126.思いのありか
「は、い?」
間違いなく母の声は聞こえているというのに、聞こえた言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
王弟殿下の心を占めている…それはつまり、王弟殿下には愛する女性がいる、ということだ。それも、とても長く。
「………ジジ、聞く?このまま忘れても良いわ」
気づかわし気な母に名を呼ばれグローリアははっとした。どうも固まってしまっていたらしい。グローリアは慌てて母を見てこくりと頷いた。
「いいえ、聞きますわ。お相手は元婚約者の方では無いのですわね?」
「あなた……それ殿下から聞いたの?」
母が大きく目を見開いた。母の心底驚いたような顔にグローリアも目を丸くする。何かおかしなことを言っただろうかと視線を揺らしながらグローリアは頷いた。
「あの、はい。ほんの触りだけですが……?」
「そう……殿下はあなたに話したのね……。ならば可能性はあるのかしらね……?」
「お母さま?」
訳が分からずグローリアがいぶかしげに首をかしげると、はあああ、と母が大きなため息を吐き額に手を当てて俯いた。いまだ苦悩の滲む母の表情を見てグローリアはどんどんと不安になる。ただでさえ今聞いたばかりの新たな事実に強く痛む胸が、更にどきどきと嫌な予感に脈打った。
覚悟を決めたように顔を上げた母が痛みを堪えるように眉を寄せる。その様すら美しい。自分に良く似た母の顔をグローリアがじっと見つめていると、母は観念したかのように、重く口を開いた。
「…………セシリア様よ」
「……………………は?」
「ライオネル殿下のお心をずっと、もう二十年以上もの間捕らえてやまない女性はただおひとり、セシリア様だけよ……」
ずっと聞こえていたはずの噴水と流れる水の音がぴたりと、聞こえなくなった。
セシリア様。現国王陛下の妃。若草の瞳に亜麻色の髪の、幸せそうな笑顔できらきらと輝くグローリアの憧れ。その人の、名。
「は………え………?」
ひやりと、背中を冷たいものが伝っていく。頭が理解するのを拒絶するように働かない。せしりあさまという言葉は理解できるのに、なぜかすんなりとグローリアに入ってこない。
「言うかどうか悩んだのだけれどね……どこかから捻じれた形で聞くよりもわたくしの口から伝える方が良いと思ったのよ………ああ、ごめんなさい、ジジ。泣かないでちょうだい……」
母が痛ましいものを見る目でグローリアの頬へと手を伸ばした。濡れた感触に、自分が泣いているのだということにグローリアはやっと気が付いた。
「いいえ…いいえ、お母さま。謝らないでくださいまし」
今にも自分が泣きだしてしまいそうに顔を歪める母にグローリアはふるふると何度も首を横に振った。そんなグローリアを見て、母もふるふると首を横に振る。
「もっと早くに伝えるべきだったわ。そうしたらあなたにもっと色々な選択肢をあげられたのに……」
「いいえ……いいえ………」
「ごめんなさいジジ………」
ごめんなさい、ごめんなさいと首を横に振り何度も何度も呟く母にグローリアはぼろぼろと涙を流しながらも震える口角を無理やりに上げて微笑んだ。
「いいえ、お母さま。わたくし、わたくし今知れて良かったですわ。やっと色々、分かりましたもの。知らぬままこれ以上先に進んでしまっていたら、きっと知った時、わたくし、心が、壊れておりましたわ」
「ジジ………」
そうだ、きっと今で良かったのだ。まだグローリアは何も動き出してはいない。まだやっと思いに気が付いた程度だ。思いを伝えその先を見た後ではない。万が一王弟殿下に受け入れられて王弟妃になった後にでも知ってしまえばきっともうグローリアは立ち上がれなかった。
「ふふふ、どうしましょうお母さま。わたくし、二日後に執務室に行くと、言ってしまいましたわ……」
ただそうだ。グローリアは二日後にはまた王弟殿下と会わねばならない。いったいどんな顔で会えば良いのか、それだけがどうしても分からない。上手く笑顔を作れる気が全くしないのだ。
涙を流し続けながら乾いた笑いを漏らしたグローリアを、母もまた、苦しそうに見つめていた。




