38.暴食蛙の暴走
ばっと真剣な顔で振り返ったレナードが片膝を立て、いつもより強い口調でフレデリックに言った。
「まずい、森へ入りましょう!」
「何なんだいったい!」
フレデリックたちが慌てて立ち上がると、まるで見計らったように運悪く暴食蛙が水の中から飛び上がって来た。
「うわっ」
「殿下危ない!!」
「!?」
赤い腹が眼前に広がりフレデリックがとっさに目を瞑ると、手を伸ばしたアイザックがフレデリックをレナードの方に押し出した。
「っ、殿下、お怪我は?」
「いや無いレナード…アイザック!」
小さな衝撃のあと、目を開けるとレナードがフレデリックを受け止めて覗き込んでいた。ほっとすると同時に慌てて振り返ると、暴食蛙に体当たりをされたアイザックが倒れ込んでいる。
「ぅ…いた・・・ぃ・・・」
「アイザック!!」
小さく悲鳴を上げたアイザックにフレデリックが駆け寄ると、アイザックは頬を押さえてこちらを振り向いた。
「見せろアイザック」
「申し訳ありません殿下、ネトルが……」
「何!?」
起き上がったアイザックの後ろを見ると運悪くネトルの茂みがあり、一部が押しつぶされている。ばっとアイザックを見ると、みるみるアイザックの頬が赤くぶつぶつと腫れていく。
「くそっ!待ってろアイザック!」
「殿下、蛙が来ます!」
「あーもう、何だってこんな時に!!」
ゲロゲロと低い声だった大合唱が甲高く、ひと際大きなものになった。
「どんどんこっちに来ますね。怯えてる……逃げてる?」
レナードもすぐに駆け寄ると、しゃがんでいるフレデリックとアイザックを守るように膝立ちになって暴食蛙の方を振り返った。
「殿下、僕は大丈夫ですから…」
「いや、暴食蛙たちはどうも僕らを襲ってくるわけでは無いらしい。それに下手に動けば巻き込まれかねない。今のうちに応急処置だけしよう」
フレデリックが鞄を下ろして頷くと、アイザックも「はい…すいません……」と力なく頷いた。
蛙たちがフレデリックたちを避けて森や大地の向こうへと飛び跳ねていく。たまに慌てて距離を読み違えたのかぶつかってくるものもいるが、ほとんどはレナードが受け止めてくれている。フレデリックには微かに当たる程度なので衝撃はそこまででは無い。
「謝るなアイザック。手をどけてくれ。手にも棘が移ってしまう」
フレデリックは鞄から水筒と重曹を出すとアイザックの赤くなった頬を洗い、手の上で重曹に水を含ませてアイザックの頬に塗っていく。
「殿下、これもどうぞ」
「ああ、助かる」
蛙の隙を縫ってレナードが鞄から自分の分の水筒も出して渡してくれる。フレデリックはそれを使ってアイザックの頬に塗った重曹を洗い流した。
「すいません、レナード……」
「謝るな。殿下も言ったぞ」
「はい………」
ぽん、とアイザックの肩を叩くとレナードはまた暴食蛙に向き直った。暴食蛙たちの暴走は終わりが見えそうにない。
「駄目だな、赤いしぶつぶつのままだ」
「重曹で洗ってもすぐには引かないですよ」
「そうか……くそ、あの小さな流れまで行ければ綺麗な水も汲めるんだが」
どこにこれほど隠れていたのかと悪態を吐きたくなるほどに、どんどんと暴食蛙たちはこちらへ跳んで来る。
「どうする、森に戻るにも、もう立ち上がるのは危ないぞ」
「そうですね、下手に立ち上がれば後ろからぶつかられて倒れるかもしれません」
「這っていくか」
「上から蛙が降ってくるかもしれませんが、押し倒されるよりは踏まれた方がましかもしれませんね」
「よし、一か八か、這って森に戻るぞ」
唇を噛みしめるアイザックを抱きかかえながらレナードと頷き合う。すでに周囲を掠めて飛んでいく暴食蛙たちの粘液でフレデリックたちはべとべとだ。
「これは確実に砂まみれだな」
「どうせ蛙の粘液まみれですから、においはましになるんじゃないかな」
「僕にもついに暴食蛙のにおいが分かったぞ」
「はは、良かったです」
にっと口角を上げたレナードに、フレデリックもにっと口角を上げた。どきどきと、フレデリックの心臓が早鐘を打っている。指先は震え決して笑えるような状況ではないのに、何かが麻痺したように自然と声が大きくなる。
「良いか、これ以上怪我をしないことが最優先だ」
「分かってます」
「はい、殿下」
レナードの目もいつもより大きく開き、俯いていた顔を上げたアイザックもまたしっかりと、フレデリックを見つめている。
フレデリックは鞄を背負い直すと大きく息を吸ってふたりを交互に見つめた。ふたりもまたフレデリックを見て、レナードは口角を上げ、アイザックは唇を引き結んで頷いた。
「よし、行くぞ!」
フレデリックの合図とともに、三人で体勢を低くする。
まずはアイザックを先に行かせてフレデリックが後を追おうとアイザックを視線で促した時、「まずい」というレナードの低い呟きと共にシューという聞きなれない不快な音が響いた。
「くそっ、殿下、アイザック、振り返らずに行け!」
枝がぱきぱきと遠くで折れる音がして、そうしてレナードの言う生臭い匂いが、フレデリックの鼻をついた。




