20.六日目 ~ 大公殿下
ウェリングバローは城塞都市だ。この国がまだ小国の集まりだったころの名残であり今でも十分に城塞として機能する堅牢な都市の中は、その重厚な外見とは裏腹に大変活気に満ちている。中央と西の海を結ぶのにちょうど良い場所にあることで、幾重にも守られた商業都市として発展したのだ。
小さな城とも言うべき領主の館を中心に東西南北に分かれており、北区が高級住宅区、港の方へ街道が伸びる西区が主に輸入品などの珍しいものを扱うマーケット、陸路へと続く東区が農産物や衣類などの必需品を扱う商業区、そして南区が一般居住区となっている。
ウェリングバローは約十一年前まではとある侯爵家が領主として治めていたが、色々あって現在は王家直轄地となっている。
「ようこそウェリングバローへ、王妃殿下」
低く響く甘い美声を響かせて優雅に腰を折ったのは、白の混じる蜜色の髪を短く整えた背の高い紳士。瞳の色は濃い紫…最も貴い王家の色だ。
「おやめください義叔父様、どうぞいつも通りに。畏まられては私が恐縮してしまいますわ」
セシリアがそう言って怒ったように頬を膨らませると、紳士はぱっと破顔して腕を広げた。
「久しぶりだね、セシリア!元気だったかい?」
その腕に迷いなく飛び込むとセシリアも破顔した。
お年を召してもなおも視線だけで女性を虜にしてしまいそうなこの紫眼の紳士は国王陛下の叔父、つまり先王陛下の弟君だ。セシリアから見ると義理の叔父にあたる。
現在も王族籍に残り、この貿易と防衛の要であるウェリングバロー城砦を領主として、ウェリングバロー大公として守っている。御年五十四歳だが、夜会に出れば今も多くのご婦人や御令嬢方から熱い視線を送られている。
「この通りですわ。義叔父様もお元気でしたか?」
「さて、どうだろう?この通りもういいおじさんだからね」
「義叔父様はいつでも素敵でいらっしゃいますわ」
「おやおや、甘えん坊は相変わらずだな」
言いながら、セシリアは頭をぐりぐりと大公殿下の胸に擦り付けているし、大公殿下もまたセシリアの頭をぐりぐりと撫でている。こうなるだろうことを見越して今日のセシリアは髪飾りも付けず髪を下ろしたままにしていた。
普段は凛とひとりで立つセシリアだが、大公殿下の前ではいくつになってもまるで少女のようになる。大公殿下はセシリアが『そうなれる』唯一の相手だ。
セシリアは国王陛下の婚約者として、国王陛下や王弟ライオネルを誰よりもうまく御せる人物として幼い頃から頼られることが多かった。大の大人たちがこぞって幼いセシリアに助けを求めたのだ。
聡いセシリアはしっかりとそれを受け止め、高位貴族令嬢として、のちの王妃として、早い段階で子供であることを止めた。
先王陛下や王太后殿下はセシリアを心配したが立場上表立って甘やかすこともできず。セシリアの両親であるティンバーレイク先代公爵夫妻も、心配しつつも自分たちが動けばセシリアが甘くみられるだろうことが分かっていたため静観を決め込んでいた。どれほど噛みしめた奥歯が鳴り、握りしめたこぶしに血が滲んでも、だ。
そんな中、ただひとり自由に動くことができた大人が大公殿下だった。大公殿下は徹底的にセシリアを甘やかした。周りが何と言おうとも子供扱いし、猫可愛がりし、とことん愛情を注いだ。この世でただひとり。セシリアが子供であることが許され、セシリア自身も許したたったひとつの場所が大公殿下だったのだ。
そして、そんな関係はセシリアが二児の母となった今でも変わらない。さすがに人目の多い場所では王妃セシリアを崩すことは無いが、こうして私的な空間で会えばとたんにセシリアはひとりの少女に戻るのだ。
ハリエットはそんなセシリアを何度見ても嬉しくなるし、そんな瞬間を見ることが許される場所にいる自分が誇らしくもなるのだ。
「たった二日しか居ないなど寂しいな。一ヶ月くらいここに居ればいい」
濃紫の双眸を優しく細めながら大公殿下がセシリアの頭をぽんぽんと撫でた。それを合図にするように、セシリアが抱き着いたまま少しだけ体を離した。
「私もそうしたいのは山々なのですが、フレッドの立太子の儀がありますから」
「そうか、私の又甥もついに十歳か!早いものだなぁ」
穏やかに、けれど懐かしそうに微笑んだ大公閣下がその優しい瞳のままにハリエットたちを振り向いた。
「いつもセシリアを支えてくれてありがとう。ここまで疲れただろう。セシリアは私が引き受けるから、君たちは荷解きをしたら少し休みなさい。美味しいお茶とお菓子を用意しているよ」
にっと笑って片目を閉じて見せた大公殿下は実に男前だ。大公殿下がやるからこそ色恋に疎いハリエットですらときめくほどに素敵だが、この動作は色男がやらなければ逆効果だなとハリエットは思った。
「お心遣いをありがとう存じます。お言葉に甘えまして私共はいったん下がらせていただきます。どうかセシリア様をよろしくお願いいたします」
ルイザがそう言って深くカーテシーをした。ハリエットたちもそれに続く。「またあとでね」と笑うセシリアにそれぞれ笑顔で頷くと退室した。
「セシリア様、嬉しそうでしたね」
「私、あんなセシリア様を初めて拝見しました!!」
「ああ、リビーは大公殿下にお会いするのが初めてだったのね」
そんな会話をしながらセシリアに用意された部屋へ入り荷物をほどいていく。たった二日の滞在ではあるが、セシリアが使うものはそれなりに多い。
「本当はもっと長期間、こちらにいられれば良いのだけれどね」
ルイザが何とも言えない顔でため息を吐いた。王宮にある限りセシリアが肩の力を抜くことはほぼ無い。レオミンスター寺院にしろこのウェリングバローにしろ、セシリアを慕い仕える者たちにとっても特別な場所なのだ。
「あ、ハリエット」
振り向くと、エイプリルからぽんっとひとり分の茶と菓子の乗ったお盆を渡された。
「はいこれ」
「へ?」
ハリエットがきょとんとしてエイプリルとお盆を何度も見比べていると、後ろから声がかかった。
「ハリエット、今のうちに手紙の返事を書いていらっしゃい。雨も降りそうだし定期連絡が早めに出発するそうよ」
ルイザがセシリアの宝飾品を確認しながら言った。「は?」と他の三人を見ると、にこにこと笑いながら頷いている。「別にここで書いても良いのよ?」ととても良い笑顔でハリエットを振り向いたルイザに「ありがとうございます!」と言ってハリエットは顔を引きつらせながら隣室に駆け込んだ。




