100.『そ・れ・だ・け・は』
グローリアは上を向き、はーっと息を大きく吐いて目をぎゅっときつく閉じた。軽く引き結んだ唇が震えるのが分かる。思い出すたびに瞼と喉元に湧き上がるこの熱さが消えてくれる日がいつかは来るのだろうか。
「おかしいわね……お兄様だって絶対……」
少しでも気を抜けば嗚咽になって漏れてしまいそうな熱さを必死になって何度も飲みこんでいたグローリアにはモニカの呟きがうまく聞き取れず、目を開けて視線をモニカへと向けるとモニカは口元にこぶしを当てて難しい表情で何事かをぶつぶつと呟いていた。
「モニカ、何か仰いまして?」
「ああ、いいえ、何でもないわ。……それで?どうするの?これからも執務室へは行くの?」
モニカははっとしたように曖昧に微笑むと眺めていた官報をいそいそと畳んでバッグに仕舞い、姿勢を正して椅子に座り直した。
きっとグローリアがこの週の官報を父に借りに行くことは無いだろう。そう思うと、もう一度だけ挿絵を見ておかなかったことが少しだけ残念に思えた。
名残惜しさを早い瞬きで散らすとグローリアは頷いた。
「そうですわね……しばらくは控えようと思っておりますの。自分の中で折り合いがつきましたらまたお伺いしますわ。ベンジャミン様ともお約束いたしましたし」
そうグローリアが微笑むと、モニカがぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせた。
「あなた、フェネリー様と仲が良いの?」
「ええ、殿下よりベンジャミン様との方が仲は良いと思っておりますわ。王弟妃にならないならベンジャミン様に嫁ごうかと」
ベンジャミンのことを考えるとグローリアの心が少し軽くなる。きっとすっかりと餌付けされてしまっているのだろう。長く離れればベンジャミンの淹れてくれるお茶とお菓子はいずれ恋しくなるかもしれない。日々届く茶のお陰で今しばらくは問題ないだろうが。
「グローリアは、それで良いの?」
「むしろそれが良いですわ。ベンジャミン様とならお互いの譲れないものをそのままでいられますもの」
グローリアがふるりと首を横に振るとモニカが眉を寄せ、何とも言えない顔で頬に手を当てた。
「もうそこまで話が進んでるのね…?」
「進んでいるというほどではありませんわ。世間話の中で少し、そういうお話もした…程度ですのよ」
「ねえちょっと、とんでもなく仲が良いじゃない!」
「そうかもしれませんわね。悪い気はいたしませんわ」
くすくすと思い出し笑いを漏らすグローリアを見てモニカが目を見開いた。「そう、なの?え?」と目を泳がせるとまた口元に手を当てて何事かを呟いた。
「………ちょっとお兄様これどうするのよ……」
「モニカ?」
首をかしげるグローリアに困ったように笑い小さく首を横に振ると、モニカはまたグローリアの手を取りぎゅっと握った。
「まぁ良いわ。どんな形に落ち着いてもわたくしはいつでもグローリアの味方よ。わたくしだけじゃない、わたくしたちはみんなグローリアの味方よ。そ、れ、だ、け、は!忘れないでちょうだいね?」
『それだけは』ととても強く強調したモニカにグローリアは笑った。やはり胸の痛みは消えないけれど、それを優しく包んで守ってくれる温もりがある。それも、たくさんだ。
グローリアは間違いなく愛されている。自分は選ばれないなどと、泣き言を言ってはいけないくらい。
「もちろんですわ、モニカ。ありがとうございます。わたくしも、同じ気持ちですわ」
グローリアもモニカの手をぎゅっと握り返して微笑み頷いた。
こうして話すことのできないことがお互いにこれからどんどんと増えていくのだろう。共有できない、見えないことがたくさん出てくるだろう。それでも互いを大切に思う気持ちだけはきっと消えない。知れなくても、側にいられなくても、きっと寄り添うことはできる。
「当然でしょう、知ってるわ!」
今更よ!とばかりに花が開くように笑ったモニカに、グローリアもまた満面の笑みで応えた。




