119.気づき
吹き抜ける風が左手首のリボンを揺らし、グローリアはふと、手の中の物の存在を思い出した。
「ああ、そうですわ殿下」
「ん?どうした?」
「こちらを」
「お……?」
グローリアの両手の平くらいの大きさの箱を両手で差し出すと、王弟殿下がじっと箱を見つめた後に片手で受け取った。そっと箱の輪郭をなぞる王弟殿下の綺麗な長い指にグローリアはなぜか居た堪れなくなり目を逸らした。
「クッキーですの。モニカたちと皆で作りましたのよ。友人のために作りましたのでついでのようなものですけれど……。リボンの刺繍も友人のお手製ですわ」
少し早口になりつつ説明すると、王弟殿下はぱっと顔を上げ、花壇を見つめるグローリアを少しだけ覗き込んだ。
「俺にか?」
「いいえ?執務室の皆様へですわ。寂しがってくださっているのならわたくしは元気だとお伝えくださいませ」
「あー……あいつらにか…」
「もちろん殿下も含みますわよ」
「そうだな、含む、よな」
王弟殿下がなぜか肩を落として小箱へとまた視線を戻した。そうしてまたグローリアを見ると「ありがとな」と優しく微笑みグローリアの頭を今日は崩さぬようそっと撫でた。
「っ!!」
グローリアの胸が泣きそうなほどの甘さで満たされ、同じくらい叫びだしそうな痛みを訴える。息が上手く吸えなくて苦しいのに、息を吐けば嗚咽が漏れてしまいそうだ。
本当に、王弟殿下はグローリアをいったいどうしたいのだろう。駄目ならば放っておいてくれれば良いものを。無理だと言うなら追って来ずに手放してくれれば良いものを。いっそのこと、あなたが好きだから触れないでと怒った方が良いのだろうか。
なぜこうも触れるのか。なぜこうも甘いのか。なぜこうも構うのか。なぜ、上手に忘れさせてくれないのか。
なんだか無性に腹が立って来たグローリアは俯いたままぎゅっと目を閉じ、いっそ思いを吐き出してしまおうと口を開き、けれどふっとひとつの可能性に気づいてそのまま大きなため息に変えた。
「殿下」
「なんだ?」
「近々うかがいますわ。ベンジャミン様のお茶も恋しいですし」
ほんの少しベンジャミンを強調すると案の定、王弟殿下は少し不機嫌になった。むっとした顔で花壇の方を向き、拗ねたような声で言った。
「そうかよ……言っとく」
「ええ、とびきり美味しいお菓子も期待しておりますとベンジャミン様にお伝えくださいまし」
「……言っとく」
むっつりと口を引き結ぶ王弟殿下に様々なことが腑に落ちたグローリアは小さく肩を落としまた嘆息した。
自分はグローリアに駄目だ無理だと言うくせにグローリアが他者に目を向ければ拗ねる。とんだ駄々っ子だ。
騎士棟でとっさに手を掴んだのも恐らくグローリアがフォルカーの手を取ろうとしていたからだ。茶会でやたらとくっついていたのはまさかとは思うがジャーヴィスがグローリアの手を取っていたからか。
「殿下。困るのは殿下ですわよ……」
グローリアがため息とともに呟くと、王弟殿下はグローリアを振り向き「ん?何がだ?」と首を傾げた。
グローリアは更に嘆息した。まさか駆け引きですらないただの無自覚なのだろうか。
自覚したばかりのグローリアが言えたことでは無いのだが、本人の自覚と理性と感情と行動が正しく一致していないというのは、向けられる側は振り回されて何とも迷惑なことだと思う。
もしも自覚した上でこの振る舞いならば艶っぽい噂も全て納得というものだ。グローリアなど良いように転がされて終わりだろう。その時はそれで仕方が無い。
ベンジャミンの言動にも納得がいく。気付いてしまえば色々なところに手がかりは沢山あったではないか。
「いえ、何でもございませんわ」
駄目だというのは、グローリアを伴侶にしたくないというよりも伴侶にしては文字通り何かが駄目なのだろう。それが政治的な話なのか他の事情なのかは今のグローリアには分からない。ただ、グローリアが取るべき方針は固まった。
「殿下にもしばらくお会いできませんでしたから……お時間さえあれば、ぜひ」
グローリアが王弟殿下を見上げて眉を下げ眩しそうに微笑めば、ぱっと王弟殿下の機嫌が直る。
「あーっと、あれだ。予定確認して、すぐ連絡するから」
王弟殿下は決して容易い人では無い、むしろ本来は読めない人だろう。けれどグローリアという存在は王弟殿下を目に見えるほどはっきりと揺らすことができるのだ。
気付いてしまえばグローリアを苛む胸の痛みもまたある種の愉悦に変わる。愛しいとすら思えるのだから恋とは実に如何ともしがたい。
―――仕方がありませんわね。本当に、困ったお方。
ふわりと、柔らかな風がグローリアの淡い金の髪を揺らす。少し目を細めた王弟殿下の濃紫の瞳を真っ直ぐに見つめ、グローリアはその心のままに微笑んだ。
「はい殿下、お待ちしておりますわ」




