61.君は誰
グローリアもカーテシーをしようとしたが王弟殿下に腰をぐっと引き寄せられ、頭を下げるに留めた。
「陛下!僕とグローリア嬢の縁談を取り持ってくださるのではなかったのですか!?」
ただひとり、ウィルミントン令息だけが礼をとることも無く立ち上がり国王陛下に詰め寄った。
ひゅっと、グローリアの喉が鳴る。とんでもないと思っていたが、まさかこれほどとは思っていなかった。礼儀が無いどころか問答無用で今すぐ護衛の騎士に斬り捨てられてもおかしくないほどの不敬。昨年は自らが罰せられるかもしれない側だったが、今は目前で血の雨が降らないか心配する側になった。
「余は誰にもそのようなことを約した覚えは無いがな。ウィルミントン伯に頼まれて会えるようには取り計らいはしたが……。会えばそのまま婚約になると?ずいぶんと自信過剰なのか、それとも世間知らずなのか………」
皆に座るようにと頷き着座したことを見届けると、口元に柔和な笑みを浮かべ、声を荒げるでもなく淡々と国王陛下は言った。なるほど、口添えは顔を合わせることだけでそれは見合いではなかったということか。どう暴走した結果あの手紙が仕上がったのだろう。
グローリアが王弟殿下に寄り添ったままじっと成り行きを見守っていると、何かに気づいたように国王陛下がウィルミントン令息に目を向けた。
「ああ、ところで」
柔和に細められていた国王陛下の赤を感じる濃紫の瞳からすっと光が消えた気がした。ぞわりと、グローリアの背を何かが駆け上がる。
「君は、誰かな?」
静かに、とても静かに国王陛下が言った。じわりとグローリアの手に汗がにじむ。思わず視線を下に落とすと大きな手が背をそっと撫でてくれたのを感じ、グローリアはほっと静かに息を吐いた。
「あっ……う、ウィルミントン海洋伯家が長子、ジャーヴィスが国王陛下にご挨拶申し上げますっ」
国王陛下は優しく微笑んでいるはずなのに、まとう空気があまりにも冷たく重い。ちらりと母と王妃殿下を見ると、ふたりとも慣れているのかなんでも無いように扇の下で何事かを囁き合っている。
「ああ、君がウィルミントン令息か。ウィルミントンと言えば快活で義を重んじる好のましい者が多い印象だったのだが………君はずいぶんと奔放であるらしいな」
「は……あの………いえ、それは………」
先ほどまでの不敬な態度はどこへ行ったのか。しどろもどろになり顔を青ざめさせるウィルミントン令息は息の仕方すら忘れたようにおかしな呼吸を繰り返している。
ふと、草を踏む音がして振り向くと、赤を感じる金の髪の凛々しい顔立ちの令嬢が静かに深くカーテシーをしていた。
「ご令嬢、君は誰かな?」
国王陛下が微笑んだ。先ほどまでの怖気立つような響きを一切感じない、正真正銘に優しい声に固まっていた空気が緩む。
「ウィルミントン海洋伯家が次子、コーデリアが陛下にご挨拶申し上げます」
深く頭を下げたまま、ウィルミントン海洋伯令嬢が女性としては少し低めの心地の良い声で静かに名乗った。
「ああ、君が。ライオネルと話はできたかな?」
顔を上げて良いよ、と声を掛けられたコーデリアが礼を述べてゆっくりと顔を上げた。瞳の色はウィルミントン令息よりも濃い青、きっとこういう色を海の青というのだろう。グローリアはまだ海を見たことが無いが。
「はい、陛下のご恩情により無事、ご了承いただくことができました」
「そうか。ウィルミントン伯も喜ぶことだろう」
「どういうことですか!?」
国王陛下の空気が緩んだことで気まで緩んだのか、またもウィルミントン令息が国王陛下と他者の会話を遮るというとんだ不敬に出た。場の空気が固まるが、ウィルミントン令息は意に介する気配すらない。
「………何かな?」
「了承したというのならなぜ王弟殿下がグローリア嬢の手を取っているのです!?」
国王陛下は視線を向けることなく淡々と答えた。ウィルミントン令息はまだも言い募っている。
「殿下、ご結婚なさいますの?」
「いや?しねえよ?」
こそりと小さく囁いて王弟殿下を見上げると、王弟殿下もグローリアを見下ろし小さく首を横に振った。見合いは破談で良いらしい。やはり例の『まだ言えない』ことかと思案しているとまたぽん、と背を軽く叩かれた。
「公女、名前呼びを許したのかい?」
我に返ると同時に国王陛下に視線を向けられた。グローリアは王弟殿下の腕を逃れ一歩前に出ると深く、そして優雅に膝を折った。
「イーグルトン公爵家が一女、グローリアが国王陛下にご挨拶申し上げます。わたくしはわたくしの名を誓ってウィルミントン令息に許した覚えはございません」
「!!!!」
ほう、とまた周囲からため息が漏れる。頭を下げたままきっぱりと言い切ったグローリアに、ウィルミントン令息がぐっと目を瞠った。
「そうか。許されもしないのに淑女の名を軽々しく口にする、か」
顔を上げなさいと言われ、「ありがとうございます」と微笑み起き上がると後ろからまた腰をさらわれた。王弟殿下の腕の中に逆戻りだ。これは必要だろうか?と思ったが色々と面倒なのでグローリアは黙ってされるがままにした。もう今更だという諦めも大いにある。
「なるほど、海洋伯の懸念も令嬢や民の嘆願もよく分かるというものだな」
「は………嘆願………?」
「君の除籍願いだ」
さもつまらないことを言ったとばかりに国王陛下が目を閉じ肩を竦めた。心底どうでも良いと思っているのをひしひしと感じる。
「はあああ!?どういうことです!!なぜ僕が除籍など!!!」
「ジャーヴィス・ウィルミントン、控えろ」
今にも国王陛下に詰め寄りそうなウィルミントン令息を、王弟殿下が地を這うような声で止めた。




