65.メイウェザーの執念
母から目を戻すと、王妃殿下が悲し気に眉を下げた。
「ひと目でメイウェザーだと分かる髪色でしょう?でもメイウェザーは放浪する一族だから各地にメイウェザーの血筋がいてもおかしくなくてね。だから夫人は普通にマイアさんを連れ帰ったの。あまりに死んだ娘にそっくりだったから貧しい夫婦から引き取りました、って」
無茶苦茶な話だ。だがそれが通ってしまうのもまたメイウェザーの不思議だろう。旅の途中で行方不明になる者も多く、本当に、どこにでもメイウェザーの血筋と思われる者は現れるのだ。
「同じ時期に同じ場所で行方不明になった御令嬢がいるのなら、髪色も含めて周囲にすぐに知れてしまうのではないのですか?」
当然の疑問をグローリアが口にすると、王妃殿下が悲し気に微笑み首を横に振った。
「そこはね、人を使って全く違う場所で出会ったように偽装したのよ。本当に貧しい夫婦を雇って別の街へ移住させて、そこで傷心旅行で各地を巡っている時にばったりとマイアさんに出会ったように演じさせたの。知っていたのはマイアさんを連れ去った時に一緒にいた年若い護衛兼侍女ひとりだけ」
小さくため息を吐き王妃殿下が視線を落とした。連れ帰ってしまったのは突発的な衝動だったのかもしれない。けれどその後が悪質すぎる。降爵で済んだのがむしろ不思議なくらいだ。
グローリアもまた何とも言えない気持ちになりお茶を一気にあおりカップを置くと、すかさずハリエットが新しいものに交換してくれた。
「マイアさんはね、スピアーズ子爵令嬢として先代のフェネリー伯爵、つまりベンジャミンの祖父に嫁いでいたの。ほら、フェネリーって全然権力に興味が無いじゃない?マイアさんは体が弱くて学園にも通っていなかったんだけどね、社交ができなくてもフェネリーで生きられるくらい賢ければそれで良いですよーって先代フェネリー伯爵もあっさり受け入れたらしくて」
本当に体が弱かったのか、それともばれないよう領地から出したくなかったのかは分からない。それでも嫁に出すことを選んだ先が中央に近いフェネリーとは何という皮肉か。メイウェザーは、確かに中央に興味が無い。
「だから結婚してフェネリー伯爵夫人になってからも、昼間のお茶会には出ても夜会にはほとんど出ていなかったのね。スピアーズ家の養子であることは良く知られていたから誰も髪色について不思議に思わなくてね」
昼の茶会にしか出ないのであれば先代メイウェザー伯爵とマイアに接点ができることは無かっただろう。もしかしたらメイウェザー夫人は茶会に出ていたかもしれないが、ただ髪色がメイウェザーと似ているだけではまさか行方不明の義妹だとは思うまい。
話し疲れたのか王妃殿下がカップをゆっくりと傾けている。グローリアもハリエットが新しく用意してくれた茶に口を付けた。今度は蜂蜜入りの紅茶だった。ベンジャミンが淹れるものよりも少し蜂蜜が少なめだ。どちらももちろん美味しいが。
「それがどうして分かったのでしょう?」
ふぅ、とひと息つくとグローリアはカップを置き顔を上げた。王妃殿下も蜂蜜の甘さで落ち着いたのかほぅ、とため息を吐き困ったように笑った。
「ばったり会ったのよ」
「ばったり会った?」
「そう。離れ離れになったはずの港町で、ね」
「何てこと……」
巡り巡って全ての始まりの地でまた巡り出会う。運命の悪戯と言うべきか、悪魔の所業と言うべきか。
「それはそれは大切に育てられたみたいでね……マイアさんは何も知らなかったわ。でも先代メイウェザー伯はひと目見てマイアさんだと分かった。もうマイアさんも六十代……離れ離れになってちょうど六十年だったわ」
六十年。まだ十六歳のグローリアには途方もない時間だ。グローリアの愛する祖父と祖母ですら、六十年前はまだ赤子か幼児だったはず。それほどの長きを生きているかすら分からないたったひとりを探し続けることのできる思いの強さ。もはやそれは執念だろう。
あまりの時間の長さと重さに、グローリアはただ「ろくじゅうねん……」と子供のように呟くことしかできない。そう、六十年よ、と王妃殿下も首を横に振った。
「先代メイウェザー伯爵はマイアさんに経緯を話したのだけど、それは信じられないわよね。自分は貧しい平民の夫婦から養子に出されたのだと聞いていたのに実は誘拐された令嬢でした、なんて話。大事にされていたから、余計にね」
王妃殿下が手を上げて小さく振った。すると隅に気配なく控えていた侍女たちが蝋燭にひとつひとつ火を灯していく。気が付けば夏の長い日が傾き夕暮れが広がっている。温室のガラスから差し込む光の色に外を見れば、フォルカーの髪色のような美しい空が目に入った。
「真偽を確かめるために先代伯爵はマイアさんを伴ってスピアーズ家に行ったのだけどね、すでに夫人も子爵も亡くなっていてマイアさんの義理の甥が後を継いでいたの。話を聞いたマイアさんの義兄である先代スピアーズ伯爵は大急ぎで母親の遺品をひっくり返したけど何も出て来なくてね」
少し明るくなった手元に小さな焼き菓子が置かれた。年若い侍女に礼を言うと、侍女はきらきらとした目で「いえ!」と小さく言いにっこりと笑った。年上のはずだが、蝋燭の火に輝くヘーゼルの瞳と緩く編まれた髪が愛らしい。
「夫人と港町に一緒に行った侍女がまだ生きていたから事情を聞きに行ったらね、一冊の日記を渡してくれたそうよ。これで死ねると、泣きながら笑ってたって」
これで死ねる。何と悲しい言葉なのだろう。大きな罪を抱えたまま誰にも言えず、誰にも償えず、ずっと苦しんで生きていたのだろう。罪は罪だ。それでもその心を思えばあまりにも苦しい。グローリアは絶対に、自分の侍女にはそんな思いをさせはしないと唇を噛み心に誓った。




