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ある王宮の日常とささやかな非日常について(シリーズまとめ版)  作者: あいの あお
第八章 王子殿下の冒険と王家男子の事情について

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42.フレデリックの王


 つぅ、とフレデリックの額を汗が流れた。


 いまだ暴食蛙グラトニーフロッグは半狂乱でギョロギョロと甲高く鳴きながら周囲を飛び回っているというのに銀の大蛇は見向きもせず、金の瞳はただまっすぐにじりじりと後退するフレデリックの姿だけを捉え続けている。


「殿下!」

「来るな!!」


 アイザックの声に、今度は何とか答えることができた。

 ゆっくりとフレデリックが動くのに合わせて、大蛇の目もゆっくりと追ってくる。もうきっと、先ほどのたうち回っていた時のようには簡単には逃がしてくれないだろう。


 けれど、なぜか大蛇はフレデリックだけに興味を持っている。ならばいけるかもしれないと、フレデリックはごくりと唾液を飲みこんだ。


「………レナード、動けるか?」

「っ、何とかっ」


 フレデリックが大蛇を見据えたまま後ろへ声をかけると、レナードが少し荒い息とともに答えた。表情は見えないが骨や内臓を痛めているかもしれない。すぐにでも医者に見せなければと、じわりとフレデリックの胸に焦りが広がった。

 口を付いて出てしまいそうな不安をこぶしを強く握ってやり過ごすと、フレデリックは小さく息を吐いた。


「よし。アイザックは動けるな?」

「はい、擦傷だけです!」


 擦り傷やあざはあるかもしれないが、気がかりなのは頬のネトルのかぶれだけだ。痛ましいほどに赤く腫れていたが走ることはできる。体の大きなレナードは重いだろうが、それでも、アイザックならきっと頑張れる。そう、信じられる。


 はっきりと答えたアイザックに「そうか」と頷くと、フレデリックはゆっくりと、噛んで含めるように言葉を口にした。


「アイザック、良いか、レナードを連れて森に入れ。できればそのまま赤い綱まで行け。あの赤い綱に意味があるのなら、あそこまで行くことができれば、助かるはずだ」

「ですが殿下を置いては!」


 アイザックが声を荒げた。唇を引き結んで首をふるふると横に振っているのが、見えなくとも何となく分かるから不思議だ。この数ヶ月で築かれた決して浅くはないつながりを感じ、じわりと胸が温かくなる。


「アイザック、良いから」

「ですが……」


 フレデリックはこんな状況なのに小さく笑った。


「アイザック。僕はお前たちが体を張って守ってくれたから全身、無事なんだ」


 蛙にぶつかられたり倒れたりしてあざや擦り傷は少なくない。だが、他にはどこも痛いところも無い。

 ふたりが身を挺してフレデリックを守ってくれた。だから今度は、フレデリックの番だ。


「僕は、走れるんだ、アイザック。だからお前たちが先に行ってくれれば、僕は走って逃げられる」


 小さなため息とともに「殿下」と呟くレナードの低い声が聞こえた。これはきっと咎める声だ。


「分かってる。正しくない。いずれ『正しい王』になるなら、僕はお前たちを置いて逃げるべきだ。走って森の外に出て、騎士を呼んで、お前たちを助けに来るのが正しい」


 たとえ助けに来た時にはすでにふたりが大蛇の腹に収まったあとだとしても。それでもフレデリックはふたりを囮にして逃げ、大人にふたりの救出を頼むべきなのだ。レナードもアイザックも、きっとフレデリックが命じれば迷わず囮になる。だが、それでも。


「………違うんだ。それじゃ、駄目なんだ」


 ゆるゆると、フレデリックは首を横に振った。

 そんなものは…『正しい王』はフレデリックの王ではないと、フレデリックの心が拒絶するのだ。フレデリックの求める王の姿は、フレデリックが、本当になりたい王の姿、は。


「僕は、僕はお前たちがそこにいれば、絶対に逃げない………逃げられないんだ」


 ふぅ、とフレデリックは前を見据えたままゆっくりと息を吐いた。


「だから」


 一度言葉を区切ると、フレデリックはそっと自分の目元に触れた。フレデリックの濃紫の瞳は、王族の紫の中で最も尊ばれる高貴な色だ。相手がたとえ森の王だとしても、屈することなど決してありはしない。

 見上げれば、金の瞳が今もフレデリックをじっと見つめている。フレデリックはぎっと、眦を決して銀の大蛇を睨みつけた。


「だから、行ってくれ!」


 真っ直ぐに見据えたフレデリックの視線の先、大蛇が銀の頭をほんの少しだけ低くした。

 フレデリックはぎゅっとこぶしを握ろうとして、指先がひどく震えていることに気が付いた。


「はは…情けない……」


 フレデリックはふたりには聞こえないようにぽつりと呟いた。

 情けないくらい、歯の根が合わないのだ。立ち上がれば膝だって笑うかもしれない。


「それでも…それでも、だ」


 それでもフレデリックは、絶対に自分を捉える大きな金の瞳から目を逸らすつもりはない。


「みんなで、無事に帰るんですよね?」

「ああ、当然だ」


 涙混じりのアイザックの声が森の方から聞こえる。フレデリックもその声に、笑い混じりに頷いた。

 諦めたからでは無い。思い出したからだ。


「忘れたのか?アイザック。僕が命じたんだ。全員が無事に逃げ切ることを最優先にしろ、と。命じた僕が約束を破るわけにはいかないだろう?」

「危険なことはしないという誓いは破りましたよね」

「う………不可抗力だろう……」


 責めるようなアイザックの声色に、フレデリックは言い淀んだ。意図はしていなかったが破ってしまったことは事実だ。後でたくさん謝ろう。………後で、必ずだ。


「絶対ですよ!?」

「分かっている。そのためにも……行け!!!」


 叫ぶと同時にフレデリックは腰の短剣に触れた。


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