74.大好き
食事の後では駄目なのだ。食事の開始は一緒だが、席を立つのはばらばらなのだ。フレデリックが食べている間に父と母が席を立ってしまったら抱き着きに行くことができなくなってしまう。抱き着くなら朝食が始まる前、今しかないのだ。
「あの、父上!」
ぐっとこぶしを握り締めると、フレデリックは目を泳がせながらも父の座る上座へと歩みを進めた。
父の真横にたどり着くと、座ったままの父が上半身だけフレデリックの方を向き、フレデリックを見て首をかしげた。
「うん、フレッド。どうしたの?」
首をかしげる父の顔をフレデリックはじっと見つめた。
昨日、あれだけ震えて顔色の悪かった父だが今日はとても顔色が良い。むしろいつもより艶々と肌艶も良く、赤混じりの紫の瞳も心なしかきらきらと輝いているように見える。
「父上、今日は、お元気ですか?」
「うん、大丈夫。元気だよ?」
思わず聞いてしまったフレデリックに父は不思議そうに、けれど穏やかに笑った。父が元気なのは、素直に嬉しい。
「えっと、父上」
「うん」
「その」
「うん」
父の隣、目を泳がせたままで立ち尽くすフレデリックを食堂の誰もが見つめていた。けれど誰もがただフレデリックが言葉を発するのを見守ってくれている。
最後の勇気が出なくてちらりと母を見ると、何かに気づいたわけではないだろうが母は笑ってゆっくりと頷いてくれた。
ぐっと、フレデリックは顔を上げて顎を引いた。
「父上」
「うん」
指先が、また小刻みに震えてしまう。フレデリックが恐る恐る小さく手を伸ばすと、ふっと笑みを深くした父がフレデリックの肩にそっと触れた。そのまま体を前に倒せば、当たり前のように父はフレデリックの背に手を回してぽんぽんと叩いてくれる。
「どうしたの?フレッド」
肩口で聞こえるまるで小さな子をあやすようなその声音に、フレデリックの胸に温かいものが溢れた。フレデリックはこの温もりをちゃんと知っている。
「父上、ありがとうございます。ごめんなさい。それと………大好きです」
思い出せば自然と、フレデリックの口から言葉が溢れ出した。
幼い日、フレデリックが寄ってさえ行けば、父はどれほど忙しくとも手を止めて、いつもこうして背を叩きフレデリックを膝に入れてくれていた。今のフレデリックは父にはもう膝に入れるには大きすぎるだろうけれど。
「フレッド………君が無事で本当に良かった。ありがとう、愛しているよ」
父がぎゅっとフレデリックを抱きしめてくれた。フレデリックも父の背に腕を回してぎゅっと抱き返す。昨日、庇ってくれた時と同じ父の香りがする。
叔父にしたように飛びつくことはできなかったけれど、それをしたら父は椅子ごとひっくり返ったかもしれないのできっとこれで正解なのだと、フレデリックは声に出さずに笑ってさらにぎゅぅと父にしがみついた。
「………」
いつ、離れれば良いのだろう。きっかけを掴めず、嬉しいような恥ずかしいような、離れがたいような気持ちでフレデリックがそわそわしていると、ふっと笑う気配がして父がそっと身を離した。
「うん」
父はひとつ頷くとフレデリックの頭をぽん、と撫で、そうしてそっと母の方へと押し出してくれた。押し出されたままに母を振り返ると、母はにんまりと、どこか面白そうに笑ってフレデリックを見つめていた。
「う、母上」
「なあに、フレッド?」
にこにこと楽しそうに笑う母は今日も美しい。軽く結われた亜麻色の髪も細められた若草色の瞳もいつにも増して美しい。美しい、が昨日の今日だ。恐くないはずの笑顔が怖い。
「えっと」
フレデリックが口元を引きつらせながらも覚悟を決めなければと、一歩踏み出すと、母がすっと、フレデリックの方に大きく腕を広げた。
「フレッド」
「あ……」
やはり、母は何でもお見通しなのだ。そうしてフレデリックはこの光景を知っている。
いつだって、フレデリックが迷わず飛び込めるように、叱った後は必ずこうして母は腕を広げてくれるのだ。今回はまだ叱られる前なのだが、今は気にしないでおく。
「母上」
フレデリックも腕を広げて素直に母に抱き着けば、母もぎゅっといつものように抱きしめてくれる。父よりも少しだけ低い体温にフレデリックが目を細めていると、ふふ、と母の笑い声が聞こえてフレデリックはぴくりと、一瞬体をこわばらせた。
「フレッド、覚悟はできているの?」
「う、できています、母上」
「そう、良い子ねフレッド」
くすくすと耳元で母が鈴を転がすように笑う。
今日はお説教確定だ。もちろん覚悟はできている。けれど不思議とその未来すら嬉しく感じてじんわりと胸が温かくなってくる。
「……母上」
「なあに」
「大好きです」
「知ってるわ」
「ごめんなさい、ありがとうございます」
「ふふふ、お説教は無くならないわよ?」
「う、はい、もちろんです」
母はぎゅっとひと際強くフレデリックを抱きしめると、耳元で「愛しているわ」と囁いた。
昨日、怒りながらも目元を赤くしていた母を思い出してまたきゅうとフレデリックの胸の奥が軋む。どれほどの心配を掛けたのか、どれほど不安にさせたのか。
説教で済むのならいくらでも受ける。いくらでも謝る。そう、心に決めてフレデリックはもう一度「大好きです」と囁いた。




