80.海賊稼業
窓を見れば春から初夏へと移り変わろうとする午後の日差しが穏やかに降り注ぎ、澄んだ薄青の空をピーチチッと小鳥まで朗らかに鳴いている。眺めるグローリアの心はさっぱりと朗らかにはなってはくれないが。ただ、ひとつ救いがあるとすれば、だ。
「殿下」
「おう?」
グローリアは体ごと王弟殿下の方へ向けるとじっと王弟殿下の横顔を見た。王弟殿下も首をかしげてグローリアの方へ体を向けた。
「わたくし、巻き込まれたのがわたくしで良かったと思いますわ」
グローリアがジャーヴィスをしっかりと警戒できたのはジャーヴィスが事前に送って来た不幸の手紙があったのもそうだが、ある程度王家の事情を知っていたからこそでもある。主に陛下について。
普通の令嬢が国王陛下からの口添え付きの手紙を受け取り、ましてや見合い相手が海洋伯家の次期当主かもしれない見目麗しい貴公子と来れば万が一にも心奪われる令嬢もいたかもしれない。グローリアからすれば鳥肌ものだったジャーヴィスの表情も言葉の数々も、何も知らない純粋な令嬢には聞きよう見ようによっては心地よいものだっただろう。
なぜか今回は一度で引っかかってくれたようだが聞く限りジャービスは悪知恵は働くらしい。何も知らされずに二度、三度と逢瀬を重ねていたら…小さくとも心に傷を負わせることになったかもしれない。体は守れても。
「あ?何でだ?」
「もしも他の御令嬢にご協力をお願いするとして、何と言ってご協力いただくつもりですの?正直にお話しなさいますの?」
「少なくとも兄上のことは言えないな。せいぜい多少危険はあるかもしれないが協力してくれ、くらいか。まぁ、普通に考えれば詳しいことは……というか、令嬢には本当に何も知らせず見合いだろうな」
何も知らせず駒にする可能性の方が高いだろうなとグローリアは思う。ジャーヴィスの被害者は忌まわしいことに十代の少女たちがほとんどらしい。たとえある程度の共有をできたとしても内部の事情は明かせないが注意して欲しいと言われ、自分に好意的な見目麗しい青年にごくごく普通の、大切に育てられてきた年若い令嬢がどこまで警戒できるだろう。グローリアは第一騎士団の騎士たちというアレよりはよほどましだが残念な前例を何度も経験しているが。
「その上で、今わたくし以外で海洋伯家令息に強く抵抗できるほど地位の高い、婚約者もいない未婚の妙齢の令嬢がいらっしゃいますの?」
「まぁ、な。名目が見合いじゃお前ほどの適任はいねえよ。腹は立つけどな」
そういうことだ。嫌な言い方だが見目だけなら餌にできそうな妙齢の令嬢はそれなりにいる。事情を知らされぬまま王の口添え付きともなれば期待して令嬢を送り出す家もあるだろう。
「そうでございましょう。よしんばある程度の事情を知らせることができたたとして…いえ、事情を知らせればこそ、あのような男の前に囮として立てなど……何も無くともどれほど恐ろしい思いをなさるとお思いですの」
さすがにジャーヴィスの犯した罪まではグローリアも知らされていなかったが、知っていたらさて、あの忍耐の時間の半分も耐えられただろうか。グローリアの場合は恐怖よりもおぞましさだが。
茶会という衆目のある場所であったからこそ耐えられたという側面もある。ふたりきりなどであればいくら周囲にメイドや騎士が控えていたところでやはり長くは耐えられなかっただろうし、恐らくジャーヴィスの態度もあれで済んでいなかっただろう。考えるだけでもおぞましいが。
「そこはあれだ、俺が守るから安心して協力して欲しいとか言うんだろうな、俺が」
「微笑みながら」
「だろうな」
「手を取って」
「必要であればな」
「そうですの。でしたらわたくしで無くともよろしかったですわね」
ジャーヴィスに対する嫌悪感もある。だが、それとは違う何かがグローリアのみぞおち辺りでちりりと燻った。何とも言えない不快感に眉根が寄りそうになったが、グローリアは淡々と無表情で言い切った。
「おう……まぁ、な?」
少し怯んだように肩を揺らし頷くと、王弟殿下がうかがうようにグローリアをじっと見た。その視線がなぜか煩わしく、グローリアは気付いていないかのように茶の入ったカップを手に取るとあえてゆっくりと飲み、そして更にゆっくりと、音もなくソーサーに戻した。そうしてまた微笑を浮かべて王弟殿下に向き直った。
「ともかくそちらの事情は分かりましたわ。その後はどうなりましたの?」
「あー、あー、グローリア?」
「なんですの?」
「いや、何でもない…」
「?」
困ったように眉を下げると王弟殿下が小さくため息を吐いた。そうしてまた髪をかきあげるようにして頭をがしがしと掻くと、少し視線を逸らして話を続けた。
「あー、っと、だからまぁ、今回の件でアレを拘束できて、ついでに洗いざらい吐かせて、海洋伯も腹を括ってアレの除籍手続きをしたってところだな」
被害の割り出しと賠償なんかはこれからだがな、と王弟殿下は肩を落とした。各地に被害者がいることがすでに分かっているため、ジャーヴィスは西には戻さず中央預かりとなるらしい。全ての取り調べが終わり次第神殿送りとなるのだが、通常の神殿では女性がいるとまた神殿内でも問題を起こしかねないため、神殿とは名ばかりの女人禁制の更生施設へと送られる予定だ。
「ウィルミントン令嬢が次期海洋伯になられるのですね?」
「まぁそうなるな。もうひとり下にいるがあまり海賊稼業には向かないらしいしな」
西の海と港を守るウィルミントン海洋伯家は、海洋伯家そのものが海賊のようだと王弟殿下は言っていた。海洋伯本人も自ら武器を取り海賊の取り締まりに赴くと。
であるならば武力はからっきしだと評されたジャーヴィスはどちらにしろ向いていなかったのだろう。末子もどうも向かないようだ。ジャーヴィスに似ていないことを切に祈る。
「それですと、まるでウィルミントン令嬢が向いていらっしゃるように聞こえますわ」
「ああ、そう言ってるな」
「まぁ…凛々しいだけでなくお強くていらっしゃるのね」
「お前から見るとそうなるんだな…」
王弟殿下がまたどこか遠くを見るような目になり、グローリアは小首を傾げた。




