64.紐結び
月光で明るかった長椅子を離れてゆらゆらと暗い廊下を叔父に抱かれていると、叔父がふと、良いことを思いついたとばかりににやりと笑ってフレデリックを覗き込んだ。
「おいフレッド、久しぶりに絵本でも読んでやろうか?」
にやにやといつもの人の悪そうな笑みを浮かべる叔父に、フレデリックはむっと唇を尖らせた。
「もう僕はそんな子供ではありません!」
時折うっかり隠しそびれてメイに叱られるが、いつものフレデリックなら絶対にこんな顔をしない。けれど、フレデリックは子供で良いのだと、叔父を信じると自分で決めた。
フレデリックが精一杯子供の顔で叔父をじとりと見つめると、叔父がくっと鼻にしわを寄せて笑った。
「そうかそうか、んじゃ俺と兄上が王家の谷へ行った時の話はどうだ?」
「っ!それは聞きたいです!!」
ぱっとフレデリックが目を輝かせると、叔父が嬉しそうに面映ゆそうに目を細めた。
「そうか、じゃぁ眠くなるまで話してやろうな」
「はい!叔父上と父上も行ったのですね!?」
「おう。滅茶苦茶だぞ?何から話すかなぁ……」
そう笑っている間に、ほどなくしてフレデリックの私室に着いた。叔父に抱えられたまま部屋へ入るとメイではない、王妃宮付きの見慣れた侍女が控えていた。
「おかえりなさいませ」
「ああ」
メイはきっとレナードの所へ帰ったのだなとフレデリックが少しほっとしつつ頷くと、侍女が一歩前に出た。
「ああ、後のことは俺がやる。着替えはそこに置いてくれるか?」
着替えを持っていた侍女を片手を上げて制すと、叔父は侍女と視線を合わせることなく口元だけを微かに上げた。
「叔父上?」
叔父の表情にフレデリックが首を傾げていると、侍女は「承知いたしました」と頷くと着替えをテーブルに置き、グラス付きの水差しをベッドサイドへ置いて一礼して退室して行った。
「よしフレッド、お前、自分で寝間着は着られるか?」
先ほどの冷たい表情が嘘のようににっと笑うと、叔父はフレデリックを絨毯に下ろした。
「着られると思いますが、やったことはないです」
「まぁ、そうだろうなぁ…」
叔父がうんうんと何度も頷いて寝間着を広げている。
以前のフレデリックなら馬鹿にされているとむっとしたかもしれないが、今は不思議とそうは思わない。子供なのだ、やったことがないものはできなくても仕方がない。きっとそういう頷きだ。
「やってみるか?」
「はい、やってみます」
「よし」
フレデリックがこくりと頷くと、叔父が嬉しそうに笑って頷いた。
「もう風呂は入ったはずだが汗はかいてないか?冷や汗とか」
「う……冷汗はかいた気がしますが拭くほどじゃないと思います」
「へー!あのセシリアの前で少しの冷や汗で済んだなら、兄上よりは肝が据わってるな!」
楽しそうに声を上げて笑う叔父にフレデリックは複雑な気持ちになった。応接室で冷や汗をかいて丸くなっていた父を思うとどうにもいたたまれない。
「喜んで良いんでしょうか……」
「おう、喜んどけ!今日の服は自分で脱げるな?」
「はい、できると思います」
すでに入浴後だったため着ている服は正装ではなく簡単な詰襟のシャツとトラウザーズにジャケットを羽織っただけだ。まずはジャケットを脱いで寝台にくしゃりと置くと、そこでさっそく叔父から制止を受けた。
「待ったフレッド。絶対にぐしゃっと置くな。シワにするとな…小言を食らうぞ………」
そう言うと叔父が丁寧にジャケットを開いてしわを伸ばし、綺麗に整えて椅子に掛けてくれた。
「その小言はベンジャミンですか?」
「おう、うるさいぞ。すぐに着ようと思ってソファの上に丸まってるだけでも半目で睨まれる」
「ベンジャミンは厳しいんですね………」
うまくボタンをはずせずに手間取りながらもトラウザーズ脱ぐと、これも叔父がすぐに畳んで椅子に置いてくれた。
「あの、僕にも畳めますか?」
「あー……そうだな。少し難しいから、脱ぐのが簡単にできるようになったら、追々な」
シャツのボタンに手間取っていると、ぽん、と叔父にまた頭を撫でられた。
「ボタン……外れない……」
「おう、そうだな」
中々ボタンが全て外れずずいぶんと時間をかけてしまったが、叔父は何も言わずにフレデリックが助けを求めるまで辛抱強く見守ってくれた。
「フレッド、こっちは簡単に着られるだろ。かぶれ」
そう言って叔父が渡してくれた寝間着の上は頭からかぶる形で簡単だ。頭と両手を出して胸元のボタンをふたつだけ止める。問題は、ズボンの方だった。
「叔父上。縦になります………」
腰の所で紐を結ぶのだが、これがまた難しい。叔父に手本として見せてもらったときには綺麗にリボンのように横に広がったのに、フレデリックがやると何度やっても縦になったりリボンの片方が無くなってしまった。
「あー、まぁこればっかりは慣れだからなぁ」
「叔父上、ほどけなくなりました。何で……?」
「おっと、固結びになったんだな。見せろ」
何度やってもできないどころか解くことすらできなくなり、自分の不甲斐なさにフレデリックは泣きそうになった。




