87.僕だよ
うっかり叔父と話し込んでしまったが、母に報告している最中だったことを思い出しフレデリックはきゅっと肩を竦めて「失礼しました」と小さく呟いた。
叔父は「あー」と視線を逸らし、また首の後ろを撫でると苦笑して、背筋を伸ばし後ろ手に手を組んで母に向き直った。
「それで?命の危険の無い限りぎりぎりまで待ったのは分かったけれど、どう考えても今回は命の危険がある状態だったでしょう。どうしてリンドグレン令息が立ち向かって怪我をするに至ったのかしら?」
「あー、それは………」
凛々しい表情に戻っていた叔父の表情が途端に崩れた。苦いものを噛んだように表情を崩すと、「えーっとな…?」とまた言葉を探すように視線が泳いでいる。
「………僕だよ、セシリア」
案の定というか、後ろで父がぽつりと呟いた。振り向くと、またしょんぼりと肩を落としている。
「ウィル……今度は何をしたのかしら……?」
母も予測はしていたようで、小さくため息を吐くと父へ視線を向けた。母の美しい微笑が恐ろしい。フレデリックの背がふるりと震えた。
「うん……。殺気を放っても蛇が逃げない時点でレオが出ようとしたんだけどね、僕が暴食蛙を見て混乱していて………出ようとしたレオに思わず飛びついたんだよね」
「……それで?」
「ちょうどぶつかった位置が悪かったみたいでね。レオがそのままつんのめってジェサイア君にぶつかって、ジェサイア君も僕らに巻き込まれて体勢を崩してしまって、折悪くベンジャミン君は念のためにってクロスボウの準備をしていて」
「…………それで?」
「僕が慌てて離れて転がった先に裏から蛙を追い掛けてきた蛇がもう一匹来てて。その蛇が僕が近くに転がったのに驚いて襲ってきて。近くにいたジャック君がとっさに僕を庇って。……ちょうどその時だったんだよね、大蛇が口を開けたのが……」
しょんぼりと肩を落とすと、父は「ごめんね」と誰に向けてか分からない謝罪を呟いた。
つまり、だ。叔父たちは、間違いなく銀大蛇がフレデリックたちに完全に近づく前に対処しようとしていた、ということだ。
「叔父上のぎりぎりは、ちゃんとぎりぎりだったんですね……」
「あー……まぁ、そうかもなぁ……」
叔父が歯切れ悪く頷いた。
「良かったです。良くないけど」
「まぁ、そうだなぁ」
「あの怖い思いは、いったい何だったんでしょうね」
「あー、まぁ、な」
何度も歯切れの悪い返事を繰り返す叔父にフレデリックは何とも言えない気持ちで苦笑した。それと同時に、叔父のぎりぎりがフレデリックとあまり違わないことにどこかほっとした。
「ウィル…………」
「うん、完全に僕のせい、かな………」
母が感情を抑えた声で父を呼び、頭痛がするのかついに両のこめかみを揉んでいる。
母は常に冷静で、感情を表に出さず微笑みを浮かべている人だとフレデリックは思っていた。けれど、今日こうして見た母の顔はもっとずっと人間的だ。
昨夜、叔父が夫だったら母は歩く国法のようになっていたと、叔父は言っていた。そうならなかったのは父がこうして困らせて、母の感情を動かしてきたからなのかもしれない。
「これもきっと、違うからこそ、だ」
母の冷たい視線を浴びて更に小さく肩を丸めた父を見る。
叔父と母ならきっと、国はとてもよく回る。けれどきっと、理性的で賢い叔父では信じて任せる相手にはなれても、父のようには母を動かせない。
「きっと、これで、良かったんだ」
良かったというべきかどうか、フレデリックには正直分からない。けれど、良かったのだと信じる方が幸せに暮らせそうだと、フレデリックは自分を納得させるように頷いた。
「何だってそんな状態になったのよ、ウィル……」
深いため息をついて片手を腰に当て、もう片方の手で目元をおおって天を仰いだ母を見て叔父が苦笑した。
「まあ、兄上の気持ちは分かるんですけどね…ただ、俺はもう暴食蛙に食われる大きさじゃないんでね………」
「うん、分かってはいるんだけどね、思い出しちゃって」
叔父がぽん、と父の丸まった肩に手を置くと、父がその叔父の手に自分の手を重ねて眉を下げた。
「まだ怖いんだよね、君が食べられちゃいそうで」
「あ!大冒険!!」
思わずフレデリックが大きな声を上げると、振り返った叔父が「おう、それだそれ」とにかっと歯を見せて笑った。
「ねえちょっと、私知らないのだけど」
「そうだな、セシリアと兄上は見合いすらまだだったしな」
「待って。まさかレオ、あなた暴食蛙の餌になりかけたの……?」
「まぁ、腹の中に頭は入ったな」
懐かしむように目を細めた叔父に、母は「冗談でしょ」と今度は俯いて片手で目をおおった。
昨夜聞いた父と叔父とゆかいな仲間たちの大冒険のお話で、叔父は巨大な暴食蛙にうっかり呑まれかけたのだ。
「レオ………後で詳しく」
「おう、後でな」
にっと楽しそうに笑った叔父に、母がまた「冗談でしょ……」とため息を吐いた。




