61.なれないし、ならない
フレデリックの私室へ向かう廊下の途中。長椅子のある小さなホールのようになった空間の大きな窓からは明るい月の光が差し込んでいる。ゆっくりと叔父が窓へ近づくとその視線より更に上に月が見えた。
「満月だな」
長椅子にゆっくりと座りフレデリックを膝に乗せて抱えると、叔父は空に浮かぶ明るい月を眺めながらぽつりぽつりと確かめるように言葉を紡いだ。
「兄上だから、今のセシリアがあるし、セシリアだから、今の兄上がある。そして兄上とセシリアだから、今の俺がある。そして、だからこそ、お前らがいる」
叔父の大きな手がフレデリックの頭を撫でる。先ほどのわしわしと乱暴な撫で方ではなく、ぽん、と軽く叩くような撫で方でもなく。ゆっくりゆっくりと、フレデリックを確かめるように何度も撫でている。
妙にくすぐったく感じてフレデリックが身じろぐと、低く柔らかな声が頭上から落ちて来た。
「………お前は、俺のようにはなれないよ」
「え?」
ふと顔を上げると、叔父がいつの間にか窓からフレデリックに視線を移していた。過ぎるほどに明るい月の光で陰になり、艶やかな銀の髪だけが輝いて叔父の表情は良く見えない。
「なぜですか…?」
何とか叔父の顔を見ようとフレデリックは顔を上げ、目を凝らした。口の端が薄っすらと上がっているのだけが分かる。
「俺だけじゃない。お前は俺のようにも、兄上のようにも、セシリアのようにもなれないし………ならないよ。だから、安心して良い」
「なっ………どうして………?」
ゆっくりと頭を撫で続ける叔父に、フレデリックは愕然とした。
「僕は……僕は誰にも、言ったことは、無い、はずで………」
「そうだな、そうだろうな」
「じゃ、あ。どう、して…………?」
「見てりゃ分かるよ。恐がってんのはな」
叔父の口元が更にくっと上に上がった。不安で胸が苦しくて叔父の濃紫の瞳を確かめたいのに、明る過ぎる月のせいで叔父の目元が暗い。
「お前が俺の中に何を見たのかは分からないし、まぁ…兄上に何を見てるのかはちょっとだけ分かるが、それも全てじゃない。セシリアの中に何を見てるのかも、な。だがな、お前が危惧するものにも望むものにもならないだろうってことだけは分かるぞ」
「でも、父上は、間違いなく、暴君の素質があって。いつ、暴君になるか、分からなくて。僕は、その血を、引いていて。だから、父上が国王じゃ駄目で。だけど僕も、今日、皆を巻き込んで…悪い方に、巻き込んで……」
震える唇が上手く言葉を紡げなくて、フレデリックは思いつくままに言葉を並べた。言葉にすればするほど胸の奥が冷える気がして、フレデリックは膝の上でぎゅっとこぶしを握り締めて俯いた。
フレデリックは母のようになりたかった。ならなければいけないと思っていた。父に似れば、フレデリックは、この血のせいでいつか暴君になってしまうかもしれないから。
頭上でふぅ、と小さく息を吐く音がした。フレデリックの体がふわりと浮くとぐるりと回されて、椅子に座るように叔父の膝に座らされる。後ろからぎゅっと抱きしめられて、フレデリックの頭にごちんと顎が乗せられた。
ずしりと頭にかかる重さに、すっぽりと抱きかかえられる温もりに、不安と恐怖で冷えていた体がじんわりと温まって行く。フレデリックがほっと小さく息を吐くと、叔父がフレデリックを抱える腕に少しだけ力を入れた。
「あのな、フレッド。人はな、誰しも自分にしかなれん。もちろん、人から影響を受け変わっていくことはある…というか確実に変わっている、常にな。それでもただ変わっただけで自分自身であり続けるし、自分自身にしかなれない。全く誰かと同じような道を辿ってみたって、完璧に誰かと同じようになることは無いんだよ」
頭上から、そして背中から響く叔父の声は低く深い。フレデリックと同じ濃紫の瞳と月の光に煌めく美しい銀糸が見られないのが少し残念だなと、フレデリックは自分を温めてくれる叔父の腕をぼんやりと見つめた。
「できるのはな、色んな人と話して、良いと思うことを取り入れて、嫌だと思うことは何で嫌なのかを考えて、そうして自分なりの正解を探すことだけだ。その正解だって常に同じとは限らん。相手の数だけ、物の数だけ違う正解がある。よく見て、良く聞いて、よく考えて。それで自分を探していくしかないんだよ」
叔父の言葉にふるりと、フレデリックの体が震えた。
「じゃあもしも、分からなくなったら?見ても、聞いても、考えても、答えが出なかったら?」
せっかく温まって来ていた体からまた少しずつ体温が奪われていく気がしてフレデリックは背中を丸めてぎゅっと目を閉じ、叔父の手をぎゅっと握った。
「見たから、聞いたから、考えたから。そのせいで余計にわからなくなって不安になって……暴走したら?僕は王子で、権力があって、だから何をするか分からなくて。何かをしたら権力のせいで色んな所に大きく影響してしまって。だから………っ」
だからこそ恐ろしいのだ。父の中にあるように思える狂気にも似た何かと、自分の中にも流れるその、父の血が。




