105.終わったこと
ふと顔を上げると、サリーが難しい顔で俯いているのにグローリアは気づいた。
「どうしましたの?サリー」
グローリアが問うと一斉に皆がサリーを振り返った。
「あ、いえ、あの……いえ、何でもないのです」
「何でもない顔じゃないわよサリー。どうしたの?」
モニカも眉をひそめサリーの方へと身を乗りだした。サリーはいえ、あの、と逡巡するように目を泳がせぽつりと言った。
「あ、えっと、我が家は貴族としては下位なのですが、その……」
そこでまた止まってしまったサリーに、モニカは小さく首を横に振り笑った。
「あら、謙遜ね。子爵家としてはずいぶんと裕福で素晴らしいお家よ。クロフト子爵の堅実な領地運営も夫人の趣味のお店も実に素晴らしいわ」
サリーの母は手芸好きが高じて自分の作品や手芸仲間の作品を販売する小さなお店を持っている。作るばかりで使いどころがなく溜まってしまった作品を何とかしようと始めたそうだが、貴族街の中心からは少し離れた二等地にあるにも関わらず貴婦人たちからの評判は良く売り上げは上々だ。
手頃な小さな作品もあり、むしろ二等地にあることで貴族だけでなく裕福な商家のご婦人なども手に取りやすいことも人気の理由のひとつだろう。
「あ、ありがとうございます!お褒めいただけて嬉しいです!!」
サリーの表情がぱっと明るくなる。サリーも小さな作品を作っては店に出しているらしい。あの素晴らしい刺繡ならば頷けるというものだ。
「お世辞じゃないわよ?ところで、お家に何かあったのかしら?」
ふふふと笑いながら言ったモニカに、サリーは「家は大丈夫です!」と慌てて首を横に振った。
「あの………私、一人娘なので、婿入りしてくださる方を探さなくてはいけないのですが……。やはり、その、貴族としてしっかりした人の方が良いのかなと……」
またしょんぼりと肩を落としたサリーに、グローリアは紅茶を飲みつつさらりと言った。
「セオドアなら大丈夫よ」
あの倒れた日以来、本人の許可は取っていないがグローリアは何となく敬称を付けずセオドアと呼んでしまっている。不思議と口に馴染むのだ。
「え!?どうしてセオドア卿!?」
「あら違うの?サリー。アレク卿のお相手の男爵令息じゃ不安だって話だからセオドア卿が元平民なことが気になったのではないの?」
目を丸くしてがばりと顔を上げたサリーに、モニカはふふふ、と楽しそうに笑った。若草の目にはひとつの陰りも無い。サリーが更に目を丸くし、そうして音がしそうなほど一気に首から耳まで真っ赤になった。
しばらくわたわたと慌てて視線を泳がせていたサリーだったが、何かを覚悟したようにひとつ頷くと真っ赤な顔のままで顔を上げた。
「……………はい。私の家は子爵家ですから伯爵家とは事情が違うと分かってはいるのですが、やはり貴族で無ければ難しいのかな、と……。でも、それでも私は…」
語尾がどんどんと小さくなっていく。唇を引き結びまた俯いてしまったサリーにモニカと顔を見合わせると、グローリアは微笑んだ。
「大丈夫よ、サリー。セオドアは確かに騎士爵しか持たない元平民ですけれど、紳士教育を受けた高位の令息たちよりもよほど紳士よ。何の教育も受けてこなかったのにあれほどの振る舞いができるなら性根が紳士なのね」
「はい!そうですよね!!お体が大きいからびっくりしてしまいましたけど……いつも、とてもお優しくて。怖がらせないようにってとても気遣ってくださるのが嬉しくて…」
サリーの目が何かを思い出すように優しく細められた。
サリーがこうして誰かを思い出しながら微笑むことができるようになったことを、グローリアは心から嬉しく思う。
「サリーは、辛い思いをしてきたものね…」
ぽろりと自分の口から零れ落ちた言葉にグローリアははっとした。サリーの心の傷を刺激しないよう元婚約者のことは決して口にしないようにしていたのだが。
失敗した、と慌ててサリーを見たが、顔色も悪くなっていないし震えてもいない。きょとんと首を傾げたベルトルトにまだ少し頬を染めたまま困ったように笑っている。
「そうなの?」
「あ、元婚約者が少し……」
「ああ、確かレイランド伯爵家の三男だったかしら」
「はい、そうです」
「そう……」
モニカの声が低くなる。顔は笑っているが目が全く笑っていない。
レイランド伯爵家の三男はサリーが十二歳の時からの婚約者だった。卒業後にクロフト子爵家に婿に入る予定だったが学園入学直後に少しあり、婚約は破棄されている。そう、全ては終わったことだ。グローリアが終わらせた。
「モニカ、終わったことですわよ」
「あら、わたくしまだ何も言ってなくてよ?」
「大丈夫ですわ、モニカ。イーグルトンを敵に回したのですもの」
「あら……そう?ならば仕方が無いわね、わたくしは控えるわ。やり過ぎは良くないものね」
「ええ」
グローリアが大変良い笑顔でにっこりと笑う。それに応えるように大変良い笑顔でモニカもにっこりと笑った。公女ふたりはこの上なく麗しく微笑み合っているのに、間に流れる空気に色を付けるなら間違いなく黒だ。
「え、怖いよ?」
「グローリア様も怒ることがおありなんですね」
自らの肩を抱きふるりと震えたベルトルトに苦笑し、フォルカーがグローリアに向き直り面白そうに笑った。
「大切なお友達が傷つけられて黙っているわたくしではございませんわよ?」
「グローリア様はご自身のために怒れないだけですから」
お茶を飲みながら口角を上げたドロシアに、フォルカーも「ああ、なるほど」と納得したように頷いた。




