36.王家の谷の今
レナードの背を追って森を抜けると、その背が消えたような錯覚と共にフレデリックは思わず目を閉じた。
薄暗い森の中にいた目には降り注ぐ太陽の光は強すぎたようで、視界が一瞬で真っ白になった。
「レナード、少し……」
「すいません殿下、言っておけば良かったですね。そのまま目を閉じて回復するまで待ちましょう」
「う……目が痛いです……」
「ああ、開けなくて良いアイザック。俺がちゃんと見てる」
少ししてから何度か瞬きをすると視界が戻って来る。森の入り口から周囲を見回すと、森の外は開けた大地になっている。
「草すら無いな?」
「ネトル…が、少しあるだけですね?」
ぐるっと楕円形に開けた大地と対岸の崖の間がすとんと落ちて窪地になっている。恐らくそこが王家の谷のある窪地、『王家の谷』のはずだ。だが。
「………気のせいか?気のせいだと思って良いか?」
「あー、殿下。たぶん気のせいじゃないです」
「僕、少し、覗き込む勇気が………」
眩しさではなく、フレデリックは両手で目を覆いたくなった。
離宮の森を背にしてちょうど楕円の長い面の中心から少し右側にいるフレデリックたちの反対側、つまり楕円の長い面の左側奥から左側の短い面にかけて。かなり距離はあるが、恐らくいる。アレが。
「あー、これはもしかしなくても、アレか……」
森の中にいたときには風と木々の音に紛れて分からなかったのだろうか。森を出た途端に聞こえる大合唱にアイザックはため息とともに俯き、フレデリックは片手で額を覆って天を仰いだ。
「どうします、殿下」
「どうしてこんなところに……」
レナードは何事も無かったように淡々と、アイザックは俯かせていた顔を嫌そうに歪めて顔でフレデリックを振り向いた。
「そうだな……あまり見たくはないが、一応洞窟があるのかだけ確認して帰るか……」
「そこから下を覗きますか」
「アイザックはここで待っていても良いぞ」
「せっかくですので、僕も見ます……」
遠い目になっていたアイザックも、覚悟を決めたようで何度か瞬くとフレデリックとレナードに並んだ。
「よし、じゃあ、あのふちのところまで行くか」
ここまで来た意味が無くなってしまうと嫌がる足を叱咤して小さな一歩を踏み出したが、大地のふちまで行かずとも、それはしっかりと見えてしまった。
「あー………あっちでぴょこぴょこと跳ねてるな……」
「大きいですね。初めて見ましたけど……」
「良い型ですね。でっぷり良く太ってて丸い」
「良い型、とかあれにあるんですか?色は…綺麗と言えば、綺麗、ですか?鮮やかな緑に黒い縞模様ですし。でもお腹の赤は毒々しいですし、そこに黒い斑点はやっぱり少し……」
「お前たち、良くそこまで観察するな?」
何だかんだ言いながらも平気そうなレナードと一緒にアレの観察を続けるアイザックにフレデリックはため息を吐くと共に、ちろりと、視線を向けて見た。
体の半分ほどありそうな大きな口。腹と同じ赤の目の真ん中に、光の加減で形の変わる黒い瞳孔がある。間違いなく、アレだ。
「何で暴食蛙がこんなところにいるんだ……」
フレデリックはまた天を仰ぐとげんなりと肩を落とした。
「これだけゲロゲロと大合唱をしてるということは、相当いるな」
「そうだと思います。姿は見えないですが」
「暴食蛙は水場が無いと繁殖しないですよね?この数だと相当大きな水場が……」
「あー、やっぱ、こういうことか」
先に大地のふちに辿り着いたレナードが寝そべってそっと下を覗き込み、ぽつりと呟いて首を横に振った。
フレデリックも覚悟を決めて寝そべり同じようにして覗き込んだ。アイザックもそれに続く。
「なるほどな、これでは儀式どころか洞窟に入ることすらできないな」
「これは大きな池…というより、湖に近いでしょうか」
「大した水たまりだな」
レナードが面白そうに更に身を乗り出した。危ないぞ、と止めようとしたところ、レナードが「あ」と声を上げた。
「殿下、あそこ。見えますか?あっちの対岸の岩肌」
「どこだ?……ああ、なるほどな。くぼみ…穴の上の部分か」
「あれが王家の谷の入り口でしょうか?」
「恐らくな。とてもでは無いが入れないな、これでは」
「暴食蛙の中を泳いでいくしかないでしょうね」
「止めろレナード、想像する………」
目の前の池の中には、思いの外水が澄んでいるようでひしめき合う暴食蛙たちの姿が見える。この中を泳いでいく自分を想像し、フレデリックはぞわりと、何かが背筋を掛け昇って来るのを感じて身震いした。




