90.ヘーゼルの侍女
王弟執務室への三回目の訪問から一週間。グローリアは約束通りドロシアとサリーとともに騎士団の鍛錬場を訪れていた。手にはもちろん、いつもの焼き菓子を持っている。そしてその籠には、今日は美しい刺繡を施した布に包みリボンを結んだ箱がひとつ入っている。当然刺繍はサリーのお手製だ。
いつも通り王宮側から入り鍛錬場へと出る。思わずきょろきょろしてしまうのは先日のもやもやとした気持ちがいまだにグローリアの胸に燻っているせいか。ほんの少し、いつもより体も重い気がする。
「今日はいらっしゃらないようですね」
同じようにきょろきょろと様子をうかがっていたサリーがほっとしたように呟いた。サリーが探していたのは恐らくあの従の女性だろう。
「ええ、いらっしゃらないようね」
見たところ、アレクシアもポーリーンも従の女性もセオドアもいない。普段なら残念に思うところだが、今日のグローリアはほっとしてしまった。
「どなたかに託して今日は少し見学をして帰りましょう」
ポーリーンに会えないことだけは残念だ。せっかくアンソニーから会いたがっていたと教えてもらったのだが。そう思って籠を託せそうな相手を探していると、ふと、見知った顔が目に入った。
「あら?」
「グローリア様?どうされました?」
ふたつに分けて緩く編んだヘーゼルの髪を前に垂らし楽しそうに笑う横顔に見覚えがある。
「あの方、王妃殿下の侍女の方ね」
侍女の前にいるのはふわりと緩く巻いた黄色の強い金の髪に青い瞳の甘く容姿の整った騎士。優し気に侍女を見つめ微笑む口元には色気を感じるほくろがひとつ。
その後ろでは艶のあるまっすぐな黒髪に赤に見える瞳の、美人を見慣れたグローリアの目にも綺麗だと映るが男性らしさを損なわない騎士がふたりを穏やかに見守っている。
とても優しい空気の流れる三人をぼんやりと眺めていると、侍女がヘーゼルの瞳を嬉しそうに細め、口を大きく開けて笑った。ぱっと、周囲の空気が明るくなったような気がして、グローリアも釣られて口角を少し上げた。
「可愛らしい方よね」
淑女としては決して褒められる笑い方ではない。けれども、侍女の眼前のふたりもそんな彼女にうれしそうに笑っている。
そしてグローリアもまた彼女の笑顔をとても愛らしいと思う。純粋で暖かで、幸せだと、そう全身で表すような笑顔だ。
グローリアがついじっと見つめていると、黒髪の騎士がグローリアたちに気付いたようですっと騎士の礼をとった。金髪の騎士も侍女に何事かを言うと振り向き甘く微笑みながら騎士の礼をとった。
『あ!やっちゃった!』
侍女の口が間違いなくそう動いた。わたわたと肩を揺らしそわそわと視線を泳がせると、覚悟を決めたようにグローリアを振り向き、そうしてにっこりと綺麗に微笑みお手本のように見事なカーテシーをした。まるで、ハリエットのような。
「まぁ!」
慌てぶりとのあまりの落差にグローリアは目を丸くした。そうしてグローリアもまた負けじと優雅に軽いカーテシーをすると起き上がり、内緒にします、とばかりに人差し指を口元にあててにっこりと笑った。
ドロシアとサリーもカーテシーと微笑みを返す。侍女はぱちくりと目を瞬くと金の髪の騎士と目を見合わせ、グローリアたちに向き直ると人差し指を口元に当てまた口を大きく開けて楽しそうに笑った。
「はい!とっても可愛い方ですね!!」
「焼き菓子は彼らにお願いすることにしますか?」
サリーが侍女に負けないくらい愛らしい顔で笑う。微笑みながら頷いたドロシアに、グローリアもまた頷いた。
「そうしましょう。彼らならきっと悪いようにはしないわ」
あまり見覚えがないが整った容姿と立ち居振る舞いからして第一の騎士だろう。なぜ今まで見たことがないのか不思議なほど、ふたりは洗練されているように見える。
グローリアがドロシアとサリーをうながし彼らのもとへ向かおうとしたとき、彼らがいるのとは反対側、王宮側の通路から声がかかった。
「グローリア様?」
振り向くと、グローリアが会いたいと願った人がそこにいた。
「ポール卿」
侍女の笑顔とポーリーンに会えた嬉しさで、グローリアの中のもやもやが薄れる。体ごと向き直るとグローリアはにっこりと笑った。
「ポール卿、お会いできて良かった」
「本当にいらしてくださったんですね」
ポーリーンが少し小走りに駆け寄ってくる。淡い青の瞳が優しく細まり口元が笑みの形を作っている。喜んでくれている、そう分かるような表情に、グローリアはほっとした。
「もちろんですわ。いつでもお会いしたいと思っておりますもの」
「はい、ありがとうございます。私も、嬉しいです」
以前よりも表情が豊かになった気がする。はっきりと分かるほどポーリーンの表情が変わり、少ないけれど言葉がするりと出てくる。表情のどこにも影が見受けられない。
――――きっと幸せなのね。
ポーリーンの小さくはない変化に、グローリアの心がぽっと温かくなった。




