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ある王宮の日常とささやかな非日常について(シリーズまとめ版)  作者: あいの あお
第八章 王子殿下の冒険と王家男子の事情について

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94.ブローチ


 母はため息をついて肩を竦めると、上座に座りちらりと後ろを見た。


「私も喉が渇いたわ」

「承知いたしました」


 少し離れた場所にいたはずのハリエットがいつの間にか母の後ろに立ち、音もなくカップを用意して茶を注いでいる。フレデリックが思わずハリエットを凝視していると、頬杖をついた母がちらりとフレデリックに視線だけ向けて笑った。


「分かる?フレッド。あなたの母親であり王妃である私に、私の言うことは聞かない、これからもあなたの意志を優先する…って、グレアムは言い切ったの。大したものよね……あなたの目は正しいわよ、フレッド」


 きゅぅぅと胸が強く締め付けられて、フレデリックはとっさにぎゅっと胸元でこぶしを握った。


『お心のままに』


 そう、微笑んでフレデリックたちを見送ってくれて以来、グレアムには会えていない。ごめんなさいも、ありがとうもまだ言えていない。


「グレアム……会いたい、な………」


 意図せず零れ落ちた言葉に、フレデリックの喉元がぐっと詰まった。

 今すぐ会いたい。会って伝えたい。昨夜、叔父にしたように抱きつくことはきっと許されない。けれど。


「側にいてって、言って良い、のかな」

「言わなくても側にいるだろ、あいつは」


 フレデリックの情けない独り言に、叔父が笑ってぽんっと優しく頭を撫でてくれた。 


「まったく……全てあなたの思惑通りかしら?レオ」


 ハリエットが置いたカップを母が一気に呷り、ため息をついて叔父を見た。ハリエットがまたすぐにおかわりを注いでいる。熱くないのかと驚いてハリエットを見ると、ハリエットが微笑んでポットにぴたりと手を添えた。


 熱くはないのだなとフレデリックはほっとして眉を下げると、叔父がまた、優雅な微笑みを浮かべてゆっくりとひとつ首を横に振った。


「陛下のこれほどまでの暴走はさすがに予想外ではございましたが……。そう仰る王妃殿下も私が何も言わずとも平和裏に収めるおつもりでいらっしゃいましたでしょう?」


 久々に見るおおやけの叔父の姿だ。フレデリックの思う、理想の王族男子の姿。優雅で、堂々として、そして凛と美しい。


「何か、違う……」


 どうにも居心地が悪くて、フレデリックはきゅっと肩を竦めた。なぜだか苦いものを噛んだように口元が歪んでしまう。

 ずっとこれが格好の良い理想の王族の姿だと思っていた。今も格好良いとは思うのだが、どうしても「違う!」と叫んでしまいたくなる。


 フレデリックがもぞもぞと体を揺らしていると、二杯目の茶を飲んでいた母がカップをソーサーに置いた。


「どうしてそう思うのかしら?」

「そうでなければ今日、我々をお呼びになるのにこの温室をお使いにはならないでしょう。この王宮内で最も侵入が難しく、最も盗み聞きされないこの場所を」

「どうせレオが先回りして対処してるだろうと思ってただけよ」


 母がまた嫌そうに顔をしかめると、ぐっと顎を引いて汚物を見るような目で叔父を見た。


「ていうかレオ、そろそろその話し方を止めて。気持ち悪いわ」


 優雅に美しく微笑んでいた叔父の顔が一転して渋面になった。

 真っ直ぐに伸びていた背筋から芯が抜けたように力が抜け、肩が落ちてやる気が無さそうに重心が右に寄った。


「いや、一般的な貴族の話し方して気持ち悪いって言われるのもどうなんだよ……」

「仕方ないじゃない、気持ち悪いんだもの」

「これだよ………」


 叔父がこれ見よがしに大きなため息を吐いた。首を更に右に倒すと右手でぐっと伸ばすように頭を押さえている。

 ちらりと叔父の様子を見た母が焼き菓子をひとつ取ると口に入れた。


「小腹が空いたわ」

「へーへー、そろそろお茶にしてくれよ」

「言われなくてもよ。ハリエット」

「はい、ただいま」


 頬杖をついたまままた焼き菓子を手に取った母に、ハリエットが青灰の瞳を細めて頷いた。

 母の空気が緩み、叔父の空気が緩む。説教の時間はこれで終わりなのだなと、フレデリックにも何となく分かった。


「フレッド、座れ」

「え、はい、叔父上」


 ぽんっと背を叩かれてフレデリックが慌てて母を見ると、母も座れと言葉にする代わりにこてりと首を傾げて視線でフレデリックの椅子を示した。叔父は大あくびをしながら座っていた椅子へと戻って行く。ダレルも父の隣にゆっくりと座った。


「失礼いたします」


 父の前に置かれたのと同じ湯気の立つカップがフレデリックの目の前にも置かれた。見上げると、ハリエットがにこりと微笑んでくれる。


「あ、れ?そのブローチ……」


 ハリエットの首元のブローチが目に留まった。

 緑の葉三枚と赤の葉一枚の四つ葉のクローバー。同じものを見たような気がしてきょろきょろと視線を動かすと、父の隣に座るダレルへとハリエットが茶を出している。


「あっ、クラバットピン」


 ダレルの首元に同じ意匠のクラバットピンが光っている。こちらは赤の葉が三枚と緑の葉が一枚だ。


「そうか、叔父上が晴れにしないといけない式って……!」


 目を合わせたダレルとハリエットが、ほんの数秒、とても優しい瞳で見つめ合った。

 昨夜、『誘っていいのか』とハリエットが聞いていたのはやはり結婚式だ。ハリエットの花婿が、フレデリックにもようやく分かった。


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