33.赤い綱
よく分かっていない顔のレナードに、フレデリックは肩を竦めて笑った。
「怒られる覚悟はあるが、無事に済んだら…は怒られる以上がありそうで怖いな」
「無事に済めば何でもありじゃないですか?」
「さすがレナードですね……」
驚いたように目を瞠り、それからアイザックが楽しそうに破顔した。「そうか?」と困ったようにレナードが眉を下げている。「そうだな」と笑うと、フレデリックはポケットから懐中時計を出して時間を確認した。
「森に入ってから一時間半経ってるな。禁止区域の柵を越えてからもう三十分以上か……」
「帰り道を考えると、禁止区域にいられるのは長くとも一時間半が限度でしょうか」
「そうだな。いい加減、護衛のふたりも僕たちがいなくなったことに気づいているはずだ。心配して探しているだろうな」
「あのおふたりは抜け穴を見つけられたでしょうか。まだ一般区域でしょうか」
「たぶん、最初から気づいてたんじゃないかな……」
アイザックの言葉に被せるように囁やかれた言葉が聞き取れず、「ん?」「え?」とフレデリックとアイザックがレナードを振り返ると、来た道をじっと見つめながらレナードは「なんでもありません」と小さく首を横に振った。
また柔らかな風が森の奥から吹いてきて、ふわりとユリの芳香が更に濃度を増した。軽いめまいを感じ、フレデリックもゆるりと首を横に振った。
「無事に済むようにさっさと行ってさっさと戻るか……」
フレデリックが懐中時計をしまい方位磁石をもう一度確認すると、「それが良さそうです」とアイザックが頷いた。フレデリックが少し北寄りの東を指さすとレナードが頷き、また歩き出した。
見たことが有るような無いような草花を横目に見ながら深い森の色をした瞳を思い出し、口元に自然と笑みが浮かぶ。
「きっとこうして歩いている横に生えているものも、僕らが分からないだけで貴重な薬草だったりするんだろうな」
「リリアナさんだったら知ってたと思いますが…まぁ、寄り道しすぎて進めなかったでしょうね」
「じっくり調べたら楽しそうですね」
「リリアナさんが喜ぶぞ、同志が増えたって」
「さすがにエヴァレット嬢ほどまではいけそうにないです……」
皆リリアナを思い出したようで、レナードはどこかげんなりと、アイザックは困ったように笑った。
「本を読んだだけでこれほど覚えるのなら、アイザックならエヴァレット嬢に師事すればすぐに詳しくなるだろう。僕はその記憶力がうらやましいぞ」
「俺もそう思います。リリアナさんに頼んでみるか?」
「ご迷惑にならないでしょうか?」
「ならないよ。むしろ引きずり回されて泣きを見るから鍛錬は絶対だな」
そんな風に他愛のない話をしながら歩いていると、そうかからない内に森を分断するように張られた赤い綱が目前に現れた。
「赤い綱?」
「何でしょう、これ……?」
フレデリックがアイザックと顔を見合わせていると、レナードが綱を触り、それから顔を近づけた。
「これ、赤い染料が塗られてますね。においは……普通の塗料だな。においが強いから、最近塗り直されてる」
「立ち入り禁止区域の境界は特に色も塗っていない木の柵で、綱もそのまま、素材のままだったな?」
「はい。それに立札もありました。ここは………木の柵もありませんし、立札もなく赤い綱だけ、ですね?」
森の奥から入ってきているように思えた風は、今は横から吹いてきている。レナードの言う塗料のにおいは、フレデリックにはよく分からない。
「これは、何だろうな」
目の前に広がる奇妙な光景に、それ以上言えることが無い。自然と眉根が寄ってしまう。
「立ち入り禁止区域の中に赤い綱、ですか……」
「単純に考えればこの先こそが危ないからその周辺も立ち入り禁止区域にした、でしょう」
「赤い綱だけというのが、余計に、これ以上進むなと言っているように見えるな」
フレデリックたちはそれぞれに赤い綱を見て森の奥を見ると、誰からともなく三人で顔を見合わせた。
「危ないのか、王家の谷に近づけさせないためか、その両方か……どれだろうな」
「少なくともここまでは人の出入りがあるってことだけは言えますね」
「であれば、立ち入り禁止区域の内側に入れる人間に対してこれ以上進むな、という警告の綱だろうな」
この真っ赤に塗られて綱は妙に不安を掻き立てる。普段のフレデリックなら、この綱を見ただけで間違いなく踵を返す。
「ですが、危険だと色で示している割りには綱しかありませんよね?これでは簡単に越えられてしまいます」
「そうだな。綱には完全に『入るな』と主張されている気がするが、柵よりよほど越えやすい。それに位置的に王家の谷はこの赤い綱の更に向こうだろうしな………」
フレデリックはもう一度赤い綱の向こうを見ると、何とはなしに天を仰いだ。




