43.救世主
白銀の、美しい鱗がてらりと、また日の光を反射した。
短剣で、敵う相手ではない。きっとあの鱗に傷のひとつを刻むことすら難しい。それでも逃げる隙くらいは作れるかもしれない―――レナードが、フレデリックを救ってくれたように。
「レナード…アイザック………」
ふと、フレデリックの心がほんの少しだけ上向いた。狭まっていた視界が戻り、呼吸が楽になる。
気が付けば、あれだけ飛び回っていた暴食蛙が一匹も周囲にいなくなっている。
「やっと逃げ終わったのか?はは……僕は暴食蛙にとっては救世主というところか」
期せずして蛙の救世主になってしまった我が身に、フレデリックはこんなときなのに可笑しくなった。
耳をすませばもう、レナードとアイザックの声はしない。気配もない。きっと森に入ったのだろう。
「それで良い。あとは僕が、隙をついて森へ入る」
ゆっくりと、フレデリックが横にずれれば相変わらず大蛇はフレデリックを目で追っている。
「お前も、それで良い。僕だけを、追え。僕は必ず、逃げ切るだけだ」
自分に言い聞かせるようにフレデリックはゆっくりと言葉を噛みしめた。
「くそ……手が、震えるっ」
短剣の柄に手を掛け抜こうとするのに、手が震えてしまい何度やってもうまく柄を握れない。ぎりと、フレデリックは歯を食いしばった。
「大きすぎるだろうお前!!」
自分に対する苛立ちを、フレデリックは声を大きくして目の前の蛇にぶつけた。
じわりと、手に汗がにじんで余計にうまく掴めない。負けるものかと思うのに、体がどうしても言うことを聞いてくれない。
「何で…何で僕はこんなに弱いんだ……っ」
気持ちばかりが焦ってじわりと目に涙がせり上がってくる。あまりにも不甲斐ない自分にフレデリックはぐっと奥歯を噛みしめた。
「動け、いいから動け……!」
抜けない短剣に苛立ちをベルトから鞘ごと取ろうとしたところ、しっかりと握ったはずの短剣が手からするりと滑り落ち、がしゃりと嫌な音を立てて地面に落ちた。
「あっ!?」
思わず意識を逸らした瞬間、大蛇がシュー!!!っとひと際大きな音を立てた。
「しまっ………!」
銀の大蛇の真っ赤な口が、がぱりとまたフレデリックに向けて開かれた。唾液か、毒か。左右で光る二本の牙からたらりと、粘り気のあるしずくが垂れ落ちる。
「嫌だ………絶対に、諦めない!」
落ちた短剣を引っ掴み、フレデリックは大地を蹴った。
歯を食いしばり、目をぎゅっと閉じて、力の入らない足で何とか大地を蹴ろうと踏ん張った、その、瞬間。
「ぅわ!?!?…なんだ!?」
森の方から何かがどさりとフレデリックにのしかかり、勢いを殺しきれず背から倒れたフレデリックの視界が突然真っ暗になった。
「この……離れろ……!」
何とか逃れようとして身をよじるがその何かが更に絡みつきフレデリックを地面へと押し付ける。
しっかりと背まで絡みつかれて抗うこともできず、フレデリックは苦し紛れに、その何かのまとう布をぎゅっと掴んだ。
「え…布?………蛙じゃ、ない?」
恐る恐る探ってみれば、蛙とは全く違う乾いた布の感触がする。
その布の下。少し力を入れてみれば、がたがたとフレデリックよりもよほど震えている。「大丈夫」と頭上から聞こえる、どこか聞き覚えのあるかすれた声。良く知った、匂い。
「あ………ちち、うえ…?」
「大丈夫だよ、フレッド。もう、大丈夫だ」
「どう、して?」
フレデリックの頭の中で、沢山の『どうして』が巡っては消えていく。
どうして父がここにいるのだろう。どうしてこんな場所にいるのだろう。郊外どころか王都の視察にすら出ない、王宮から一歩も出ない父が、どうしてこんな森の奥に。親指の爪ほどの蛙にすら悲鳴を上げて逃げ去る父が、こんな蛙だらけの場所に、どうして………。
「大丈夫、大丈夫だよ…」
どう考えてもフレデリックよりもずっと大丈夫ではない、と思えるほどに震える声で父は何度も繰り返した。フレデリックの背を抱き、頭を抱き、震える体で必死に包み込んでいる。
ごくりと、フレデリックは息を飲んだ。
視界は今も真っ暗なまま。ぎゅっと痛いほどに強く抱き込まれたフレデリックの耳に、どくどくと、今にも破裂しそうに早鐘を打つ父の心臓の音が聞こえる。その、力強い音に、フレデリックはやっと気が付くことができた。
自分は今、父に守られているのだと。




