73.勇気
食堂が近づくにつれて段々と胸の鼓動が早くなる。
叔父との大切な約束を果たす。そう決意してフレデリックが緊張しながら食堂の扉をくぐると、今日は珍しく一番乗りだった。
「あ、あれ?」
フレデリックは思わず食堂の入り口でぴたりと止まってしまった。たいていはフレデリックが一番最後に食堂に入るため、順番に抱き着けば良いだろうと思っていたのだ。
「アメリア」
「はい、殿下」
「いつも食堂には誰が最初に来ているか知っているか?」
予想外ではあったが、父が食堂に来たら席に着く前に抱き着いてしまえば良い。そう気を取り直して自分の椅子に座り小声でアメリアに問うと、アメリアが小さく首を横に振った。
「申し訳ございません、殿下。存じません」
「う、そうか」
「食堂付きのメイドに確認してまいりますか?」
「いや、いい。そこまでじゃないんだ」
心配そうに「左様でございますか?」と首を傾げたアメリアに苦笑を返すと、フレデリックはちらりとそれぞれの席と食堂の扉を確認した。フレデリックが座る位置は父と母が座る席よりは入り口に近い。
「この際、来た順で良いか……?」
「殿下?」
「いや、何でもない。大したことじゃないから気にしないでくれ」
「承知いたしました。後ろに控えておりますので何かございましたらお呼びくださいませ」
「ああ」
アメリアは軽く一礼すると壁際へと下がって行く。ふっと不安が湧き上がってアメリアの姿を目で追ってしまい、フレデリックは小さく咳払いをして誤魔化した。
「遅いな………」
そわそわと、どうしても落ち着かず扉をちらちらと見てしまう。ひとりというのはこんなにも不安なものだっただろうか。壁際を振り向くとどこか心配そうにフレデリックを見るアメリアと目が合った。ほんの少しほっとしてフレデリックが頷くと、アメリアは小さく微笑んでくれる。
せめて顔に出さないようにと膝の上で両手をぱたぱたとさせつつ入り口を見つめていると、扉が音もなく、左右に大きく開かれた。
「え、何で!?」
思わずフレデリックは小さく声を上げてしまった。父と母がゆっくりと、一緒に並んで食堂へと入って来たのだ。
「あらフレッド、早いのね!」
どうしたら良いのか分からず呆然と座っていたフレデリックを見て母が目を丸くした。
「あ、お、おはようございます、父上、母上」
「おはよう、フレッド」
「おはよう、良く眠れたかい?」
フレデリックが慌てて立ち上がって一礼すると、父と母もにこりと笑って応えてくれた。
微笑みを浮かべて母をエスコートする父があまりにも自然で流れるようで、抱き着こうにも全く隙が無い。
「はい、あのう、父上……」
「おはようございます!」
母を椅子に座らせ自分の席へ向かおうとした父へそろりそろりとフレデリックが近づいていくと、入り口から初夏の日差しのように明るく元気な声がした。
「あ、おはよう、ティーナ……」
「兄さま、今日は早いのね!!」
「うん、目が覚めたんだ」
元気いっぱいに笑うクリスティーナにフレデリックは苦笑いした。完全に出鼻をくじかれた形になったが、フレデリックは心底ほっとした。楽しそうなクリスティーナの目元に赤い腫れは無い。
昨夜のクリスティーナの辛そうな寝顔を思い出し、フレデリックの胸がきゅっと、掴まれたように痛くなった。
「おはよう、ティーナ。今日も元気ね」
「おはよう、ティーナ」
「ティーナは元気よ!」
にこにこと応えた父と母に、クリスティーナもまた満面の笑みで応えた。
クリスティーナも乳母に手伝われて椅子に座り、立っているのはフレデリックだけになった。
フレデリックが座れば朝食の給仕が始まるのだが、立ったままでいるフレデリックに食堂付きの使用人たちが給仕を始めて良いものか分からないようにこっそりと顔を見合わせている。
「どうしたの?フレッド」
母が不思議そうに首を傾げた。父もフレデリックをじっと見つめている。
「えっと、あの……」
父と母の視線が、クリスティーナの、使用人たちの視線の全てがフレデリックに集中している。
顔が熱いのに、手足の先が酷く冷たい。恥ずかしいことは覚悟していたが、フレデリックは思わなかったのだ。こんなにも、恐ろしいのだとは。
「あの、僕は………」
昨夜はあんなにも素直に叔父に飛びつけたのに、なぜだろう。あの勢いが嘘のように今のフレデリックは勇気が出なかった。手が、足が、自分でもおかしくなるくらいに震えてしまう。
やはり入り口に現れた瞬間に飛びついておくべきだった。もういっそ食事の後にして今は座ろうか。そう、フレデリックが思い始めた時、脳裏で『忘れるな』と叔父の優しい声が聞こえた気がした。
『フレッド、忘れるな。お前は俺の………俺たちの、宝物だよ』
フレデリックの震えがぴたりと止まった。




