12.見えていないもの
朝食の後、リリアナから貰った地図を見ながらフレデリックたちは迎えに来た護衛と共に離宮の森へと入った。まだ午前の早い時間のせいか、昼過ぎから森へ入った昨日とは空気が違う。湿った土や草木の香り…まさしく森のにおいとしか言えない清々しく爽やかな香りが実に心地よい。
「僕、初めて朝の森に入りました」
アイザックが昨日とは打って変わって穏やかな表情で辺りを見回している。
「僕もこのような時間に森に入るのは初めてだな。これは良いものだな……」
深呼吸をすれば体の中から洗われていくようだ。普段のフレデリックならやっと起き出してぐだぐだとメイと攻防を続けている頃だ。もしかしたら王宮の庭園も朝にはこんな風に空気が違うものなのだろうか。
「早起きも悪くないですよ。俺は朝は父上と鍛錬なので割と早いんです」
「こんな時間から鍛錬なのか?」
「父は俺が鍛錬に出る一時間前から鍛錬しているそうです」
「リンドグレン侯爵は努力家なのだな……」
第一騎士団の騎士は権力や容姿を重視するために剣の腕は良くないのだと聞いていた。鍛錬場にも第一の騎士はそれほど現れないと聞いていたので、皆そういうものなのだろうとフレデリックは思っていた。
「毎日なのか?」
「はい。雨が降っても雪が降ってもです」
「お前もか?」
「俺もですね。嵐の日はさすがに母に怒られるので室内で筋トレです」
「そうか……毎日、か………」
フレデリックは自分に見えていないものの方が多いことは理解していた。けれど、これほど近い場所ですらフレデリックには見えていない。それどころか個を見ようともせず、聞いた話でひとまとめに考えしまっていた。
もう一度「そうか…」と口の中で呟く。
ちらりと後ろを見ると、今日も見目麗しいふたりの騎士が見える。白い騎士服の彼らは王族の護衛を主とする第一騎士団の騎士だ。腰には当然、重そうな長剣を下げている。
生家の爵位がどれほど高くとも、従騎士試験を通らなければそもそも騎士団に所属することができない。
第二騎士団や第三騎士団に比べれば実戦経験も少なく実力にも劣るかもしれないが、良く考えれば王族警護を任される騎士である以上彼らも十分に戦えるのだ。
気づいたとたんにぐっと、頬に熱が上がった。顔から火が出そうに熱い。視野の狭さだけではない、自分の思い込みの多さをも突きつけられたようで、フレデリックは気づかれないようこっそりと唇を嚙んだ。
「………僕も、朝の鍛錬をしてみたいな」
「王弟殿下にお話をしてみてはいかがです?朝のかなり早い時間にいつも鍛錬をなさっていると父が言っていましたよ」
「叔父上がか!?」
思わず大きな声が出た。変えないようにしていたはずの表情もすっかりと崩れ、思わず口をぽっかりと開いてしまった。
普段の叔父はだらしがない。それなのに格好良く見えてしまう叔父は生まれつき全てが美しいのかと思っていたが、まさか叔父もフレデリックの知らないところで努力をしていたとは思ってもみなかった。叔父に関してはむしろ聞いても信じられないが。
「はい。ブライアント子爵とライリー子爵も一緒の時があるみたいです」
「噓だろう……護衛のオルムステッド殿は分かるがフェネリー殿はただの従者だろう?」
「詳しくは俺も分かりませんよ。父がそう言ってただけなんで」
軽く肩をすくめたレナードに、フレデリックは天を仰ぎたい気持ちになった。
ブライアント子爵は叔父の専属護衛のジェサイア・オルムステッド、ライリー子爵は従者のベンジャミン・フェネリー、ふたりとも叔父の直属の部下だ。王宮所属の官吏や騎士ではないので爵位で呼ばれることが多い。
そんなふたりも叔父と早朝から鍛錬に励んでいるという。昼夜問わず叔父の側で叔父の補佐をしているのに、だ。
フレデリックが不満を口にするたびに『もっと視野を広く持って周りを良く見てごらんなさい』と母はいつも困った顔をして笑っていた。
今ならその意味が少しだけわかる。子供だから、では済まされない。
「どうしました?殿下」
「お疲れになりましたか?」
いつの間にか足を止めてしまっていたようで、ふたりも少し先で立ち止まり心配そうにフレデリックを見つめている。
「いや、大丈夫だ。……あまりにも色々なものを見落としている気がして足が止まってしまったらしい」
フレデリックが苦笑して首を横に振ると、アイザックが「ああ!」とにっこりと笑った。
「そうですね、昨日はエヴァレット嬢がご一緒でしたから色々なものを見つけられましたが、こうして歩いてみると同じものを見ているはずなのに中々見つかりませんね」
「あれはリリアナさんの目が異常なんですよ」
「あ、女性に異常だなんて言っては駄目ですよ?」
たった一晩共に過ごしただけだがずいぶんと肩の力が抜けたらしい。笑い合うレナードとアイザックの表情も口調も昨日とはずいぶんと違う。
「そうだな、異常は駄目だ。そういう時は『特別』だな」
「なるほど、物は言いようですね」
次からはそう言いますと笑ったレナードに、フレデリックも自然と笑みがこぼれた。




