30.脱走
水筒を取り出して水を飲み、鞄を整理するふりをしてフレデリックは方位磁石を確認した。
「東へ行く」
小さな声でフレデリックが言うとアイザックがそっと近づいてきた。
「東と言うとどちらでしょう」
「穴から出て少しだけ右方向だな。王家の谷は森の北東だ。エヴァレット嬢の地図で見るとこのキイチゴの茂みは離宮からほぼ真北だ」
「なるほど、少し北寄りの東へ進めば窪地のどこかに着く、ということですね」
「ああ。とりあえず追いつかれないようまずはそっちに走る。ある程度走ったらそこでもう一度磁石を確認しよう」
「分かりました」
ちらりと目をやればレナードも頷いた。
「よし、キイチゴを摘もう。鞄に袋が入っているだろう?」
フレデリックは水筒を鞄へしまい麻袋を出すとその中へ方位磁石を放り込んだ。そうして鞄をまた背負うとキイチゴの茂みを穴の手前の方へと歩き出した。レナードとアイザックも袋を取り出すと鞄を背負い、フレデリックの後に続く。キイチゴを摘みつつ、少しずつ穴の方へと回るつもりだ。
「凄い、あの青かった実がほとんど赤くなっていますね!」
「ああ。エヴァレット嬢もキースと摘んだと手紙にあったが…とても誰かが摘んだとは思えないな」
「良い匂いがしますね、美味そうです」
アイザックが茂みに近寄り声を上げた。レナードも口角を上げて辺りを見回している。このまま立ち入り禁止区域には入らずキイチゴを摘んで帰ってもそれはそれで良い思い出になりそうなほどに、一面、宝石のように煌めく赤い実で覆いつくされている。
「すごいな、確かにこれだけあればジャムにもなるだろうな」
ジャムにすると水分が抜けるせいか嵩が大きく減ってしまう。それでも三人で摘めば大きな瓶三つ分くらいのジャムはすぐに作れるだろう。
「少し、惜しいな」
ぽつりと呟いたフレデリックの声が聞こえたのか、「荷物になりますか…」と眉を下げたアイザックにレナードが「少しくらいならすぐに食べれば良いさ」とぽん、と肩を叩いた。
「そうだな、潰れない程度に積んでいくか」
「はい」
少し残念そうに笑うアイザックにフレデリックも微笑み返し、熱中しているかのように黙々とキイチゴを摘みながら穴の方へと進んでいく。ちらりと護衛のふたりを見れば、どちらも先ほどの位置から動いていない。
「………行くぞ」
フレデリックが囁くと、レナードとアイザックが頷いた。
「俺から行きます」
「ああ、頼む」
まずは体の大きなレナードが穴をくぐり、辺りの様子を伺いながら周囲の草を踏み枝を払って道を作ってくれた。あとにフレデリックが続き、最後にアイザックが穴をくぐる。
「あっちだ」
麻袋から方位磁石を取り出し再度東を確認すると、フレデリックは東より少しだけ北の方角を指さした。レナードはフレデリックが指さした方をじっと、何かを探るように見つめるとひとつ頷いた。
「俺が先に行きます」
囁いたレナードにフレデリックが頷くと、レナードも頷き走り出した。
「アイザック、走れ」
「はい」
少し躊躇するように足踏みをしたアイザックの背を叩き、レナードを見失わないようフレデリックも走り出す。アイザックも後に続くのを確認し、フレデリックは前を見た。
一歩踏み出すたびにふわりと浮くような感覚にフレデリックはぐっと眉根を寄せた。
一般区域には道がありしっかりと踏み固められていたが、同じ森だが足の下に感じる感触が違う。普段は人が入らないこの辺りは土が柔らかい。
「っ!」
柔らかい土の中、落ち葉の下にところどころに木の根や石などの障害物がある。踏むたびにぐらりとよろけそうになり、慌てて体勢を立て直す。五分足らず走っただけで大した速度だったわけでもないはずなのにすっかりと息が上がってしまった。
「いったん止まりましょう」
振り返って後ろを確認したレナードがぴたりと足を止めた。少し遅れてフレデリックが追い付き、その後ろ、アイザックが大きく肩で息をしてよろよろと追いついた。
「頑張ったな、アイザック。人の入らない森は走りにくいんだ」
レナードがすぐさまアイザックの鞄を下ろさせ、近くにあった倒木を手で押して確認すると倒木の上にアイザックを座らせた。
「すい、っません、はっ、ふっ、足手、まといっ、に……っは」
肩で息をしながらレナードから水筒を受け取り、アイザックが悔しそうに唇を噛んだ。
「いや、僕も正直、限界だった。ちょうど良いところに、倒木があって、助かったな」
息を整えながら来た方を確認すればもう立ち入り禁止区域の柵も札も全く見えない。護衛の騎士たちが追いかけてくる様子もない。
フレデリックも鞄から水筒を出すと水を飲み、ひと口飲んでまた息を吐いた。
「一気に飲まないように気を付けてください。余計に疲れます。休み休み、少しずつ水分を取りながら移動しましょう」
「ああ、そうだな。しばらくはキイチゴ摘みに夢中だと思ってくれるだろう。僕らがどちらへ進んでいるかは簡単には分からないはずだし、少し休んで方角を確認しながら進もう」
アイザックが頷いたのを見てフレデリックもアイザックの横、倒木に座った。レナードはきょろきょろと周りを見回し、木に触れたり土に触れたりしている。
「レナード、どうした?」
「少し」
それだけ言うとレナードはきょろきょろと見回しながら何かを調べるように周囲を回り始めた。




