしまったようで、拍子にかちゃんっと横に置いたカップを鳴らしてしまった。
「あー…申し訳ありません…」
ぐっと眉根を寄せて俯くと、セシリアが気づかわしげにハリエットを呼んだ。
「ねぇ、ハリエット。私ね、あなたのことが大好きよ。あなたが私の幸せをいつも願い守ろうとしてくれるように、私もあなたに幸せになって欲しいの。あなたが私の幸せを喜んでくれるように、私もあなたが幸せだと嬉しいの。それはきっと、私だけじゃないわ」
ハリエットが顔を上げると、ルイザも眉を下げ心配そうにて頷いている。セシリアもいつになく真剣な顔でハリエットを見ていた。
「……私はとても幸せですよ。私は自分の人生を掛けても良いと思えるものを見つけられた幸運なメイウェザーです。ましてやその方に好きだと言っていただける。お側に置いていただける―――幸せで無いわけがありません」
ハリエットはカップにふたつお茶を注ぐと、セシリアとルイザの前にそっと置いた。やわらかなカモミールの甘さの奥でリンデンフラワーの爽やかな香りがほんのりとくゆる。
メイウェザーは旅をする者が多い。それは、『人生を掛けても良い』と思えるものが簡単に見つかるわけでは無いからだ。有名な研究者となった者でも、研究することで自分の唯一を見つけ出そうと足掻いた結果そうなっただけという者も多い。そうして、見つけられずに生涯を終える者もまた、多い。
そんな中で、ハリエットはたった七歳にしてセシリアを見つけた。自分の人生を丸ごと掛けてもいいと思える対象であり、それを丸ごと受け止めてくれる人。セシリアがハリエットを受け入れなければ、ハリエットのこの『思い』は間違いなくハリエットを破滅へと導いたはずだ。セシリアを道連れにして。
「そうじゃないの、私があなたを受け入れるのは、当たり前なの。だから私は、あなたにはそれ以上を、求めて欲しいのよ」
セシリアが首を横に振りつつ、ひとこと、ひとこと、訴えるように言った。ハリエットの幸せを祈る言葉はどこまでも優しい。
ハリエットは自分のカップにもお茶を注ぎ、立ち上る香りを楽しみながら少しだけ口に含んだ。お砂糖も何も入れていないのにほのかに甘いお茶は、セシリアの優しい言葉と混ざり合ってハリエットの沈んでいた心をゆっくりと浮上させていく。
「セシリア様」
ため息をひとつ。そうしてセシリアの名を呼ぶと、あれほど揺れていたのが嘘のようにハリエットの心は凪いだ。
どこまでいっても、やはりハリエットはメイウェザーなのだ。時に嵐が来るとしても、時に自分が揺らいでも、結局またここへ戻ってくる。戻ってきてしまうのだ、嬉しいことに。
「セシリア様の喜びが私の喜びです。セシリア様がセシリア様であることが私の幸せです。セシリア様が嬉しいなら、私はそれが嬉しいのです。それが、私です」
ハリエットは心から笑った。そんなハリエットを見て「まったく、困った子ね…」とセシリアが頬に手を当てて苦笑いをしているが、それすらもハリエットは嬉しいのだ。
誰かがメイウェザーの血は呪いだと言ったがそれもまた真実だろう。呪いと祝福は裏と表。違いなぞ、見方ひとつなのだから。
「分かったわ、これ以上は何も言わない。私の喜びがあなたの喜び、それで良いわね?」
「はい!」
ハリエットがいつも通り笑うと、セシリアはルイザと目を見合わせて諦めたように笑い「もう休みなさい、私もお茶を飲んだら休むわ」とため息を吐いた。もうハリエットは、手紙を書かずともしっかりと眠れる気がした。




