122.縁談の条件
「え?何ですのそれ?」
「公表されているグローリア嬢の縁談の条件だよ。署名はイーグルトン公爵と、王弟殿下だね」
「は!?」
何だそれはとドロシアとサリーを見ると、ドロシアは眉根に少ししわを寄せ、サリーは目をまん丸に見開いて知らないとばかりに首を横に振っている。
保護者と保証人の署名があるということは公証されているということだ。だがそんな話を一切グローリアは耳にしたことが無い。
「初めて聞きましたわ、そんな話」
「わたくしもベルトとの縁談が来てから初めて知ったわよ」
「まずグローリア嬢に縁談を持ち込める相手が少ないからね、そういう相手にだけ公証の存在が知らされてるみたいだよ」
どういうことなのだろう。グローリアが国にとって重要な駒であることは自覚している。それを考えれば成人まで縁談を通さないのは分かるのだが、『本人が望んだもの以外』とはいったいどういうことなのか。
「そうなるとおかしいですわ。お父様は今年の茶会前にわたくしに釣書を束で渡しましたのよ」
「グローリア様がご両親に何かをおっしゃいませんでしたか?縁談を望むようなことを」
「わたくしが?」
フォルカーに静かにうながされ思い出してみる。グローリアが両親と縁談の話をしたとき…グローリアの脳裏にいくつかの場面が思い浮かんだ。
「たぶん申しましたわ。はっきりとではございませんが、二度ほど……」
「何て言ったの?」
「ひとつはあの不幸の手紙と釣書の束を受け取った日ですわ。お父様の執務室でお父様から『結婚したい相手はいるか?』と聞かれましたの。ですからわたくし、『国とイーグルトンのためになるのならどなたとでも結婚いたしますし、やぶさかではございません』と答えましたわ」
「結果が部屋を埋める釣書だったのね」
「ティーテーブルの上だけですわ」
つまり父はあれをグローリアが望んだと判断したということか。確かにグローリアはやぶさかではない、と言いはしたが。
「あ」
「どうしたの?グローリア」
「あの、王弟殿下が仰っておりましたの。事前にウィルミントン元令息との見合いの詳細を王弟殿下が知ったら潰されるから王弟殿下には教えられていなかったと」
「なるほど、グローリア嬢が望まない縁談だからってことだね」
グローリアの心臓がまた早鐘を打ち始める。グローリアはまたグローリアの知らないところで王弟殿下に守られていたということか。大切にされていた、ということか。
「ねえちょっと、憎からずどころか溺愛じゃない。分かってはいたけどさすがに拗ねそうよ?」
「俺も拗ねるよ?モニカ」
「拗ねてちょうだい、妬かれるのは嬉しいわ」
呆れたようにグローリアを見るモニカの頬を唇を尖らせてベルトルトがつついた。とたんにモニカの表情が緩む。目を見合わせて微笑むふたりに生暖かい目を向けていると、困惑した表情でサリーがおずおずと手を上げた。
「あの……その公証って、いつからなのでしょうか?」
物心つく前からすでに共にいたドロシアですら知らない公証。つまりはグローリアの耳には入らないようにしていたということだろう。確かにいったいどういう経緯でいつ結ばれたものだったのか。
「ああ、署名は十年くらい前みたいだったよ。はっきりとした日付まで覚えてないけど」
「十年前ですの!?」
思わずグローリアは大きな声を上げた。
「そんな……」
「どうしたの?グローリア」
「あ……いえ、『話せない範囲』ですわ」
十年前。もうすぐ十一年前と言っていたか。それは小さな反乱があった頃であり、王弟殿下が元婚約者とその一族を断罪した頃のことだ。唇を噛みしめ視線を落としたグローリアに、モニカの目がすっと真剣さを増した。
「そう、聞かないわ。でもこれだけは教えて。それはグローリアにとって良いことかしら?悪いことかしら?」
「分かりませんの。わたくしにもまだ分かりませんのよ。ただ………とても大切なことのような気がいたしますわ」
そう、まだグローリアには分からない。詳しいことを聞いていないグローリアには十年前の真実は分からないし、十年前の出来事とこの公証がどうつながるのかは分からない。
もしかしたら偶然かもしれない、けれど偶然というにはあまりにも符号が合いすぎている。
「そう……詳しくは聞かないけれど、グローリアにとって良くないことになりそうならすぐに言ってちょうだい。そうなったらもう範囲とかどうでも良いわ」
「ありがとう、モニカ……」
知りたい気持ちは大いにある。恐らく王弟殿下の心の傷に触れることになるであろう大切な話だ。聞きたくはあるが恐ろしくもある。グローリアは王弟殿下の元婚約者の話を落ち着いて聞くことができるだろうか。少し考えただけでもこれほどまでに胸が黒く塗りつぶされそうなのに。
ましてや噂に聞く王弟殿下の艶話は数も底も際限を知れない。全てが本当でもなければきっと全てが嘘でもない。大人の男性なのだから当たり前だと頭で理解しても、それに耐えられる自信がグローリアには全く無い。思いを自覚してしまった今はなおさらだ。
「ところで二度目は?何を言ったの?」
思考に沈み、強い痛みが湧き上がる。思いを知る前よりもずっと濃くなってしまった黒いもやで押しつぶされそうだったグローリアを、ベルトルトの明るい声が引き戻した。




