3.紫の宮
東の離宮は通称『紫の宮』と呼ばれている。宮と呼ぶには少々小ぶりな建物は外から見ると全体的に白いのだが、内部が深い紫で統一されているのだ。初めて行ったときはフレデリックも驚いたが、深い紫で統一された離宮は外の白さも相まってとても荘厳で不思議な魅力がある。
そしてその背面には森が広がっており、広い川を挟んだ更に向こうには『銀の森』と呼ばれる森が延々と広がっている。その川の手前までが離宮の敷地なのだが、理由は分からないが浅い部分以外は立ち入り禁止区域となっている。離宮正面の庭園と立ち入り禁止区域以外の森は一般の立ち入りも可能だ。
「ああ、キースの婚約者はエヴァレットの令嬢だったな」
キースはレナードの八歳上の長兄でリンドグレン侯爵家の跡取りだ。今年で学園を卒業し、従騎士試験を受ける予定だと聞いている。
エヴァレット伯爵家は医療従事者を多く輩出している名門で、医者になる者以外にも薬剤師や研究者の道を選ぶものも多い。
「ですね。お陰で健康ジュースとかいう恐ろしいものをじっけ…いや、御馳走になる日々です」
「お前、実験台にされてるのか……?」
「いや、体には良いんですよ実際。飲んだ翌日はすごく元気になります。ただ毎回、恐ろしくまずいんですよね……」
「そうか……それは……なんだろうな」
ちらりと後ろをうかがうと、味を思い出しているのかレナードが口元を引き結びながら半目になっている。どれほどの味なのだろう。毎回恐ろしくまずいということは、毎回味が違うということか。
「試します?殿下」
「いや、試したくは……いや待て、試そう」
大きく頷いたフレデリックに、レナードは目を見開いて引き結んでいた口元を引きつらせた。
「え!?試すんですか!?」
「何なら共に離宮の森に行って薬草摘みも手伝わせてもらおう」
エヴァレット令嬢の健康ジュースも気になるがこれは良い機会だとフレデリックは思った。東の離宮や離宮の森へ行こうにも普段のフレデリックには理由がない。薬草摘みともなれば恐らく森の奥へも行くはずだ。禁止区域には入れずとも近くまでは行くだろう。探ることくらいはできるかもしれない。
「え!?本気ですか!?」
「ああ、良き王となるためにも知識はあるだけ良いからな」
これも決して嘘ではない。フレデリックは王族として様々なことを知るべきだと思っている。どのような分野も知識がなければ正しい判断などできるはずもない。そういう意味では叔父がお忍びで頻繁に下町へ降りていくことに嫌悪はない。視察や国交も含めて王宮から一歩も出ようとしない父の方にはむしろ思うところがあるが。
「アイザックはどうします?」
「そうだな……交流は深めた方が良いだろうし薬草摘みには連れて行く。キースの婚約者殿と薬草取りに一日、せっかくだからもう一日離宮に滞在したいな。一泊二日、スペンサー侯爵がそれを許すならアイザックも宿泊だな」
「東の離宮まで馬車で二時間くらいですから、薬草採って散策してもその日に十分戻れますよ?」
「薬草摘みだけじゃなくゆっくり森や庭園の散策もしたいんだ。良い季節だろう?」
薬草摘みと森の散策がたまたまフレデリックの別の興味につながるだけだし、アイザックとの交流を深めなければならないのも事実だ。
「兄上たちも宿泊ですか?」
「いや、もちろんそんな面倒は掛けない。泊まるのは僕だけだ。あとは僕の側近候補であるお前とアイザックがどうするかだな」
教えは請うが巻き込むつもりはない。何より、フレデリックの我儘で学生であるキース達の時間を長く奪うのは心苦しい。
「分かりました。調整しますからまず殿下は許可を取ってもらえますか?行けそうなら兄と婚約者に声を掛けます」
「ああ、僕からも手紙を書こう」
「まずは許可を取ってからですよ?」
「分かっている」
いつもは何でも感覚で話していそうなレナードがしっかりと筋道を考えて話していることに意外性を感じながらもフレデリックは頷いた。もしかしたら文官が言っていた『脳筋』よりもレナードは頭を使っているかもしれないと、フレデリックは少しだけレナードに対する認識を改めた。
新しい側近候補と親睦を深めたいと言ったところあっさりと東の離宮での宿泊許可は下りた。許可は下りたのだがちょうど学園の試験期間もあり予定の折り合いがつかず、結局、東の離宮行きはレナードと離宮の話をしてから三週間後に決まった。
その間、時間さえあればフレデリックは図書館に通い立太子の儀についての書籍を探した。せっかく行くのだから少しでも東の離宮や森について知っておきたいとフレデリックが嘯けば、レナードもアイザックも疑うことなく一緒になって東の離宮についての本を探してくれた。こうして三人で共に過ごす時間は思いのほか楽しく、フレデリックは東の離宮への滞在に大きな期待と、ほんの少しの罪悪感を覚えた。
そもそもはっきりとした場所も分からない上に立ち入り禁止区域の向こうだ。簡単にはたどり着けないことは分かっている。だが、憧れるくらいは自由のはずだ。
――――あわよくば王家の谷を見てみたい、それだけだ。
そう、フレデリックは自分に何度も言い訳をした。




