70.グローリアの答え
「あらあら、ご馳走様ですわね?」
「就職じゃないわよ!」
「当たり前でしょ。俺の大事な奥さんになるんだから」
唇を尖らせるモニカの腕をベルトルトがまた軽く引き、にっこりと笑ってモニカのまだ赤味の残る鼻の頭をつん、と指で押した。猫のような金の目が細まるのを見て、モニカも若草の眦を柔らかく下げた。
「分かってるなら良いのよ、分かってるなら」
今度は機嫌よく唇を尖らせ歌うように言い、モニカがふふふと笑った。
ふたりの間に触れ合いがずいぶんと増えた気がする。子猫がじゃれ合うような触れ合いだがそれだけ距離が近づいているのだろう。物理的な距離ではなく、心の距離が。
「むしろモニカ様、ベルトでよろしいのですか?そろそろ面倒くさくなってきませんか?」
そんなふたりを穏やかに見守っていたフォルカーが、少しだけ意地の悪い顔でにやりと笑った。ぱっとフォルカーを振り向くとベルトルトが眉を下げて抗議した。
「フォルカー、酷いぞ。自覚はあるけど!」
「自覚がおありですのね」
「あるけど、あるけど!」
グローリアもまたフォルカーに便乗する。仲が良いのは喜ばしいが、先ほど散々にグローリアを困らせてくれたことは忘れていない。
「無いわよ、面倒なことなんか。むしろ………わたくし、ベルトじゃなかったらきっと、こんなに心穏やかにいられなかったわ」
モニカがベルトルトの腕を引いた。振り向いたベルトルトの表情が情けないものから一気に真剣なものに変わる。
「モニカ?」
その様子にグローリアもまたモニカを振り返ると、モニカはじっとグローリアを見つめていた。
「グローリア」
「はい、モニカ」
モニカの真剣な声に、グローリアも居住まいを正した。背筋を伸ばし、じっとモニカを見返す。ゆらゆらと揺れる若草の瞳が少しだけ不安そうに細められ、そして意を決したようにモニカが口を開いた。
「単刀直入に聞くわ。お兄様をどう思っているの」
ぎゅっと、モニカがベルトルトの手を握る手に力を入れた。ベルトルトは心配そうにモニカを見つめながら、もう片方の手でモニカの手をそっと包み込んだ。
「どう、ですの?」
「そうよ。どう」
どう、思っているのか。王弟殿下に嫁ぐ気が無いのなら言動に気をつけろと王妃殿下に言われた時、グローリアは王弟殿下に嫁いでも構わないと思った。それはグローリアがイーグルトンだからだ。けれどモニカが聞きたい答えは絶対にこれではない。
グローリアはいったい王弟殿下のことをどう思っているのだろう。視線を落として少し考えた後、グローリアは静かにモニカの名を口にした。
「モニカ」
モニカも静かに頷いた。若草色の美しい瞳がゆらりゆらりと揺れている。きっとグローリアの瞳も同じように揺れているのだろう。
「わたくし、モニカの望む答えを返せないかもしれません。わたくし自身がどうお答えすれば良いのか分かっていないのです。それでも、上手くお話しできなくても、聞いてくださいますか?」
モニカに対して何ひとつとして誤魔化したくない。グローリアが分からないと思っていることも全てだ。たとえグローリアが探し出したグローリアの中にある答えがモニカを傷つけるものであったとしても、嘘を吐くことだけはしたくない。
「もちろんよ。グローリアが真剣に答えてくれる以上どんな答えでもわたくしは全て聞くわ」
「ありがとうございます、モニカ……」
グローリアは深く息を吸い、ゆっくりと吐くと、自分の中にある嘘の無い気持ちを自分の中に探しながらひとつひとつ丁寧に言葉を紡いだ。
「そう、ですわね。嫌いでは無いのです。これだけは間違いないのですわ」
まず最初に出てきたのは嫌いではない、ということだ。王妃殿下にも言われたのだ。最近そこまで悪く思っていないわよね、と。
「進歩ね、去年は嫌ってたもの」
「否定できませんわ、ごめんなさい」
去年の春の茶会まで、グローリアは間違いなく王弟殿下を苦手としていた。嫌っていたかどうかは正直分からない。けれど関わりたくなかったし、婚約者候補として名が挙がることをはっきりと厭うていた。
「良いのよ、続けて?」
微笑み頷くモニカに、グローリアも頷いて微笑み返した。
「好きかと聞かれれば、今は好きですわ。今は、その…少々お知らせできない内容も含めて知ったことで…そうですわね、尊敬、しているのだと思います」
グローリアは言葉を選んだ。なぜこのたった一年で心境が変わったのかを説明するにはどうしても口にせねばならない事情がある。けれど、それを口にすることは大切な友人たちを巻き込むことになるのでグローリアはしたくない。
「うん、少々お知らせできないところは気になるけど知らない方が幸せそうだから聞かないでおくね」
「もうベルト!」
グローリアの気持ちを汲んだように、ベルトルトが少しおどけて肩を竦めた。うまく進める自信が無かったので、ベルトルトの助け舟にグローリアは心の中で感謝した。
「ふふ、言いませんわよ。わたくしも皆様を巻き込みたくありませんもの」
「ごめんね、グローリア嬢」
ベルトルトが眉を下げた。それは何に対する謝罪なのだろう。聞かぬことに対する謝罪か、共に分かち合えないことに対する謝罪か。どれも誰も悪くないのに。
「言いませんけども、言わせていただくなら…あの方の生き方が、痛いのです」
上手い言葉が見つからない。けれど何度も思った感情がある。王弟殿下の生き方をグローリアは何度も痛いと、心が痛むと思ったのだ。
「あー、痛いのかぁ……」
「そうね、ちょっと分かるわ。色々分からなくても」
ベルトルトが目を細め、モニカも眉を下げて頷いた。




