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ある王宮の日常とささやかな非日常について(シリーズまとめ版)  作者: あいの あお
第八章 王子殿下の冒険と王家男子の事情について

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44.国王失格


 ふしゅううううう、と空気が抜けるような音と共に錆びた鉄のようなにおいが広がり、どおおおんという大きな地響きの後。今までの喧騒が嘘のようにぴたりと、周囲から音が無くなった。


 フレデリックに聞こえるのは、父のあまりにも早い鼓動と荒い息、それと自分の浅く忙しない呼吸の音だけだ。

 じっと耳を澄ませていると、父の胸にいだかれたその向こう。真っ暗な視界のどこかで誰かが小さくため息を吐いた。


「もう良いぞ」

「うん……」


 父の微かな返事と共に、フレデリックはそっと抱き起された。


 あまりの地響きの重さにいつの間にか目を強く瞑っていたらしい。固まってしまったように動かないまぶたを恐る恐る、ゆっくりと開く。明るい光に何度か瞬きをすると、フレデリックの目に赤を帯びた紫の瞳が飛び込んできた。


「ちち、うえ?」

「うん」


 フレデリックの両肩を掴み、父が少しだけ唇を開いて肩で息を繰り返してしていた。降り注ぐ太陽に柔らかに輝く蜂蜜色の美しい巻き毛は乱れ、一部が汗ばんだ額に張り付いている。


 フレデリックの喉がごくりと鳴った。


「おこ、って?」


 ぎゅっと寄せられた眉の下。フレデリックを見据える赤を少し混ぜた深紫の父の瞳は、見たことも無いほどに剣呑な光をたたえている。

 フレデリックやクリスティーナが何をしてもいつも困ったように微笑むだけの父。いつも不安そうに母を見て、伺うように周囲を見ている父が、初めて真っ直ぐフレデリックに厳しい瞳を向けていた。


「あ………っ?」


 ふと視線を感じた気がしてゆるゆると父の後ろへ視線を動かし、フレデリックは息を飲んだ。大蛇の鱗よりも少しだけ濃い艶やかな銀の髪が、濃密な鉄の匂いを含んだ風に揺れている。


「お、じ、うえ」


 フレデリックと同じ濃紫の瞳がちらりとフレデリックの視線と絡まり、小さなため息とともにすぐに逸らされた。


「ジェサイア、行け」


 長剣を手に周囲を確認しながら叔父が側に立っていたひとりに声をかけると、その人は頷いて森へ入っていった。それから二言三言、同じく長剣を握る誰かに小声で指示を出している。

 いまだに激しく脈打つ心臓の音で、フレデリックには叔父が何を言っているのかは聞こえない。その叔父の向こう、大きな銀の塊が落ちていた。


「フレッド」


 硬い声にはっとして視線を父に戻せば、フレデリックの肩を両手で掴んだまま父はなおも荒い息を繰り返している。


「あっ、はい!」


 ひゅっと、フレデリックの喉が鳴った。自分と良く似た紫の瞳が揺れながらフレデリックを見据えている。フレデリックは目を逸らすこともできず唇がふるりと震えた。じわりとまた手のひらが汗ばみ始める。


 父が、怖い。生まれて、初めて。


「………ちちうえ」


 フレデリックが乾いた喉からようやく絞り出した言葉は、ひどく掠れて喘鳴のように消えた。

 途端に、ぐしゃりと、今にも泣きそうに父の顔が歪んだ。


「!?ちちうっ」

「フレッド」


 目を見開き声を上げたフレデリックの頬に、父の手がすっと伸ばされた。とっさにぎゅっと強く目を閉じると、フレデリックの体がふわりと包まれる感触がした。


「ごめんフレッド、ごめんね…」


 耳元で父の抑えたような声が聞こえ、フレデリックは目を開いた。


「ごめんね、フレッド。私はね、君の思う通り国王失格なんだ。今だって、本当は自分で動かず皆に任せなければいけないと頭では分かってた。でも、駄目だった…。もしも君を失ったら…そう思ったらもう、じっとなんてしていられなかったんだ………」


 ぎゅうと、フレデリックを抱く父の腕に力が入る。その力強さに、フレデリックの胸もぎゅうと締め付けられた。

 目を見開いたまま父の肩越しに叔父を見ると、その視線に気づいた叔父は剣に付いた血を払い鞘に収め、にやりと笑うと肩を竦めた。


「ベンジャミン、ジェサイア」


 叔父がそう視線で森を見ると、共に剣を振るっていたふたり、叔父の従者のベンジャミンと護衛騎士のジェサイアが頷いて剣を収めて森へ入っていった。

 森の中は明るいこちら側からでは良く見えない。暗い木立の隙間をじっと見つめていると、現れた陰にフレデリックは目を見開いた。


「っ!レナード、アイザック!」


 ベンジャミンとジェサイアに寄り添われて森から出てきたのはレナードとアイザックだった。顔色は良くないが、ふたりは自分の足で立って歩いている。


「無事、だったんだな………」


 ふたりもまた父に抱きしめられたままのフレデリックを見て、レナードはほっとしたように頷き、アイザックも「殿下」と泣きそうに笑った。フレデリックも「ああ!」と何度も頷きながら、目頭が一気に熱くなった。


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