139.光
グローリアの睫毛がふるりと震える。自嘲の色はすぐに消え今はいつもの通り微笑んでいるのに、何かが違う気がしてグローリアはじっと、ベンジャミンの青灰の瞳を見つめた。
「………わたくしは、大切ですの?」
「ええ、大切ですよ。俺にとっても、執務室の連中にとっても、レオにとっても、ね」
ためらうことの無いベンジャミンの肯定にちくりとグローリアの胸が痛む。喜ぶべきことのはずなのに素直には喜べないのはなぜなのだろう。
グローリアが視線を落とすとまたもぽんぽんと手が叩かれた。顔を上げればいたわるような青灰の瞳と視線が合う。大切にされているのだと、思える目だ。
「………それは、なぜですの?」
いつから王弟殿下に大切にされていたのかをグローリアは知らない。なぜ大切にされているのかもグローリアは知らない。いつ、は答えてもらえない気がして、グローリアはなぜ、と問うた。
「あなたが光だからです」
ベンジャミンが目元を緩めた。愛されていると錯覚しそうなほど優しい目にグローリアは瞠目し視線を彷徨わせた。ベンジャミンにこんな目で見られたのは恐らく初めてのはずだ。
「ひ、光……ですの?」
「ええ、光です。文字通りの光」
「分かりませんわ」
いつも通りの穏やかな笑みを浮かべるベンジャミンの目にはもう先ほどの色は無い。やはり錯覚だったのかと思うグローリアにベンジャミンがにやりと笑って肩をすくめた。
「そうですね、光であるあなた自身にはきっと見えないと思いますよ」
「まぁ……なんだか意地悪ですわ」
「そうですね、俺は優しい人間ではありませんよ」
「それは分る気がいたしますわ」
「おや、そうでしたか」
王妃殿下が以前、王弟執務室で一番の曲者はベンジャミンだと言っていた。王弟殿下の従者を務められる人なのだ。ただ優しい人であるわけがない。
グローリアが知る一面が全てでは無いと分かっていてもグローリアから見るベンジャミンは温かい人だ。共に居てくれるだけで安心できる、父のような人。
「ただお優しいだけの方とは思っておりませんわ。ですが、とてもお優しい方だとも思います」
ふるふると首を横に振るグローリアに、ベンジャミンが目を細めて首を傾げた。笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
「なるほど、ね。もし俺が優しいと感じるなら、それは俺ではなくレオが優しいからですよ。レオの望む世界が優しいから、俺が優しくいられるんです。きっと俺自身はあまり優しくないんじゃないかな」
そんなことは無いとグローリアは思う。たとえ王弟殿下が優しい世界を望んでも、その在り方はひとつではない。きっとベンジャミンなら知られることなく様々な方法をとれるはずだ。けれど、グローリアから見ればいつだってベンジャミンの選ぶものは優しく温かい。
王妃殿下が言っていた。ハリエットはどうしようもなくお人好しのメイウェザーだから何とかなっている、と。もしかしたら人を一生を掛ける対象に選んでしまうメイウェザーは皆ひどくお人好しなのかもしれない。
思い出してしまったみずみずしい若草と艶やかな亜麻色にグローリアの胸がじくりと痛む。視線を落とすとグローリアは小さくため息を吐いた。
「どうしたいですか?」
唐突に聞かれ、グローリアは顔を上げた。またもぽんぽんと手を叩かれる。
「え?」
「グローリア様はどうしたいですか?レオから離れたいですか?」
グローリアは瞬いた。ベンジャミンの口からそんな問いが出るとは思ってもいなかったのだ。離れるなと言われるとしても離れたいか、など。
グローリアは小さく首を横に振ると淡く口角を上げた。
「それはありませんわ」
「おや、即答ですね?」
「殿下のお力になりたい気持ちに変わりはございませんもの。それにわたくし、これしきで折れるほどやわではございませんわ」
「ええ、そうでしょうね」
折れかけはした。けれど折れなかった。グローリアひとりでは折れていたかもしれないけれど…でもそれはきっと、グローリアの矜持が許さない。
その答えが欲しかったと言わんばかりにベンジャミンの青灰の目が嬉しそうに細められた。
「それにわたくし、そのためにベンジャミン様を利用することができてしまうくらいの悪女ですのよ」
グローリアがつないでいない方の手を腰に当て少しだけ胸を張って見せると、ベンジャミンが眉を上げ、そうして相好を崩した。
「おやおや、可愛らしい悪女さんですね。あまりに愛らしくて全て分かった上で騙されて差し上げたくなりますよ」
グローリアはこの顔を知っている。幼いグローリアの手を取りにこにこと話を聞いてくれていた、祖父と同じ顔だ。
「騙しませんわ。全てお話しした上でお願いして利用するのです」
「ははは!そうですね、あなたはそういう人ですね。なるほど確かにとんだ悪女だ。いっそ騙してくれる方がよほど優しい」
「そうでございましょう?」
唇を尖らせて言ったグローリアにベンジャミンは更に表情を崩した。「かなわないなぁ」と楽し気に肩を揺らす。
そうしてひとしきり笑うとベンジャミンはひとつ大きく息を吐いた。
「ええ、良いですよ。いくらでも利用してください。俺が上手に利用されて差し上げます」
「本当に、それでよろしいの………?」
「駄目だと思いますか?」
「駄目だと思いますわ」
首を横に振ったグローリアに、ベンジャミンもまた少し面白そうに首を横に振った。
「そうですね、俺も駄目だと思います。ただし………俺を利用することがではなく結論を急ぐことがです」
「え?」
「ゆっくりで良いんですよ、グローリア様」
「え………?」
言われたことが分からず呆然とするグローリアにベンジャミンは眉を下げて笑った。
「良いんですよ、グローリア様。言ったでしょう?無理をするのは今じゃないって。ゆっくりで良いんです。十分に時間はありますよ。あなたはまだ、十六歳なのですから」




