51.帰還
ざわざわと、さざ波のように音が揺れては引いていく。
体の片側に温もりを感じてゆるゆると目を開くと、今も叔父に抱かれたままのようで視点が高い。何度か目を瞬かせてほんの少しだけ頭を上げれば見たことのある場所にいることに気が付いた。中央棟の、いつもの応接室だった。
「ありがとうございました…本当に、ありがとうございました」
誰かの涙を堪えるような声にふと首を傾けると、アイザックを大切そうに両手で抱きかかえたアイザックの父がベンジャミンに礼を言い、アイザックの母も涙を流し何度も何度もベンジャミンに頭を下げていた。ベンジャミンは「大変ご心配をおかけしまして」と眉を下げて柔らかく微笑んでいる。
そのすぐ横を見れば、第一騎士団の副団長が眠るレナードを片手で抱え、俯いて片手で目元を押さえながらジェサイアと話していた。ジェサイアは相変わらずの無表情だったが、静かに副団長の肩を叩いている。
ぼんやりとその光景を眺めていると、ベンジャミンがふと、困ったように眉を下げて首を横に振った。
「いえ、うちの殿下が本当にすいません」
「あ……っ」
叔父上のせいじゃない!と声を上げようとしたところ、フレデリックの鼻の頭に衝撃が走った。
「いたっ」
「ようフレッド。目が覚めたならこっちが先だぞ」
鼻を押さえて叔父を見上げると、フレデリックの鼻をはじいたらしい叔父がにやりと笑っている。
「叔父上、痛いです…」
「おう。目が覚めただろ?」
叔父は悪びれもせず笑みを深めるとフレデリックを下ろし、「お前はこっちな」とそっとフレデリックの背中を押した。
視線をやればその先には、世にも美しい微笑みを浮かべた母が腕を組み、淑女にあるまじき仁王立ちで待っていた。
「は…ははうえ…」
母のあまりの迫力に思わず仰け反ると、叔父がひょいと後ろに立ってフレデリックの背を支えてくれた。見上げれば「な?」と叔父が苦笑している。
横に気配を感じて振り向くと、背を丸めた父が「フレッド、おはよう」としょんぼりとしながら並んだ。退室するアイザックとレナードたちを見送っていたベンジャミンとジェサイアも、フレデリックが起きたことに気づいたらしくすっと叔父の後ろに左右に控えた。
「あなたたち…」
にっこりと、母が更に笑みを深めた。隣でびくりと父の肩が大きく跳ねたのに驚いて母から視線を外すと、母のすぐ後ろで赤毛の侍女に抱えられて、なぜか妹のクリスティーナが眠っていた。
クリスティーナの目元は真っ赤に腫れており、眉根は眠っているはずなのにぎゅっと寄せられたままだ。まるで泣き疲れて眠ってしまったように見える。
「あれ?どうしてティーナ?」
不思議には思ったが、叔父にとん、と背中を叩かれて慌てて母に視線を戻すと、よく見れば母の目元も赤い。涙は浮かんでいないが、頬の辺りにほんの少し、なぜか薄っすらと茶色い筋があるように見えた。
「フレッド、周りを良く見とけ」
「え?」
頭上から叔父の低い声がする。よく分からないままに見回せば、赤毛の侍女も、隣に立つ緑の瞳の父の侍従も。それだけではない、周囲をよく見回せば皆疲れたような安堵したような顔で自分たちを見つめていた。
「はぁ………これで全員揃ったわけね?」
母の口から大きなため息が漏れた。上から下までフレデリックたちを順々に見ると、目を閉じてさらに大きなため息を吐き、そして大変美しくにっこりと笑った。
「説教は後よ。全員、お風呂に入って侍医に診てもらった後にいらっしゃい」
「あの、ははう」
「なあに、フレッド?」
フレデリックは慌てて口を閉じた。母はどこからどう見ても完全に笑顔なのに、その笑顔の圧力がすごい。これは決して逆らってはいけない笑顔なのだと、フレデリックは初めて知った。
横にいたはずの父は「はい…」と項垂れると父の侍従に連れられて応接室を出て行った。扉を出る瞬間にフレデリックをちらりと振り返った父の顔を、フレデリックは当分忘れられそうにない。
「フレッド、行け」
ぼんやりと扉を見つめていると、叔父がフレッドの肩に手を置いて視線で母の方を示した。まさかあの母のもとへ行けというのかとフレデリックが目を見開くと、母が笑顔のままでフレデリックの後へと視線を向けた。
「?……うっ、メイ」
後ろを振り向くと、今までどこにいたのか、どこからともなく乳母のメイが現れた。メイもまた、母と同じようににこりと、静かに微笑んだ。
「参りましょう」
「う……はい……」
微笑まれるよりもいっそ怒ってくれる方がずっとましなのだなと、フレデリックはこれも初めて知った。




