83.止めませんでした
母はもうひとつ小さくため息を吐くと、不機嫌そうに眉をひそめたまま叔父をじっと見据え、それからすっと、表情を消した。
「なぜ、行くと分かっていて止めなかったのかしら?」
無表情の母を一瞬だけ見つめ、叔父はほんの少しだけ口角を上げた。
「それが王家男子というものでございましょう?」
「はぁ………いいわ、続けて」
またも疲れたようにため息を吐きながらこめかみを揉むと、母はさっさと続けろとばかりに右手をぱっぱと振った。
叔父は少しだけ笑みを深くすると、また表情を引き締めてぐっと背筋を伸ばした。叔父の凛とした姿に、自然と叔父を見上げるフレデリックの背も伸びる。
「危険区域は立ち入りが許される者が限られます。そのため、第一騎士団団長補佐カーティス・ラトリッジに、腕が立ち、信用に値し、自らの判断で立ち回れるだけの器量のある騎士の選抜を依頼。第一騎士団所属のジャック・タイラー、ケネス・コーツが選抜されました」
「っ」
フレデリックは声が漏れそうになって慌ててぐっと奥歯を噛んだ。ジャックとケネス。あのふたりは第一騎士団の中でも指折りの実力者だ、ということだ。嬉しいような、複雑なような。フレデリックは何とも言えない気持ちできゅっと唇を引き結んだ。
「ジャック・タイラー、ケネス・コーツ両名にも離宮の森と王家の谷の現状及び銀大蛇の繁殖期であることも含め、起こり得る可能性を予測できる限り全て伝え、処罰対象になる可能性があることも含めて説明した上で第一騎士団長にも報告。了承を得て、王弟ライオネルの名の下で任に当たらせました」
母の眉がぴくりと動いた。右手を少し上げて叔父を制止すると、母は後ろに控えていた三つ編みの侍女を首だけで振り向いた。
「リビー、何か聞いていて?」
「ちらりと。理由は教えてくれませんでしたが、次の任務で処罰があるかも、とは。でもやるなら自分がやりたい、って言ってました」
頷いた次女に、母は「そう……」と呟くと少し考えるように小首をかしげ、ため息を吐いた。
「止めなかったのかしら?」
「止めませんでした」
リビーと呼ばれた侍女はジャックかケネスの関係者らしい。困ったように眉を下げ、けれどどこか誇らしげにも見える苦笑を浮かべるリビーに、母も「まったくもう」と苦笑して叔父を振り返った。
「良いわ。続けてちょうだい」
母がまた、続けろとばかりに右手をぱっぱと振り、叔父はゆっくりと首を縦に振った。
「当日は王子一行が離宮の森に入った後に護衛の両名の更に後ろからグレアムに同行させ、私と側近が離宮で待機。王子たちが立ち入り禁止区域に立ち入った時点でグレアムが離宮に戻り、私たちが先回りして王家の谷で危険が無いよう見守る予定でした。が………」
叔父が一度、言葉を切った。何かを考えるように叔父が少し目を泳がせると、母がちらりと父を見て、そしてため息を吐いた。
「ウィルが動いたのね……」
「あー……はい。念のため何も伝えずにいましたが、陛下の嗅覚は異常…常軌を逸して…あー、陛下は敏感でいらっしゃいますので………」
逡巡するように何度か止まりながら言葉を選ぶ叔父に、母が「良いから」と両手を腰に当てて少し視線を下げた。それを見た叔父が少しだけ視線を逸らし、観念したようにため息を吐いてまた視線を母に戻した。
「陛下が共も連れず単独で立ち入り禁止区域側からの侵入を試みているところを、離宮に戻る途中のグレアム・ブライが気づき、我々で確保。離宮でお待ちいただくよう説得を試みましたがなかなかご納得いただけず、間に合わなくなる恐れがありましたのでそのまま同行して王家の谷へ向かいました」
「ウィルの足では、森の中は時間がかかるわね」
「はい、結局王子たちの王家の谷到着には間に合いませんでした。そこは陛下を説得しきれなかった私の不徳の致すところです」
「う…ごめん……」
淡々と無表情のままで話を進める母と叔父に、父が椅子の上で小さくなって謝った。母も叔父もちらりと父に目を向けただけで、特に声を掛けることもなく視線を戻した。
「それで?第一騎士団のふたりとグレアムはどうしていたのかしら?」
「王子たちが赤線を越えて危険区域へ入った時点で、護衛のうちひとりは王宮へ戻り、最悪の事態に備えて各騎士団長へ第一級機密扱いでの報告と準備をするよう命じておりました」
フレデリックは、声を出さないので必死だった。
自分たちがのんきに冒険にいそしんでいる間に大人たちがどれほど裏で動いていたのか。聞けば聞くほど、フレデリックの当たり前がひっくり返っていく。
「そのため、ケネス・コーツは王宮に戻り報告。準備の後は有事に備えて待機。ジャック・タイラーは危険区域に侵入後も気づかれない範囲から王子たちの尾行を続けました」
ふと、レナードが気配を消されると分からない、と言っていたのを思い出した。
最後までジャックに気づけなかったということは、ジャックはとても上手く気配を消せるということだ。口の中が何だか苦い気がして、第一騎士団だからと甘く見ていたことを心の中で謝った。




