46.昔も、今も
ちぃ、と響く小さな声に顔を上げればいつの間にか辺りに鳥の声が戻っている。木々を渡る風も、水面を揺らすさざ波も、何もかもが何事もなかったように音を取り戻していた。
「レオ、あまり怒らないでやって。この子はまだ、九歳なんだ………」
ぐにゃりと芯を失ったフレデリックを強く抱きしめた父が叔父を振り返り、弱弱しく首を横に振った。
その視線を真正面から受け止めた叔父は何かに耐えるように一度瞬くと、「そうですね」と、無表情のままで頷いた。
「分かってますよ?だから俺は追いかけたし、だから陛下の無茶も飲み込んだ」
何かを強く抑えたような、低い、低い声。全く揺らぎのない平坦な叔父の声にゆるゆると顔を上げれば、叔父がじっと感情の見えない目で父を見つめて首を傾げた。
「………そうでしょう?昔も、今も、です」
ぴくりと肩を揺らした父に小さく首を横に振ると、叔父はゆっくりとひとつ、瞬いた。
長い銀のまつ毛に縁どられたフレデリックと同じはずの濃紫の瞳はとても静かで、凪いでいて。いつも楽し気にいたずらに輝く叔父の瞳と同じとは思えないほど深く、底が見えない。
またどこかで響いた水音に、叔父がすっと視線を窪地へと向けた。天の頂を通る太陽が叔父の横顔に深い影を落としている。
「おじうえ………?」
フレデリックの口から洩れた声に、叔父がフレデリックたちを振り返った。
初めて見る叔父の真顔は見惚れるほどに美しくて美しくて、ごくりと、フレデリックの喉が鳴った。父もまるで縫い留められたように叔父を見つめたままぴくりとも動かない。違う、きっと父も、動けないのだ。
ざあああああ、と強い風がフレデリックたちの横を少し巻くようにして通り過ぎる。ひやりとした感覚に、フレデリックは自分がひどく汗をかいていることに気が付いた。
「……ははっ」
ふと何かに気が付いたように一瞬だけ目を見開いた叔父がすっと視線を逸らし、どこか自嘲気味に眉を寄せて笑った。
「レオ?」
「叔父上?」
父と同時にフレデリックが叔父を呼ぶと、叔父は目を閉じてひとつ首を横に振った。そうして目を開けると困ったように、けれどどこか悲しそうに微笑んだ。
「あのな、フレッド」
「はい、叔父上」
呼ばれた名はフレデリックだが、叔父の視線は父に向けられたままだ。
それでもじっと見つめていると叔父はフレデリックを見て少し目を細め、それからまたゆっくりと父に視線を戻した。
「知りたいことがあるならまず聞け。言いたいことがあるなら、ちゃんと言え」
フレデリックが思わず「はい」とうなずくと、叔父は眉尻を下げて目を細めた。
「嫌なら言え、泣け、怒れ。それで笑え」
困っているような、泣いているような。けれど決して目を逸らしてはいけない、そう思わせるような笑みを浮かべ、叔父は「分かるか?」と首を傾げた。
「王ってのはな、確かに孤独だ。だがな、ひとりじゃねえ。何とかしてやろうってやつが、少なくともひとりは、必ず周りにいるもんなんだよ」
叔父はちらりと視線を後ろに向けた。その向こう、叔父の側近たちがじっと黙って控えている。そして、その傍らにはレナードとアイザックが座っている。ふと、叔父が口角を上げた。
「だから、な?信じろ。周りをちゃんと見ろ。………勝手に、突っ走ってんじゃねえよ」
低く響き、噛んで含めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ叔父の声。叔父の声は浮足立っていたフレデリックをなだめるようで、冷え切ってしまったフレデリックの体を温めるようで。フレデリックはなぜだか泣きたくなって唇をきゅっと噛みしめた。
どこかでゲロッと暴食蛙が鳴いた。
叔父は目を丸くして何度か瞬きをすると、腰に手を当て「やれやれだな」と鼻で笑った。
それから叔父はフレデリックと父を交互に見てひとつため息を吐くと、何も言えずに座り込んだままの父とフレデリックの目の前まで来てひょい、としゃがみこんだ。
「んで?返事は?」
「はい…ごめんなさい……」
「うん…ごめん…」
フレデリックは頷いて頭を下げ、父は項垂れて謝った。同時に返事をしたフレデリックと父に、叔父はにかっと歯を見せて嬉しそうに笑うとぐしゃぐしゃとフレデリックの頭を乱暴に撫でた。
ほっと、フレデリックの体から力が抜けた。「ふぁ…」と思わず気の抜けたため息が出る。父も安心したように息を吐き、それを見た叔父がまたにっと笑った。
「よし!んじゃ、帰るか!!」
がばりと立ち上がると腕を上に上げ、青く澄み渡る空に向けて、叔父はぐーっと大きく伸びをした。




