93.侍従
ゆっくりと顔を上げたダレルがフレデリックと目が合うとまた柔らかく口角を上げた。じわりと、フレデリックの中である予感が広がって行く。
「そうか。ストークス殿は、いつの間に……?」
「どうぞダレルと。陛下のなさることを収めるのが私の職務ですので」
ダレルの眉が下がり、ほんの少しだけ笑みが深まった。ふと見ると、父も眉を下げて困ったように笑っている。
フレデリックは昨日、父の侍従なのにダレルはどうして父の側にいないのか不思議に思ったのだ。王家の谷でも、フレデリックが王宮に戻って目が覚めたときも、母の部屋で食事をしたときも、なぜ。
「………ああ、そうか。だからダレルは、いつも父上の後ろに控えているのか」
フレデリックの中で予感が確信に変わり、すとん、と何かが落ちた。それと同時にまた、申し訳なさと情けなさが胸に広がって行く。
フレデリックは一度ぎゅっと強く目を閉じると、目を開いてダレルの緑の瞳を見つめた。
「僕はずっとダレルを、父の後ろに立っているだけの、頼りない侍従だと思っていたんだ」
ダレルは跪いたままフレデリックを変わらず穏やかな瞳で見つめている。フレデリックがいたたまれなくて眉を下げると、ダレルはフレデリックを促すように笑みを深めてひとつゆっくりと瞬いた。
「でも、ダレルは………本当のあなたは、父の後ろに常にいて、何かが起これば真っ先に動いて、影響を最小限にするために絶えず力を尽くしてくれている。違うだろうか?」
フレデリックがぐっと奥歯を食いしばると、ダレルは何度か瞬きをして、それからどこか困ったように眉を下げて目を細めた。
「本来でしたら未然に防げるのが一番なのですが……。昔から、私では力が及ばないものですから」
「いや、あなたがいてくれたからこそ、防げたことはたくさんあるはずだ」
ダレルはゆるりと首を横に振り、力なく笑った。どこか諦めたような悟ったような笑みに、ちくりと、みぞおちの辺りが痛む。
「ダレル、昨夜は眠っただろうか?」
「もちろんです、殿下」
「ならばその目の下の色濃いくまは常にあるということか?」
「っ、いえ、多少、睡眠は少なかったかもしれませんね」
ダレルが驚いたように目を見開き、軽く目元に触れてほんの少し視線を逸らした。自分のくまの濃さに気づけないほど常にくまがあるのだろう。きっと昨夜もほとんど眠っていない。
「ダレル。僕はどうしていつも父の後ろにいるのがあなただけなのかを知らない。でも、もしも父が何かをするたびにあなたがずっと対処してくれていたのなら」
フレデリックは困ったように笑うダレルに首をふるふると横に振り、感謝と謝罪を込めて、頭を下げる代わりにゆっくりと頷いた。
「大げさではなく、あなたは王家の救世主とも言えると思う。とても大切で、重い役割を担う人だ」
「………もったいないお言葉にございます、殿下」
嬉しそうに、照れくさそうにダレルは笑った。そうしてフレデリックの向こう、少し離れた場所を見て目元を更に柔らかくした。細められた目尻に薄くしわが寄る。
「あ……グレアム………」
ダレルの柔らかな緑色の目元に、柔らかい黒の瞳が重なった。
王太子宮へ入ればメイに変わりいつもフレデリックの側に控えていてくれるはずの、フレデリックが信じると決めたもうひとりの大人。フレデリックの大切な侍従。
「っ、あの!」
「はい、何でございましょう?」
「その……グレアムが、辞退するというのは………?」
「ああ、そちらの件でしたら」
ダレルが緑の瞳を優しく細めてすっと叔父の方を見た。フレデリックもつられて叔父を見ると、視線に気づいた叔父が片方の口角をきゅっと上げた。
それから母へと視線を向けると、叔父は大変貴族的な、うっかり見惚れてしまうほど美しい微笑を浮かべて胸に手を当て、母に軽く頭を下げた。
「王妃殿下、グレアム・ブライが王妃殿下に申し上げたことを、王子に『正しく』お伝えになるべきではございませんか?」
顔を上げた叔父がまたお手本のようににこりと笑うと、母が心底嫌そうな顔で叔父を見た。
「……ほんと腹の立つ顔ね」
「お褒めに預かり光栄です、王妃殿下」
優雅に小首を傾げた叔父を見て、母が父が蛙を見るより嫌そうな顔で目を逸らした。
「ちっ」
「は、母上?」
母の口から舌打ちが漏れた気がしてフレデリックが目を見開くと、ため息をついた母が不愉快そうな顔のままでフレデリックに視線を向けた。
「あのね、フレッド。私がグレアムに、今後もあなたの侍従を続ける気があるならあなたの様子を嘘偽りなく私に逐一報告しなさいって言ったのよ」
「え、報告ですか?」
「そう。今回のように私に隠すな、って。そうしたら、ね」
母は眉を寄せたまま目を閉じて軽く目頭を揉み、目を開けると苦笑した。
「グレアムはね、『どのような形になっても私から王子殿下の元を去るつもりはありません。ですが唯一、私があの方の何らかの枷にされるくらいでしたら侍従の座を辞退いたします。私が望むのはただ、王子殿下が健やかにのびのびと成長なさることだけ。侍従でなくともお側にいる方法はいくらでもありますでしょう?』って笑って言ったのよ」
「え……?」
フレデリックが驚いて叔父を振り返ると、叔父は軽く肩をすくめて「当たり前だろ?」と笑った。




