29.世界の外
なおも視線を逸らそうとしないアイザックに、レナードの口元だけがもごもごと動いている。ふたりの様子が微笑ましく感じ、フレデリックは思わず声を上げて笑ってしまった。
「はは!良いじゃないか。僕も感動したぞ。その教え、僕も確かに受け取った」
「はぁ……そうですか………」
レナードはちらりとフレデリックを見ると視線をアイザックに戻し、「参ったな…」と苦虫を噛みつぶしたような顔で後ろ頭をがりがりとかいている。アイザックは褒めると素直に喜ぶが、レナードは意外と褒められるのが苦手なのかもしれない。
「そうか……違うからこそ、か」
フレデリックの中でまた何かがゆっくりと形になっていく気がして、唇だけで呟くと、フレデリックはぎゅっと胸元でこぶしを握った。
「違うからこそ反発する。けれど、違うからこそ教え合い、支え合うこともできる、か」
人はきっと、自分の世界の外を見るのは難しいのだ。森だけではなくて、いつも見ているはずの王宮でも、学園でも、王都でも、町や村でも。
そこには様々な者がいて様々に考え生きているはずなのに、違いに気づくのはとても難しい。こんなに近くにいても、フレデリックは気づけなかった。
さやさやと揺れる木の葉の隙間から漏れる小さな光たちが、ちらりちらりとフレデリックの側近候補たちの上で揺れている。見上げれば一瞬だけ強く差し込んだ光が目に入り、小さな痛みを感じてフレデリックはきゅっと目を瞑りうつむいた。
フレデリックは王国の権力図の最も高い位置にいる。
フレデリックは自分の視野が狭いことにやっとほんの少し気が付くことができたところだ。これからもきっと沢山の失敗や思い違いをすると思う。その時に起こることを考えると、自分の立場がひどく恐ろしい。
けれどこれから先。いつかフレデリックがひどく傲慢になりそうなときには、ふたりなら気がついてフレデリックを止めてくれるかもしれない。
ふっと背中が楽になった気がしてフレデリックは顔を上げると、ふたりがフレデリックをじっと見つめていた。
見つめ合い、黙ったまま何となく鳥の声と木々の間を行く風の音に耳を澄ませていると、アイザックが頭上をもう一度ぐるりと見回して大きく頷いた。
「行きましょう」
「ああ」
アイザックはしっかりと大地を踏みしめて歩いていく。初めて共に森に入った時は力が入らないようによろよろと恐々と歩いていたが、今は安心して後ろを歩くことができる。
本来であれば先頭に立つのはレナードの役目だ。最も強い者が前を行き、貴人を間に挟み、もうひとりが後ろを守る。
だが、フレデリックの後ろを歩くレナードは何も言わない。地図を持ち、自分の足でフレデリックたちの案内をしようと悩みつつも頑張るアイザックを、レナードが時折優しい目で見ていることにフレデリックは気付いている。
もしかしたらレナードもこんな風に誰かに育ててもらったのかもしれないなと、なぜだかフレデリックの目の奥がまた温かくなってしまい何度も瞬きをした。
「あ、見えてきましたね!!」
アイザックが前を指さしながら嬉しそうに振り返った。
「ああ、着いたな」
フレデリックも頷いて後ろを振り返ると、レナードも「ああ」と笑いながら頷いた。
今日も無事、アイザックはフレデリックたちをキイチゴの茂みまで導いた。きっとこれもまたアイザックの自信につながるはずだ。
レナードの後ろをちらりと見れば、やはり少し距離のある場所を護衛のふたりが歩いてくる。フレデリックたちがキイチゴの前で立ち止まると、ジャックとケネスも少し離れた場所でぴたりと立ち止まった。
「少し休憩を取ろう。それからキイチゴだな」
キイチゴの茂みの裏側へ。
暗にそう示せば、レナードとアイザックは鞄を背から降ろしながら「はい」と頷いた。
「お、軽いな?」
「体が重さに慣れてきてたんで下ろすと身軽に感じるんですよ」
「改めて、ずいぶん重かったんだな……」
鞄を手に提げてみるとずしりと重い。アイザックも鞄をじっと見つめながら両手に持ち、何とも言えない顔で上げたり下げたりを繰り返している。
「水分を取ってください。それと肩回りと背中をしっかりとほぐしましょう。あとできますよ」
レナードがぐっと両腕を真っ直ぐに上に上げ、片手でもう片方の腕の手首を握りぐっと体を横に倒した。
「こうか?」
見よう見真似で同じようにすると「そうです」とレナードが頷いた。
「こう、でしょうか?」
アイザックも同じように真似て腕をぐーっと伸ばしている。レナードがアイザックの背中に手を添えて「まっすぐできるか?」と形を整えて、また違う動きを始めた。剣の稽古の前にも準備運動をするが、レナードはそれとは違う動きをしている。
「剣の稽古の準備運動とは違うな?」
「しっかりほぐしたい場所が違うんで。肩や背中以外にも違和感があったら教えてください」
体を伸ばしながらちらりと来た道を見ると、レナードに教えられながら体を伸ばすフレデリックたちをジャックは微笑みながら、ケネスは少しだけ口角を上げて微笑ましそうに見守っているのが見えた。




