35.光の方へ
もぐもぐと、焼き菓子を咀嚼しながらもなぜか苦いものを噛んだような顔になっているレナードの肩に、フレデリックはそっと触れてみた。何となく気恥しくてすぐに手を引っ込めると、最後のキイチゴを口に含んで少し噛んでごくりと飲みこんだ。
「……いつか、打ち勝てると良いな」
「リリアナさんがよく乾燥ネトルにして茶に入れてくれます。退治してやれって」
「エヴァレット嬢は何と言うか、可愛らしいな」
「兄上が日々鬱陶しいです」
「ああ、のろけか」
「面倒くさいんで聞いてるふりしてます」
「そうか…色々大変だな……」
「俺も妹が欲しい」
「婚約者ではなく妹なのか…?」
アイザックは焼き菓子を咀嚼しながらくすくすと笑っている。レナードは焼き菓子の最後の欠片を大きな口を開けて一気に放り込むと咀嚼して水で流し込んだ。
「それを食べ終わったら行きますか?」
「そうだな、さっさと見て帰ろう」
フレデリックも焼き菓子を口に入れると何度か咀嚼して水を飲んだ。アイザックも同じようにすると広げた荷物を鞄にしまう。
立ち上がって軽く尻を払い、短剣をベルトに挟んで鞄を背負うともう一度来た方を見た。
「追ってくる気配は無いな」
「そのようですね。護衛のおふたりはどうなさっているのでしょう……」
「そうだな……早く戻って、安心させてやろう。行かない選択だけはできないからな」
どこか悲しそうに眉を下げたアイザックにフレデリックも眉を下げた。レナードだけが「そうですね」と言いながらも赤い綱の向こうを見据えている。
「よし、レナード頼む」
フレデリックも軽く頭を振ると、少しだけ大きな声で言った。
レナードは頷き、少し上を向き耳を澄ませ、それから左右を確認すると迷いなく赤い綱の下をくぐった。
「少し」
レナードはフレデリックたちに待つように手をかざすと、また同じように少し上を向き耳を澄ませ、視線をゆっくりと動かしながら周囲を確認している。それから小さく息を吐くと、レナードは振り向き、大丈夫だと言うように頷いた。
「行きましょう」
「ああ」
フレデリックも頷き、赤い綱を越える。当然だが、すぐに何かが起こることは無い。アイザックも恐る恐るといった感じで赤い綱をくぐった。
「ここからは周囲をうかがいながら歩きます。黙りますが、心配しないでください」
レナードの目が前を見据えるように鋭くなり、眉根が寄った。
ざああああ、と、フレデリックたちの横から少しだけ強い風が吹いた。途端に薄暗かった周囲のところどころにちかちかと木漏れ日が舞う。
「分かった、任せる」
フレデリックも真剣な顔で頷き返すと、少しだけ口元を綻ばせたレナードがちらりとアイザックを見て歩き出した。
「アイザック」
フレデリックがアイザックに声を掛けると、アイザックも「はい」と小さく唇を動かして静かに頷き、ゆっくりと歩き出した。
さくりさくりと地面を踏みしめる音がする。
周囲は相変わらず鳥の声と風の音以外何も聞こえない。
本当にあの赤い綱を越えて良かったのか。ふたりを巻き込んで良かったのか。ただ黙って歩いていると、そんな考えばかりが頭に浮かび、重くなる足取りにフレデリックはぎゅっと唇を噛んだ。
そうして、閉じてしまいそうになる目を眉間にしわを寄せて無理やり開き、フレデリックはぐっと顔を上げた。
目の前には、辺りを警戒しながらも力強く歩くレナードの背中がある。
行くと言ったのはフレデリックだ。フレデリックが無理を言い、ふたりを連れて来た。ふたりに咎は無い。何があっても、フレデリックがその責を追う。それだけだ。今は早く先に進み目的を果たす。
フレデリックは足を無理やり大きく踏み出して、ぐるぐると回る頭をゆるく振るとレナードの背を追った。しばらくすると、レナードの足がぴたりと止まった。振り向けばしっかりと着いてきていたアイザックもぴたりと止まる。
「殿下、森が切れます」
前を向けば確かに少し向こうで森が終わっている。明るい日差しが降り注ぎ、その向こう、少し遠い場所には岩肌が見える。恐らく窪地の対岸だろう。
「少し、においが独特ですね……」
そう言って少しだけ顔を上向けて確かめるように振り向いたレナードの顔を見て、そうして横に並んだアイザックの顔を見る。ふたりの緊張した面持ちに、フレデリックも胸のざわつきが抑えきれずにごくりと、唾液を飲みこんだ。
「ここが、王宮図書館の歴史書にも載っていない場所……」
「ああ。僕たちの目的地、だ」
少しかすれた声で言ったアイザックに頷くと、フレデリックはちらりと懐中時計を見た。
「残り二時間半と少しある。森の切れ目の向こうを見ても十分に帰れる時間だな」
「そうですね。レナードの言うにおいは、少し気になりますが」
「ああ。少しだけ覗いて、おかしなものがあればすぐに戻ろう。レナード、それでいけるか?」
「大丈夫だと思います。俺より前には出ないでください」
「もちろんだ」
フレデリックをじっと見つめるふたりの顔をもう一度見ると、フレデリックは覚悟を決めたように力強く頷いた。
「行こう。頼む、レナード」
「はい」
レナードを先頭に、フレデリックたちは森の切れ目、光の方へと歩き出した。




