86.嘘つきベンジャミン
どれほどグローリアが知りたいと願ってもベンジャミンや王弟執務室の面々が王弟殿下の許可なく口を開くことは無い。いつでもは本当かもしれないけれど、許可も取らず入り浸るようなことをするつもりのないグローリアにはそれを確かめる術はない。
「ふふ、ではいつか、きっと」
いつとは言えない。少なくとも、グローリアの中で折り合いがつかねば命令でない限りは行くつもりは無い。いつ行けるとも、約束はできない。グローリアの心を拒絶したのはグローリアでは無い、王弟殿下だからだ。
「必ずとは、言ってくださらないのですか……」
少し低くなった声にベンジャミンを振り向くと、まるでアンソニーのように叱られた子犬のような顔で見事に眉を下げていた。
「あらあら、ベンジャミン様もそんなお顔をなさるのね?」
グローリアがにんまりと笑うとベンジャミンが苦笑した。
「私を何だと思っていらっしゃるのですか。今頃きっとアニーは殿下に食って掛かってますよ。ジェサイアは剣に手を掛けているかもしれません」
「いけませんわ、不敬ですわよ」
「知ったことではないです。申し上げたでしょう、グローリア様の笑顔の方が大事だと」
前を向きつつ肩を竦めたベンジャミンに、グローリアの口から自然と言葉が漏れた。
「ふふふ、嘘つき」
「嘘つきですか?」
「ええ、嘘つきですわ。あなたはメイウェザーですもの」
ベンジャミンの足がぴたりと止まった。探るような視線をグローリアに向け、そして苦笑交じりにため息を吐くとまたゆっくりと歩き出した。
「おや、お気づきでしたか……」
「ごめんなさい、瞳の色が気になりましたのよ。なので血筋のことは失礼ながら王妃殿下にうかがいました。ですがベンジャミン様が何を選んだのかは、わたくし自身がそう判断いたしましたわ」
ベンジャミンとハリエット。同じ色の瞳、深さと色合いは違うが同じ赤系統の髪。色彩意外まったく似ていないはずなのにふたりにはどこか似た空気をグローリアは感じる。それから、主人に対する盲目的にも見える無条件の献身とまるで心を読んでいるかと思うほどの徹底した補佐。王妃殿下は憶測の域を出ていないようだったが、グローリアには確信があった。
『知っていた』ではなく『お気づきで』と言ったベンジャミンに、グローリアはやはりなと思った。
「では、私がレオを嫌わないで欲しいと願う意味も、もちろんお分かりですよね?」
「卑怯ですわよね、絶対に受け入れないと言うくせに嫌うな、だなんて」
グローリアがわざと不機嫌そうにぷいとベンジャミンとは反対の方を向くと、ベンジャミンはきゅっと、ほとんど重ねていただけだった手を軽く握った。
「分かっています。卑怯です。ですがひとつだけ訂正させてください」
グローリアが驚いてベンジャミンを見上げると思いの外真剣な目にぶつかり、グローリアの足が止まった。
「何ですの?」
「グローリア様の笑顔が大事なのは本当ですよ、レオが一番ではありますが…それだけは本気です」
じっと真剣な目で見つめられグローリアは戸惑った。どのような表情をしていても決してその奥の感情が読めなかったベンジャミンなのに、今はグローリアにもはっきりと分かる。微かに揺れる青灰の瞳にあるのは懇願だ。どうか信じて欲しい、と。
ベンジャミンはいつでも優しい。きっと王弟殿下の害にならぬ範囲でなのだろうが、いつでもベンジャミンはグローリアを元気づけよう、笑わせようと心を配ってくれている。その裏側にたとえ王弟殿下のための打算があるとしても、ベンジャミンがこれまでグローリアにしてきてくれたことがグローリアに見える全てだ。グローリアが信じないわけがない。
「ベンジャミン様………ありがとうございます。ベンジャミン様が伴侶を決められる際にはわたくしも候補に入れてくださいましね」
グローリアがふふふと笑うと、ベンジャミンも「おや」といつも通りの穏やかな微笑みを浮かべた。
小さくエスコートの手を引かれ、グローリアも導かれるままに歩き出す。
「その際はイーグルトン公爵閣下に殴られる覚悟で参りますよ」
「まぁ!」
「これでも結構本気ですよ?」
「ふふふふふ!わたくしもですわ」
本気とも冗談ともつかぬ会話を繰り返す。軽口の中に紛れの無い本気が混ざっていることを、グローリアも貴族として正しく理解している。もちろん、ベンジャミンも分かっているだろう。
「レオに聞かれたらしばらく口をきいてもらえなくなるな」
「あら知りませんわ。わたくしを拒絶したのは殿下ですもの」
少し砕けた口調で目を細め額に手を当てるベンジャミンに、グローリアもつん!と半目になり顎を上へと反らした。口元が笑ってしまうのは致し方ない。「それもそうですねぇ」と笑いながら少し屈んでグローリアを覗き込んだベンジャミンが、また少し、真剣な顔になった。




